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「キ」へのこだわり 茨城ワンダーランド

茨城という地域は異界である。
独特のだっぺ言葉というものがある。しかし、言葉のちょっとした訛りやイントネーションの違いであれば、私も福島浜通りに縁があった人間ゆえに驚くに値しない。
そういう表層的な問題ではないのだ。
例えば、茨城のことを「イバラギ」と標準語や江戸弁で発音しよう。
これはかなり命の危険を冒さねばならない試みであることをまず最初に断っておく。

大阪の茨木市では、「イバラキ」を「イバラギ」と発音しても、たこ焼きにされるくらいで済むが、茨城では「イバラギ」ということは法度なのである。
このこだわりは一体なんなのであろう。

とはいえ、江戸の人間からすれば、茨城の人の「イバラキ」という発音はどうも「イバラギ」に聞こえてしまうのだが、、
余談だが、土浦も「ツチューラ」と発音される方もいる。まあ、こちらは聞こえ方の問題であるが、ともかくも、「納豆は明治以降に普及したんだろ」、とか「佐竹が秋田に行くときにねこそぎ美人を連れて行ったから水戸は、、」などといっても問題ないのだが、うっかり「イバラギ」と言ってしまう方は常磐道は使わず、東北道の利用をお勧めする。六号線を使ってもまずいだろう。四号線は古河を通過するが、ここは茨城濃度がやや低いと思われるので、巧みに乗り切ってほしい。

というわけで、「キ」にこだわる問題は古代史を解明する以上に凡そ困難である。このこだわりやピュアさは、古くは水戸藩の水戸学にも求められそうだが、詳細はメさておこう。
ともあれ、元来の気質が極めて優れているのにも関わらず、思想的抽象度が高いためにイデオロギーに準じてしまう。予科練の学校が霞ヶ浦にあったのも示唆的ではあるが、たかが県名一つに関しても(こういう言葉も当地では述べるべきではなかろう)、生真面目なのである。

と思うと、商習慣や売っている品物も江戸ではまずまずありえないようなものが、存外と普通になされていたりとして、時にはこんなんでいいのだろうかという具合にこちらがこだわりを持つ場面も、数十年にわたる茨城フィールドワーク(「イバラギ」と入力すると「茨城」と出ますが、クレームはゲイ〇さんにお願いします)において感じてきたことである。まったく予想がつかないことの数々であり、レヴィ=ストロース風にいえば、彼らは資本主義や近代に対して、野生の思考を持って生きているという具合には言えるかと思う。ただ、茨城のすべてがそうだというわけではない。が、このことについては今後より深く考察し、学会で発表する予定である。

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