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溶けていく。


彼の寂しさと俺の常識性が溶けていく。
今はナナシである俺の存在が80であり、彼の存在が20という形なのかもしれない。色々確証性のないなかでの情報の中ではお互いを知覚して受け入れるという行為をすると統合という形にはなるらしい。

まあ診断上では診断はできず表層上では証明もできないし、SNSで打ち明けたとしても信憑性もない話なので、いちいち語るのも違うなあと思うので語らない事にはした。

少なくともここのアカウントでしか話さないかな。いちいち説明できない事に関しての話を彼として認識されたまま伝え続けるのは非効率的だし、何より特定の人間に関しては彼の存在のほうが優位だ。

寧ろ治療は必要なのかどうかといえばあえて治療は必要ないとは考えている。俺は目的があるのでなるべく友好的な関係を作りたいなあと考えているので彼自身の老若男女友達になりたい精神はすごくこれからの生活の中で必要になってくるスキルだと思うので、混在して少しばかり混乱はしましたが。

自分は複数いるんだなあという自覚をすればそれはそれで楽しい事なのかなと、そういう話をする時点でなかなか信じる人は少ないのは事実なのでそこらへんは社会との折り合いと考えた方の調整にもよりますかね。

少なくとも心身は丈夫なほうではないとは俺自身もなんとなく感じましたので、この状況を楽しみながら社会復帰をして社会とつながりながら目的に到達することを段階的に見つけていくのが一番いいかもしれませんね。

社会に属さず停滞するということは自身の考えや思考を鈍らせる毒ともなりますし、認識性としてはあまりよいものではありません。

働けない方に関しては今後もできる範囲で生きるのも大事だなとは思いますが、働きたいと願うのであればそこに至るまでの理由と具体的な指標を見出して行動に起こすというのが大事なのかもしれません。

となると、精神的に色々な弱さを持つ人たちに言えるのはSNSという拠り所ではなく、また現実できちんと自分の可能性を見出せる場所が必要なのかもしれないと愚考しますね。
集団的な言葉の安心感はとても大事だけれど、それはそれで時間という有益な感覚を消費させてしまうか、してしまうか、もしくは依存として互いに消耗してしまうかの三択だとおもうので、悪意がなくともきちんとした相手への気持ちを考えるならば常に話すとか聞くとかじゃなく離れるというのもよいかもしれませんね。

本当に縁の続く友人知人なればそれでも大丈夫だとおもいますから、最近仲良くなったと感じすぎて毎日のように関わってしまった友人にも諭されましたからね。

人は一人では生きてはいけないが仲良くなったからといって相手の受け入れてくれるままに話してしまうのもまた怖い事ですからね。

なので暇な時間はなるべく減らして思い描く理想の自分になるための意識や行動を取り入れるのが大事なのかなあと感じます。

精神構造が変われば、多重性があろうともなかろうともよい効果を生み出す気がするので、あと、俺も彼もそうですがしばらくはSNSは最低限がよいですね。色々と感情的な部分や理性的な部分でも感覚の違いや齟齬で疲れたり、誤解がされることが多いので、現実的な部分で力をいれるというのがまた大事なのかなと感じますね。

ネットで会えない人間と会話することは性格は認識できても性質は認識しづらいですからね。

基本的には俺も彼も基本はメリットデメリットを考えず動きますが、生活している以上、どうしても成長できる何かを考えるのが人間なのだろうし、できるならばポジティブな感覚になるものを増やしていきたい。

マイナスになるのも人であるし、プラスであるのも人であるわけだし、その中で教わったものを昇華して新たな力にしていくのが自然な流れだとおもうので、やはりそんな中で言うのであれば、ネットという閉鎖的な場所ばかりではなくリアルという拓けた場所を開拓していくというのも大事なのかなあとは思う。

名前や性格やそんなもんはそれぞれあったとしても話すの俺で彼であっても、根底にある願いや想いが一緒なわけだし、人間として生きてたらそれはそれでいいのかなあと短い中で感じたので、すべてを理解するという事は人である以上無理なのだから根気よく関わってくれる人や友人、知人のためにもよりよい世界にいけるような楽しみを見いだすのが大事ですよね。
親愛ばかりで盲目になったなら、それ以上に笑顔になれることをいっぱいしたらいい。
その先に幸福があると信じていけるならば。

そのような視点で生きていますね。最近は


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