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身体とつながるということ

わたしは小学生の頃に、踊ることの楽しさを知りました。小学一年生の運動会で「踊るポンポコリン」に合わせて、ダンスを踊った時。体育の時間に振り付けがあって、楽しくて楽しくてたまらなかった。1日全部体育の時間だったらいいのになぁと思っていた。

その後、小学校3年生の時だったか、友達が習っていたバトントワリングをわたしもやりたいと言って、習い始めた。紫色のレオタードを買ってもらって、バレエシューズなんかも買ってもらってウキウキと通い始めた。だけど、初めてみたら、なんともぼんやりした感じだった。というのも、今思い返すと、自分で自分の体を思い通りに動かせなかったのだ。まあでもそれはよくあること、というより自分の体を自分の思った通りに動かすというのは結構難しいことであります。小学生だし、おそらく世間で言う”運動神経が悪い”子だったはず。だけど、これまた今思い返すと、体に意識が向けられなかったんだと思うのです。爪先を伸ばすということはわかっても、その爪先に意識を向け続けることができないといった具合だった。

一緒にバトンを習っていた小学1年生の子が、とても上手に踊っていた。それを見て、自分にはできそうもなくて、憧れるというよりは、なぜあんな風に踊れるんだろう?と不思議に思いながら眺めていた。

幼稚園とか小さかった頃、わたしは意識が身体からはみ出ていたように思う。幽体離脱ではないのかもしれないけれど、身体に意識が治っていなかった。これはとても不安なこと。どこにいても心細かった。よく小さい頃、親に「口を閉じなさい」と言われていた。口がぽかんと空いてしまうのだった。それも今ではよくわかる。自分の身体に意識が治っていないから、お口も脱力放置されていた。

大人になって、自分の人生が尽くうまくいかないことだらけで、27歳で大転倒してすべてリセットというような出来事が起きてから、初めて自分を見つめ始めた。 NLPやらカウンセリングやらコーチングやら、とにかく”自分を知る”ということに突き進んだ。多くは心を探求するようなことばかりだったけれど、同時に、心と身体が密接につながっているということに気づく出来事がたくさんあった。

その一つが、「グラウンディング」だった。わたしはずっと”立ち方がわからない”というのがあった。どこに重心を置いて立つのがベストなのか、わからなかった。自分が小さい頃からやってきた立ち方だと、剃り足で、お腹が前に出て腰がそる。これがベストではないことは感じていた。

漠然と感じていた立ち方への疑問に、答えをもらったのが、歌手でヒーラーズヒーラーの本郷綜海さんに出逢った時。綜海さんのワークショプに参加して、初めてグラウンディングを教わった。よくグラウンディングというと、地球の中心にコードをおろして〜とかいうけれど、綜海さんのグラウンディングは違った。大地にしっかり足をつけながら、自分のハートと骨盤のエネルギーを繋ぐと意図して、自分の内側に軸を感じる。つまり自分と、自分の身体とつながるということがグラウンディングなのだと知った。

グラウンディングをし始めてすぐ、わたしの内側に大きな変容が起きて、人生は思ってもいなかった方向に舵を切った。わたしがわたしの人生を生きるということが始まった時とも言える。

その後舞踊家の那須シズノさんに出逢って、”感じて動く”ダンスを3年間学んだ。濃密な3年間だった。自分の身体とつながることを探求し続けながらもなかなかその感覚が掴めずに、それでもチャレンジし続けた。当時は踊りながら、自分の動きを自分でジャッジしては苦しくなっていたんだけど、ジャッジすればするほど、頭で考えて身体を動かしてしまう。踊りながら、全然気持ち良くなかった。大好きな踊ることが全然楽しくなくなってしまっていた。

自分の身体とつながるってどういうことなんだろう?漠然と問だけが残っていたけれど、今は型のあるバレエに週1日通いながら、自分の身体に意識を注ぐ時間を作っている。自分の身体に軸を作る時間と言ってもいい。


そんなわたしにもついに、自分の身体とつながるとはどういうことなのか、”わかる”瞬間が訪れました。


その感覚は、なんと彼とまぐわっていたときに突然きたのでした。


わたしの彼はすごく自分とつながっている人。まぐわっていても、彼とつながるというより、自分とつながっている彼がわたしがわたしにつながることを手伝ってくれるような感覚がある。

そうそれで、それがどんな感覚だったのかというと、”子宮に意志がある”そんなかんじだった。自分の頭とか、思考とは別の、身体の中に意志があった。快感を取りに行こうとする意志があって、そのまま身体にすべてを委ねて、動きたい方向へ動かせてあげると、そのこと自体が快感で喜びでエクスタシーだった。快感を取りに行ったから気持ちいいんじゃなくて、快感を取りに行こうとするその意志のままに自由に動かせてあげることが快感だった!

まぐわれば、いつもいつもつながれる訳ではない。今はまだ、訓練中。だけど、これが身体とつながるということだと”わかった”。きっと踊る時も同じなんだ。頭で考えていたら、それは本当のダンスじゃない。身体につながって踊るということは、それ自体が快感で喜びでエクスタシーなんだ。そして、その動きをジャッシする隙間などどこにもない。それくらい快感なのだ。

身体とつながるためにできることがあるとすれば、日々、自分の身体に細かく意識を向けること。つまりそれは綜海さんから教わったクラウンディングなんだけど、これを愚直にやり続けるしかない。自分の身体とつながるということは、自分の快・不快を感じ取れることでもあるし、生きることそのものが快感で喜びでエクスタシーに向かうのではないかと思っている。

これからもこの探求を続けます。

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