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周りの人はみんな、尊敬されたがってる

最近、とても困ったことがある。

わたしの好きな人は全員ディスり、自分の好きな人やゲームを押し付けてくる人。
おすすめは構わないが、ならわたしの推しの話も聞いてよ。

あとは、わたしが「誰かが言っていた知識」を話すと、「そんな人の話は聞いちゃだめ」と自分の考え一択の押し付け。

わたしは人の意見を聞いてはいけないらしい。それは、立派な洗脳です。気づいてないか?

この人、宇宙論や占星術も嫌いなんだよなあ。魔女になれないじゃん。

最近言うのが、エリザベス女王の行事です。
伝統的な儀式、使用されるめったに見られない装具。
mourners pay respects for Queenとあり、棺に12時間もかけてrespectを伝えに行く。尊敬できる人がいるということは、とても幸せだ。

それをみて、昔は好きだったけど今は見たくもないって、尊敬している世界中の人々を敵に回す言い方までして、怖くて仕方ない。
たとえ誰も聞いてなくても、言葉にしたものは、叶うから気をつけて。

尊敬できる人は誰ですか、が就活でもよく使われているように、人の素質を測る言葉、人となじめるかどうか、など「尊敬できる人」は毎日のように使われている。身近な人は尊敬されたがっている。あるとないとでは大違いだ。

うまくいかなかったことを、人のせいにして、自分の考えは一点の曇りもなく正しいと思っている。正しいんだったら、もう治ってるでしょ?
身体が調子悪いのは、そうやって毎日文句言うと、過去の出来事に魂もエネルギーも奪われて、気づいたら体は必要な栄養素がなくなっている。
気づいた頃には、身体があっちこち痛い。
自分の考えがそんなに正しいのなら、なぜ「うまくいかない」のか
考えてほしい。

身体が痛いということは、体を動かさないでほしいというのが体からのサインだ。いったんしたがって、あとは瞑想がいいだろう。
自分の立ち位置を確かめて、って話をしたら、「えっ」と言っていた。
コミュニケーションするにも、体調を確かめるにも、絶対必要だと思うぞ。

つまり、人の話を聞かないということは、自分の話も聞いていないのだ。
心だけじゃなく、体の声も聴いていない。心も体も、いつも調子がいいわけじゃない。体は痛みでしか訴えることが出来ないので痛むのだ。

痛みがある人は、毎日痛み日記をつけるといい、とあった。
痛みの度合いを毎日記録していくと、痛みの原因がわかることがあるし、治ったら実感が出やすい。

心については書いているらしいのだが、体のことは書いてないんじゃないのかな?

とにかく、自分の不具合の原因をネット検索や本に頼り、医者に行かないで治そうとしているのは、治す時間も数年増えるし、おすすめしない。
医者に行って薬飲んではい!治りました、なんて普通ないけど、ネット情報で「はい、治りました」はもっとない。両方を適切に使おう。

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