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前を向いてからロクでもないと言え。

誰しも幸せになりたいと思っている、ということに異論はないだろう。夢を追いかけるも良し、現状維持を求めるも良し、中身は問わないが自分にとって望ましいプラスの状況が続くことを私たちは求めている。

ただ、幸せの最高到達点「完全に満たされた状態」を求めているかと言うと、そうでもない。

「欲しいものはすべて瞬時に手に入り、好きな人にいつでも会える。自分を否定されることも怒られることもない。忙しいわけでもないが暇というわけでもなく、素晴らしく毎日が充実して・・・」


考えただけでキモい。こんな人間が地球に存在するとは思えない。いたとしても頭にターバン巻いた石油王ぐらいだろうか。

私のタイプはそんなダーバンマンとは逆に、きったねぇ焼き鳥屋でベロンベロンになりながら「幸せになりてぇよな…なぁ?」って言ってくれる人だ。

全てが満たされてしまったら人間は何も行動しなくなる。おなかが減らないと食事を楽しめない。満たされない感情というのは、たしかにストレスでもあるのだが、同時に生きるエネルギーそのものであり、人を突き動かす原動力になる。そして私はそこに人間臭さや情熱を感じ、強く惹かれている。

ということは、ここ最近、私も地面に這いつくばって泥水啜るような仕事を数ヶ月続けているので、どんどん魅力的になっている・・・はず???

誰か求婚しておくれよ。




朝9時。
顧客進捗報告。遅延している理由について大丈夫なのかとネチネチ問い質される。何を答えてもああでもない、こうでもないを言ってくるので、ひたすら「はい」を繰り返していると、次第に客のボルテージが上がっていく。打ち合わせの最後はお決まりのコントで締める。
「これどうするつもりなんだよ」
「はい…」
「はいじゃねぇだろ!!」
「はい!!いえっ、あは、すみません…」

日中
トラブル対応でひたすら打ち合わせ。そもそもが破綻してないかと思われる課題がずら~っとエクセルに書かれている。話を聞く前から吐き気が止まらない。議論しても方向性が見えないと「これどうするつもりです?」という言葉とともに決断と責任をその場で泥団子みたく投げつけてくるメンバーたち。それね、私があなたたちに聞きたいことなのよ…。

18時
エンドレスな夕会が始まる。消化しきれない大量の残骸処理を誰が対応するのかでいい大人たちが喧嘩を始める。やれ、金が足りねぇだ、それはスコープ外だ、言った言わないだ……もう、頼むからやめてくれ。ケンカの仲裁ばかりで話が全然進まない。

22時
明日からどうするのかと、プロジェクトマネージャーがミリミリと精神を追い込んでくる。いや、ここまでおかしくなったのはあなたが立てた体制がそもそ…という言葉を飲み込み、攻撃に耐え忍ぶ。オンライン上で真摯に話を聞いてるフリをして、ツイッターで富樫先生のネームの進捗を確認する。こっちは順調なんだなぁ。。楽しみだな。

25時
お肌に気をつけて大量のパイナップルを食べながら、本業の次工程の見積もり作業。一体どういう並走タスクなんだよwwwと思いながら謎の深夜テンションによって異常に仕事が進む。BGMは羊文学か、きのこ帝国。

土曜
起き上がることもできず夕方まで死んでいる。むくっと起き上がり、ドトールコーヒーへ行き、作業開始。

日曜
土曜に同じ。

かれこれ三ヶ月間この調子で、GWに奈良旅行でウハウハしてたのは前世の記憶ではないかと錯覚する。こんなにも短期間でメンタルに支障をきたすなんて、人はほんとに脆い生き物だなと、自分の置かれている状況を客観的に見て笑ってしまいそうになる。働く時間ももちろん原因の一つなのだが、本質的には出口のないトンネルを走らされる絶望的な状況に置かれることで壊れかけている。

白馬の王子様が包み込んでくれる日を心待ちにしているのだが、そんな日は来ないのも知っている。愛用のタオルケットを抱きしめて今日も寝る。




私達は不安とか心配といったネガティブな感情にとかく弱い。多くの人は、日常のささいなことに喜んでいるか?と言われれば「そんなのいちいち考えてない」だし、ちょっとした嫌なことにくよくよするか?には自信満々に「もちろん」と答えるだろう。

嫌なことは、どんな良い日も一瞬で濁す力を持っている。ゼロイチで幸か不幸かなんて判定してたら、ほぼ人生はマイナスだ。だから前を向くしかない。嫌なことがあっても「ほんとに、ろくでもねぇな」って吐き捨てながら寝て、明日を迎える。世のリーマンが飲んだくれている理由はこういうことだ。


私たちは完璧に幸せになれる山の頂上を目指しているフリして、頂上に辿り着けないものだと無意識に自覚しながら、「あれ、ちょっと近づいたんじゃない???」という道中での道草に一喜一憂している。登っていると思いこむことが幸福感に繋がっているということではないだろうか。

どんなにつらい人生でも昨日よりは幾分かマシだと思える時がある。−100が−90になったのだとしたら今日は+10の日で良い。山の頂上と現状の高低差を比較したら死んでしまう。

説教の時間が短かったなとか、なんとなく化粧のノリがいいとか、ニキビが消えたなとか、お通じが改善したとかなんでも良い。そんな日々の変化に価値を感じられたら十分すぎるほど幸せになる価値観を持ったと言っていい。「別に良いんだよ、ちょっといいことを見つけらたらそれで」と自分に言い聞かせたい。


がむしゃらに幸せを見つけようとしている人ほど幸せだ。


おしまい


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