プノンペン国立博物館で、彫像と遺跡を線で結ぶ
シェムリアップに引っ越ししてからは3回目のプノンペン国立博物館、半年に1回ペースで来ています。その間にも数々の遺跡に訪れているので、毎回新しい発見があります。
カンボジア全土に遺跡があり、その遺跡で見つかった彫像はここ首都のプノンペン国立博物館に保管されているのです。ですので、本来ならアンコール遺跡にあるはずの彫像はほぼ全てプノンペンにあり、最近ではこの博物館を訪れるたびに、彫像と遺跡を繋ぐ作業をし、頭の中で答え合わせをしています。
案内板が綺麗に、わかりやすくなっていました。この新しい案内板を見て気づいたのですが、左から時計回りに、プレアンコール期(白)アンコール期(水色)ポストアンコール期(黄色)となっています。
初めましてのガネーシャ
おや、知らないガネーシャ(象)が入り口にいました。はじめまして。
案内板を見ると、コーケー出土です。1ヶ月前にコーケー遺跡群に行ったばかりなので、とても気になります。
プレアンコール期の彫像
基本的に館内の写真を撮ってはいけないことになっていますが、一眼レフカメラ等でなくスマホで撮るのは黙認のようです。遠くから雰囲気だけ撮ります。
こちらプレアンコール期、一つ一つ説明を見ると、サンボーが多いです。
サンボープレイクック
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ロリュオス
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アンコール前期の遺跡
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アンコール最盛期(アンコールワット・アンコールトム)
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ポストアンコール
と展示がきちんと並んでいることに、改めて感動しました。というのも、遺跡巡りは天候とか体調とかによって行ける時に行ける場所を訪れるので、時代順に訪れたくても現実的には難しいのです。博物館で綺麗に時代順に並んだ彫像は、頭の中の遺跡の整理となって、とても興味深いものでした。
コーケー出土の彫像は巨大なものが多く、なんとなくは博物館で知っていたものの、実際に遺跡を訪れた後だと「これがあそこにあったのか!!」と嬉しくなりました。
1920年代の伝統舞踊の写真
こちら新しい展示品のようです。今まで無かったような気がします。以前は国立博物館の屋外にシアターがあり、毎日夜7時から伝統舞踊の舞台を見ることができました。その開幕の時に「1975年から1979年のクメールルージュで9割の舞踏家が粛清されてしまいました」という解説があり、衝撃を受けました。
やはり最高傑作、プラサットスララウのリンテル
昨年6月から挑戦し、今年2月に4回目でやっと辿り着いたプラサットスララウのリンテルを改めてじっくり見ました。
スララウを経験してからの博物館は初めてです。よくあの崩壊した遺跡からこの素晴らしいリンテルを救ったと思いました。長い間埋まっていたのかもしれません。
バンテアイスレイ以外では、スララウは唯一のバンテアイスレイ様式なのだそうです。バンテアイスレイは「東洋のモナリザ」の精巧な彫刻で有名な遺跡ですが、このプラサットスララウの彫刻もとんでもない完成度、ずっと見ていても飽きません。
唐草模様の彫りが深いこと。
このように展示されています。スララウのリンテルの完成度が桁違いです。
中庭中央に座っているライ王像はレプリカで、本物は館内にあったので、二体を比べてみました。比べてみると、レプリカなのは一目瞭然でした。本物は結構かっこいいのです。ジャヤヴァルマン7世像より好きかもしれません。
下の写真の今は仏像が展示されている角には、10年前は占い師がいました。多分、シェムリアップのワットアトヴィア遺跡などには今もいる、僧侶の占い師だったと思います。もう流石に国立博物館が国際標準化してきて、いなくなっていました。あの時に占ってもらえばよかったな。
国立博物館、設立経緯
初めてこの博物館の設立経緯が書かれている案内板を読みました。ジョルジュ・グロリエによるクメール遺品の収集・保存・芸術家育成から国立博物館が設立されたそうです。
グロリエはフレンチコロニアルの建築とは一線を画した、このカンボジア様式の建築を美術館と美術学校を統合するために設計したとのことです。
フィリップ・ローソン「東南アジアの美術」にも、よく読むとジョルジュ・グロリエの記述がありました。第二次世界大戦中にはオケオ遺跡の発掘を続けたものの、日本軍がカンボジアを占領した際にスパイ容疑で日本軍の尋問を受けて死亡したそうです。やるせないです。
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