自分のために、文章を書く贅沢さ。【こころをDIYするnote】
私はライターを始めてから「文章を書くこと」を仕事にしてきた。
仕事として書く文章は、普段自分が書く文章よりもきちんとしていて、丁寧で、自分が知らなかったことも書けている。(調べているから)
編集者の方からのフィードバックを受けながら完成させた文章は、自分の実力以上に感じられることもあって、その記事が掲載されたWebメディアや雑誌を見ると「自分は頑張ったんだ」と認めてあげたくなる。
私は最近、兼業になったこともあってライターの仕事をセーブしている。あんなに毎日フルタイムでライティングをしていたのに、今はそんな日も半分くらいになった。そんな今だからこそ、気がついたことがある。
「自分のために書くことが、自分のライフスタイルを作る。」
だれでも、紙とペン(もしくはPC)さえあれば、いますぐできることが、自己投資になるのだと感じている。
自分を操縦するために考えを持つ。
なんだか大きな話になりそうなので、小さくまとめると、自分のために考えていることを書く時間を作ることで、頭の中で思っていたことを、アイデアを目に見えるようにできる。
日常生活でアイデアが思い浮かんでもすぐ消えてしまう。
「さっきまですごくいいアイデアが浮かんでいたのに、もう忘れてしまった…。」なんてことが起きる。
それを、その都度は難しくても、1日に1回だけでも書き留める時間を作ることで、その日のアイデアがストックされる。
毎日繰り返して、前日の分を読み返しているうちに、一週間、一ヶ月後には自分の考えを話せるようになっているはずだ。
日記もいいけれど、考えたことやアイデアにフォーカスするといいと思う。なかなか出てこない事もあるから、例えば20分と時間を決める。その時間に出てこなかったらあきらめてもいい。でも次の日も習慣にする。
自分の考えをもって、自分を操縦することで「なりたい姿」に近づけると思っている。逆に言うと、なりたい自分になるためには、自分を操縦できるようになる必要がある、とも思っている。
その一歩として、自分のために書く時間をつくってみるのはどうだろう?
自分のために文章を書くことの贅沢さ。
当たり前の話なのだけど、仕事として記事を書いて報酬をもらっている。だからこそ、自分のために書く文章は贅沢だと感じる。
特にライター1年目のときの私は、受けられそうな仕事は全部書いていたし、自分のために書くことは後回しにしていた。noteを書くことは楽しかったけれど、本当に自分に向き合える時間は作れていなかったと思う。
自分のために文章を書く時間。その時間だって、仕事を入れてしまえば報酬になるのだから。報酬につながらない時間はもったいないと考えてしまいがちだった。
でも今は、報酬が全てではないと思うようになった。生きていくのに必要なお金があればいい。自分の時間を上手く使って、楽しく生きられるような”余白”のようなものを楽しみたい。
仕事のペースも調整するものそう。可処分時間を作ることで、心が豊かになるようなことができるはず。まだ、自分のために時間を使って書くことは「贅沢」だと感じることも多いけれど、「書く自己投資」として続けていきたい。
一度きりの時間
こんなことを考えられるようになったのは、身近な人の影響が大きい。少し前に実家に帰ったときの、家族との会話。
「今回は、ゆっくりできていていいね。」
確かに前回までは、締め切りの原稿を抱えて帰省して、実家のパソコンの前で何時間も必死に仕事をしていた。でも、今回は締め切りの仕事は終わらせてきたから、家族とテレビを見ながら過ごす時間があった。
一生懸命になると、大切なものまで見えなくなってしまう。なんでもないような時間でも、一度きりの時間なのに。
本当に私の大切なものは何だろう。
もっと自分を知るために文章を書く習慣を作ってみたら、どんどん自分がわかってきたと感じている。
決めずに生きる
人の生き方はそれぞれだから、お金にやりがいを感じられる人がいて、お金が目的になる時期もある。でも、そうじゃない人もいるし、そうじゃない時期もある。
そうやって許容して生きていくうちに、自分に合う生き方が見つかるのではないだろうか。
「私はこう思う」という考えを持ちながらも、頑なにならず、自分のいいと思ったことを採用していく。
自分に合うライフスタイルを、その時々で見直す。
決めずに生きていくくらいがちょうどいいのかもしれない。
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