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斎藤道三の国盗り伝説、じつは違う? 親子二代説を徹底解説【4/20は長良川の戦いの日】前編

本日4月20日は、戦国武将の斎藤道三(さいとう・どうさん)が合戦で没した日です。
1556(弘治2)年の今日(旧暦では5/28)、斎藤道三が、長良川にて子の斎藤義龍(よしたつ)と戦い、そこで敗死しました。

斎藤道三は、NHKの大河ドラマ『麒麟がくる』でも登場して、巷では知られた戦国武将のひとりですね。本日はこの人物についての雑学をご紹介します。

斎藤道三の業績

道三は、美濃(みの)を治めていた戦国大名です。いまの岐阜県南部にあたります。


美濃は京都にも近く、東西の交通の要衝であり、かつ肥沃な土地に恵まれた美濃は誰しもが欲しがる土地。「美濃を制する者は天下を制す」という言葉が当時からあったくらい重要な場所でした。このへんは『麒麟がくる』でよく描かれていますので、まだ見たことないという人はNHKオンデマンドで見られますので、是非ご覧ください。(昨日は放送日でしたね!)

この美濃を舞台に、主人の追放や暗殺などの権謀術数によって下剋上を成したのが、今回のテーマである斎藤道三です。その巧妙なやり口から、「蝮(まむし)」の異名で恐れられたと伝わります。

通説では、道三はもともと油売りをやっていた位の低い商売人だったそうです。そこから十数回と名前を改めながら、主家の長井家を乗っ取り、さらには美濃国守護の土岐氏の懐に入り込み、美濃の政治に関与し始めます。そして、ついに主君の土岐(とき)氏をも追放し、美濃一国を統べる人物になりました。この道三の生きざまこそ、戦国時代を代表する下克上を成し遂げた男と言えるでしょう。

まさに戦国の「梟雄」と呼ぶにふさわしい道三ですが、じつは史実ではないらしいと最近では言われています。

え? 美濃の蝮じゃなかったの? 全部うそなん?
そんな疑問が次々に湧いてくると思います。詳しく見ていきましょう。

蝮は二人いた!?

上記のイメージは、江戸時代の書物をもとにして伝えられてきたものです。このイメージから道三は長年語られてきたわけですが、昭和の後半になって新しい説が登場しました。

1973(昭和48)年に刊行された『岐阜県史 史料編』収録の春日氏所蔵の『六角承禎条書』の中で新たな事実が判明したのです。これまで道三の人生とされていた前半部分――長井家を乗っ取り、土岐家の家臣になった――という部分ですが、これは道三自身ではなく、道三の父の物語だというのです。

『六角承禎条書』によれば、もともと道三の父は「松波左近将監藤原基宗」という名前だったそうです。ここからは、この資料に基づいてご説明していきます。

彼は12歳のときに出家し、京都にある妙覚寺入りました。日蓮宗の本山ですね。
しかし、20歳のときに還俗。元の姓に戻って「松波庄五郎」と名乗り、灯油を取り扱っていた奈良屋の娘婿となると、諸国を回って油を売り歩く行商人となりました。
なるほど、油売りというのはここから来ていたのですね。

庄五郎が商売をするために向かったのは、僧侶時代に同僚として親しくしていた南陽房という人物の生まれ故郷である美濃でした。
南陽房の口利きで訪れた美濃は当時、都との交流が少なく、実質的に閉ざされている状態になっていました。応仁の乱のとき、美濃国守護の土岐氏が西軍の山名氏に加担して以来、京都の足利将軍家と敵対関係にあったからです。
そこで、都との往来が簡単にできる庄五郎の出番です。油の販売において、独占的な利益を上げ、美濃国でひと財産を築くことに成功します。

商売人から武士へ

油屋として美濃で一目置かれるようになった庄五郎は、土岐氏の守護代である斎藤氏の屋敷にも出入りするようになりました。やがて家中の人々と交流を深めていき、斎藤氏の重臣である長井藤左衛門秀弘(ひでひろ)に仕官することになります。秀弘は、庄五郎が「乱舞音曲」に堪能であり、かつ知識量が豊富なことを大いに気に入ったそうです。

そのため秀弘は、長井家の家老だった西村三郎左衛門の名跡を、庄五郎に継がせました。
行商人だった庄五郎は、このときに「西村勘九郎」になったのです。商売人が一転、美濃の武士にまで出世したわけですね。

やがて勘九郎は、秀弘の家臣として精一杯働きます。多くの合戦に馳せ参じ、武功を重ねていきました。1496(明応5)年の近江六角氏攻めでは主君の秀弘を亡くしましたが、嫡子の長弘に従い、その後も功績を挙げました。
そしてついに1518(永正15)年、主君から長井姓を与えられるまでになります。このときから、勘九郎ではなく「長井新左衛門尉」を名乗りました。
これは、長井家の家臣だった西村ではなく、長井姓を得たために同格となったことを意味します。そして長井家に仕えるのではなく、守護代の斎藤氏の重臣となったのです。

後半ニ続ク……ッ!!▼


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