俺が小説を書くために。
先月、実家の広島に帰省した。飛行機の練習も兼ねて、LCCでひょいっと。
交通費をケチって電車でいったもんだから、成田空港がこんなに遠いとはいざしらず、お昼前に出て広島空港についたのが19時超えといった具合だった。
練習とはいえ、これでは新幹線のほうが断然速いと、悔し涙を流したものである。
そのうえ、広島駅までのバスは1500円とかいうバグみたいな値段で、所持金を最小限にしていた俺はため息を超えて普通にキレた。
親からの着信からして、広島に帰ると俺は数段口が悪くなる。
それまで何度も、俺の帰省の日程を聞くわ到着時間を聞くわで、迎えにでもきてくれんのかと思っていたがそんなことはなく、霧深い雨のなか、俺は最低限の所持金虚しくバスのチケットを買えあぐねていたのである。
空港の銀行はとっくに閉まっている時間だったので、まずATMを探すのにさらに疲労を重ねた。
うちの親父の性格からして、頼んでもないのに送迎や云々を行うひとなので(ホテルマンなのもあるため)、まぁ事前にいってはいるし空港の立地からして迎えにくるのかもしれんと電話を二、三本かけたがつながらず、さっそくイライラしているとバスで帰ってこいとメッセがきた。
普段、無意識に他人へ期待を寄せていないためか、こと家族とのこととなると俺は「自分のことくらいわかってんだろ」と身勝手に家族に期待をしてしまっている。
だから普段に比べ、怒りの沸点がべらぼうに低い。さらにいえば、怒りの度合いも異常に高い。
まぁ、よくよく考えれば60超えた爺さんに雨の日の夜に運転はキツかろうし、俺の悪い面が出たなとバスのなかで思った次第である。
そこで気づいた。俺にとって創作とは、怒りであったと。
金銭という自分にはどうしようもできない鎖と親という権威。
自分の意思に反する現実に、けれども従ざるをえない状況に毎日俺は怒っていた。
兄姉たちはそれを俺やモノにぶつけていたのだけど、末っ子の俺にはそんな都合のいいものがあるわけにもないので、その矛先として小説を書いていたんだなと。そう思い出した。
同時に、だから最近俺の文は浅いんだなとも自覚した。
当時は怒りが憤りになることはなく、それがそのまま文章に表れていた。
けど、ちょうど2年まえ、俺は病んでいた。というか、常人より遥か自分が背負っていたものが重いのだと自覚して潰れた。
そんな思いが休学という期間を経てちょうど一年前に摩耗し、日常生活に戻り、時間とともにneutralになった。
要は丸くなったのである。人間として成長を少しは遂げ、失敗もなんだかだよかったなと騙しか事実か、納得できるようになったのである。
それは人生においては、重要な過程であったかもしれない。
けれど、それは俺の創作において致命的なものだった。
いまの俺は、心のどこかで作品に真摯に向き合えていない。登場人物たちが抱えている怒り、憤りを真正面に描けていない。
それではせっかくあのとき言葉にしてあげた自分の心を裏切ってしまっている。
最近気づいたのだが、俺の執筆はメソッド演技に近い。特に、怒りの感情を表現するときはそれがよくわかる。
けれど、ようやく今の落ち着いた精神状態を怒りにまかせて我を忘れさせるのはどうしてもできない。
すべてを投げ打って書いていたあの表現が、自分にはもうないのかもしれない。
しかし俺はなんとしてでも今ある作品を書いていく必要がある。
それがあの時、グレも死にもせずに生きてくれた俺への恩返しだからだ。
どんなに納得できなかろうが、俺はいまの俺で書いていく。
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