見出し画像

結婚記念日

今日は結婚記念日。

夫と二人で朝からWBCを見て、そのままワイドショーを見て、今またWBC特番を見て、というぐうたらな1日を送ってました。

特別な何かとかないけど、平穏な1日を送れることが何より。

私が神奈川と新潟を行き来するようになった時、既に夫は定年退職をして一年くらい。

その前の二年半もコロナ禍で仕事はほぼリモート。

ずっと家にいたとはいえ、通勤してた頃と同様毎朝5時に起きて、自分で朝ごはんを用意して食べて、7時になると二階の自分の部屋に籠っていた。

退職後、毎日起きて寝るまで顔を付き合わせていると、なんとなく気まずくなったり、面倒くさく感じることも多々あった(たぶんお互い)。

うちは朝ごはんと昼ごはんは、それぞれ自分で食べたいものを作って、食べたいタイミングで食べる。

夕飯だけ、今日は何にするか相談したり、前の日の残り物だったり。それで足りなければそれぞれの冷蔵庫から自分で何かしら出してくる。

片付けは、昼ごはんの後は夫が、朝と夜は私がしてる。特にきっちり分担してるわけではないけど、こんな感じ。

結婚した当時、夫は家事なんてほぼ何もできなかった。

そのまま長女が生まれ、三年後に息子が生まれ・・・

真面目に働いてくれて、家で理不尽に怒ったりすることもなかったけど、家の中のことを察して自分から動くということはなかった。

私は一人で腹を立てたりしてたけど、もうそれすら面倒になって、夫は目の前にいないもんだと思い込むようにもなってきた。

息子が生まれて一年半後、次女が生まれた。長女はもうすぐ5歳、息子は一歳半。

二人まではどうにかなったけど、三人だと物理的に手が足りない。

上の二人は私、次女は夫の係になった。

次女が生後半年くらいたった真冬のある日。二三日前から熱を出し、熱が下がった途端身体に発疹が出た。三人目にして、初の突発性発疹?

それにしては機嫌が悪すぎる。ふと見ると、耳から耳だれ?中耳炎?

土曜の夕方。慌てて視てくれる耳鼻科を探し(隣の市)、旦那に次女を託した。

結果、中耳炎ってことで数回通院が必要。

旦那はフレックスタイムを利用して、朝耳鼻科に寄り、終わったら私に次女を手渡し、そのまま出社してくれた。


次女は三人目にして、一番育てにくい赤ちゃんだった。

よく泣く。
おっぱいしか受け付けない。
その大事な栄養源も私が疲れはてて、夕方には枯れてくる。
足りないと怒って泣く。
ミルク作る。
嫌がって泣く。
抱っこ。抱っこ。
夜になっても寝ない。
布団に置くと泣く。
3ヵ月頃からは、アトピーが痒くて泣く。痒くて引っ掻いては泣く。

正直あんまりかわいいと思えなかった。

ただ次女は夫の係りなので、上二人を寝かせる時間になると、夫の膝の上で一緒にテレビを見る。

次女が一歳半を過ぎた頃、息子3歳で幼稚園に入園した。

昼間は次女と二人きり。この頃になってようやく、次女が可愛く見えてきた。

夫に○○(次女)は、かわいくなったね、って言うと。

○○は、生まれた時からかわいかったよって。

たぶん夫は次女を膝に乗せて「○○ちゃん、かわいいね かわいいね」って呪文のように言ってくれたんだろう。

次女は物心つく頃から(自分はかわいい)と思い込んでくれて、その後更にかわいく(親バカ)成長してくれた。

言霊ってあるんだな。


両方の実家が遠くて、三人とも出産時里帰りせず何かあっても大人は夫と二人。

戦力外とか思ってごめん。
上の二人ももっと夫を頼って任せれば良かった。


子どもが3人になってから30年。

途中7年くらいは単身赴任だったので、その間に食事の用意や他の家事、弁当すら自分で作って持っていくようになってた。

今、私が実家に行くようになっても特別困ってる様子はない。

この冬、1ヶ月以上留守にして帰ってきたら、台所が夫用になったような錯覚も。

○日から実家に行くからって言って、文句も言われず送り出してもらえるのはありがたい。


子ども三人は独立、孫は無し。

今のところ、夫も私も持病はあるが、どうにか元気で暮らしている。


今後80・60介護(見守り)がどうなっていくのかわからない。

10年後は自分たちも老人の仲間入り?

亡くなった父には、「○○(夫の名前)さんを大事にしろ。こんな○○(私の名前)を嫁にしてくれたんだから。」と常々言われてた。

婆さんの今後は気になる。でも夫も大事にしなければ。

そんなことを思う37回目の結婚記念日です。

この記事が参加している募集

振り返りnote

これからの家族のかたち

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?