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お肉が食べられなかった話

パプアニューギニア海産の武藤北斗さんが以前、「お肉が食べられない」ことをnoteに書いてらっしゃいました。

武藤さんがお肉を食べられないことはTwitterの呟きからも存じていたのですが、詳しい理由など知るのは初めてで。
私も一時期お肉が食べられなかったので、食べられなかった理由こそ違えど、要所要所でとても共感しながら読みました。


お肉が食べられない、もしくは自分の意思で食べないと決めている人、いますよね。
「ベジタリアン」や「ヴィーガン」といった言葉を聞いたことのある人もいるのではないでしょうか。

私がお肉を食べられなかったのは、だいたい小6〜21歳くらいまでのわりと長い期間です。

食べられなくなった原因ははっきりとしたものではないのですが… 食べ物として受け入れられなくなってしまったと言いましょうか…

「とさつ」の現場を見て可哀想で食べられなくなったというわけでも、誰かの影響というわけでもありません。
たまごやお魚、乳製品などは大好きでしたので、動物性のものが食べられなかったわけでもありません。
お肉を食べている人を見てどうこう思うこともありませんでした。

なぜ私は、もともとは食べていたはずのお肉が食べられなくなってしまったのか。

きっかけがあるとすれば小6のある時期、食欲が急低下したことがありまして。
メンタル面で何かあったという心当たりもなく… 原因は分からないのですが。

(強いて言うなら、以前 「普通」って というnoteで書いた仲良しの子に無視されたり避けられていたのが同じくらいの時期ですが、それが原因という自覚は当時の私にはなかったので分かりません。メンタルの不調と身体の不調の関連性とかその頃は考えもしなかったなぁ…)

朝ごはんも、海苔にご飯粒を塗りつけたかのような薄いおにぎり?しか食べられず(それでも朝は何か胃に入れるという謎のこだわり)

当時、近所の子たちに「ホネガリのうた」って歌を作って歌われるくらい私はガリガリに細かったのですが(本人はあんまり自覚がなかったけれど)
食欲が低下したことで、もともと少なかった体重がさらに減ってしまって、身体測定のあとに保健の先生に呼び出されて心配されるなどしました。


その頃の写真(載せるのはちょっと迷いますが)を発掘してみたのですが…

確かにこうして見ると、太ももとか今と比べものにならないくらい細いですが… 病的な細さというわけでもないような…?

運動会で組体操してるので、小6の秋頃でしょう。
食欲が落ちたのがこの辺りからだったと思うので、ここからさらに痩せたと考えると… 心配されるのも無理ないかもしれません。

※私は「ガリガリ」と言われることに対して特になんとも思っていませんでしたが、人によってはとても嫌な気持ちになることもあると思うので、もし人の見た目について発言する際は伝え方などご注意くださいませ。


しばらくして食欲は徐々にもとに戻っていったのですが、意図せず「過激なダイエット→リバウンド」状態となってしまった+成長期も重なってか、中学校入学後に一気に体重が10kgほど増えました。

そして食欲は元に戻ったものの、お肉とチョコレートが食べられなくなっていました。
しばらくまともに食べていなかったので、食べ物として受け入れられなくなってしまったのです。

そうですね…
例えば、タイヤを食べてくださいって言われたら抵抗を感じないでしょうか?
口に含むのを想像すると、うぅっ…となりませんか?

イメージとしてはそんな感じかなぁと思います。

チョコレートも、チョコ(ココア)味のケーキやクッキーはまだ大丈夫だったのですが、固形のチョコレートは無理でした。
固形のチョコレートを噛むのを想像すると、体が拒否してしまうのです。


そんな感じで、しばらくお肉とチョコレートを避ける食生活となりました。

それでも「給食は残したくない」というポリシーがあったので、中学生までは給食に出てくるお肉は食べていたのです。

しかし高校生になってお昼がお弁当になると、いよいよ本格的に食べなくなりました。
私は調理科を専攻していたので授業で調理実習があり、当然お肉料理も作るわけです。作ったらみんなで食べるわけです。でも私は食べられませんでした。

「みんなと違うことをしている」というのは、なんだかとても居心地がよくなくて、いけないことをしているような気持ちになります。
お肉を食べられないことを正直に話して、食べずにその場をしのいでいたもののやっぱり申し訳ない気持ちが消えることはなく…
私のほかにも「お肉を食べられない人」が同じ科に2人ほどいて、それだけが少し救いでした。


ある日、「(お肉を)食べたらどうなるの?」とクラスの人に訊かれたことがあります。

おそらくアレルギー反応とか、そういうのがあるのかという意味での質問だったと思うのですが、そんな質問をされるのは初めてだったので咄嗟に何と答えたらいいか分からず

「えっと… テンションがさがる?

と答えたら、相手も予想外だったみたいで「ちょっといまのは面白かった」とウケてくれました。ウケを狙ったわけじゃないんだけれどね。

「お肉食べられないとか損してる!」
と言われることもありましたが、本人的には「食べたいけど食べられない」のではなく「食べることが困難」なので、損をしているという感覚はありませんでした。

他人がお肉を食べられないからといって特に気にしない人が大半でしたが、まれに人格否定のような言葉を受けることもありました。

高校生のとき、クラスにリーダー格の男の子がいたのですが、その人に
「(肉が食べられないって)嘘やろ」
ってものすごく怖いトーンの声で言われたり、
「本当は肉食なんやろ」と言われるなどしたことがありました。

仮にお肉が食べられないのが嘘だとして、そんな嘘をついてなんのメリットがあるのか分かりませんが…

「肉食なんやろ」は最初言ってる意味がよく分からなかったのですが、あとで思えばあれは人の性格的な意味での「肉食系」「草食系」とかいう、カテゴライズの話だったのかなと思います。
気付いた時はちょっと嫌な気持ちになりました。

「大人しそうな人ほど実は…」みたいな想像を勝手にされて、「草食(純粋)ぶってるんじゃねぇよ」って、遠回しに言ってたのかな…と。

考えすぎでしょうか?
でも普段からそういう感じのある人だったので、あり得なくないかなと私は思ってしまいました。
なんにせよ、こういう話題がわたしは苦手でとても吐き気がするし心が凍ります…ね。

これはもう10年以上前のことなので、きっと彼もいい意味で変わっているであろうことを前提に、当時の私の気持ちを吐露することを許してほしいのですが…

彼は大人しそうな人、ノリのわるい人、彼に媚びない人… など(つまり気に入らない人)を主なターゲットにキツく当たるところがあったのです。

男の子の場合は言葉だけでなくプロレスのような技もかけられたりするのですが、彼はとても狡猾、頭がよくて。
「悪ふざけ」と「いじめ(暴力)」のギリギリのラインを攻めるのです。
臆病な私は、止めるべき…?といつもハラハラしながら様子を伺うしかできなくて。

もし止めに入ろうものなら、なに?本気にしてんの?こんなの冗談に決まってるじゃん?
そう言って、周りも笑って、水に流されそうな雰囲気がありました。
実際、私が気にしすぎなだけでよくあるコミュニケーションなのかもしれない…と何度も思い、結局私は何もできませんでした。

彼と同じクラスだった2年間は(彼だけが原因ではありませんが)、私にとってとても息が詰まるような日々でした。

彼は確か生徒会にも入っていたし、スポーツ推薦を受けるほどスポーツで優秀な成績もおさめていたようで、先生からの評判も良い方だったのではないでしょうか。
リーダーシップもあって、いつも人に囲まれていました。

なのに他人に対してそんな意地悪な行動をしてしまうのは、彼はどこか「さみしい人」なんじゃないか… と、当時の私は思わずにいられませんでした。
(そう思うことで自分の心を守っていたのでしょうね)

彼の言動は今でも時々思い出して心が固まるくらい、私の中で小さなしこりとなっています。

それでもいつか偶然会うことがあれば笑顔で挨拶しようと思ってはいますが、多分もう会うことはないでしょうね。


少し話が逸れちゃいました。

お肉が食べられなかった話のつづきです。
家でのごはんはどうしていたのかというと、お肉を徹底的に避けていました。
給食は残さず食べても、家ではコロッケの中のミンチ肉ひとつぶ一粒や、ポテトサラダのハムにいたるまで… よけて食べていたのです。

懺悔の気持ちで書いています。
作ってくれた母に対して、食べ物(命)に対して、本当に申し訳ないことをしていたと今でも度々思い出します。

しかし、母はそんな私を叱ったりしませんでした。
私が忘れているだけかもしれないけれど…
お肉を残したりよけたりして、母に叱られたという記憶がないのです。
お肉が食べられなくなった理由も、特に訊かれた記憶がありません。

自分が親になってみて実感しているのですが、これってなかなか出来ることじゃないです。
(良し悪しは一旦おいといて)
自分の子どもが同じ行動をとったとき、私は常に母のように構えていられるでしょうか。

母は私が高校生のときに父と別居するようになって、実家を出て行きました。
実家に残ったのは父と私、そして弟。
母に代わって私が3人分のお弁当や夕飯を作ることも増えました。
高校で調理科を専攻しているくらいなのでもともと料理は好きで、誰に頼まれるでもなく自然な流れでそうしていたと思います(父も夕食などは頑張ってくれていました)

父と弟はお肉が好きなので、肉料理を作らないというわけにもいきません。
が、ほとんど味見せずに出していました(特に美味しくないとは言われなかったけど大丈夫だったんかな…)

高校を卒業して、念願の一人暮らし。
お肉は食べないどころか、調理すらしなくなりました。

たまに「お肉たべなくて栄養的に大丈夫なの?」と訊かれることもありましたが、たんぱく質は大豆製品や乳製品、たまご、お魚などで賄えるし、特に健康面で問題もなかったので「大丈夫なんじゃないかなぁ」とふわっと捉えていました。

お肉が食べられなくても特に困ることはなかったけれど、飲み会などでは若干肩身の狭い気持ちはあったかな。
「ごめんなさいお肉食べられなくて…」と伝えて、お肉以外のものを食べればいいだけの話なのですが、どうしても気を遣わせてしまうのが、なんだか申し訳なくて。
周りも「そうなんだ〜」って言って特に気にしてる感じはなかったんですけどね。

お酒の席でお酒を飲めない人の気持ちに近いのかもしれません。
(ちなみに私はお酒も得意ではありません。体質的には飲めなくはないと思うんだけど… 味があまり得意じゃなくて。でも、お酒を楽しく美味しそうに飲んでいるひとを見るのは好きで。たまに憧れから挑戦してはやっぱり苦手だった…と撃沈しています)


そんな私ですが、今では普通にお肉を食べられます。きっかけは、結婚でした。
実家にいた頃は味見もせずに父や弟にお肉料理を作っていましたが、夫やお義母さんが食べるとなるとさすがにそういうわけにもいかないだろう…と。

最初は本当に味見だけで精一杯でしたが、少しずつ少しずつ、食べられる量が増えて… あれ?大丈夫かも?って。
チョコレートも同じくらいの時期に食べられるようになりました。

しいたけ、茄子、タコ、ひじき、あんこ、ミートソースなど…
子どもの頃はそれなりに好ききらいがありましたが、20歳頃までにはほとんどのものを食べられるようになり、むしろ大好きになったものも。
お肉も食べられるようになった今、食べられないものを探す方が困難と言えます。

たこ焼きのタコは無い方が好きだし、味も選べるならソースより塩や醤油、ポン酢が好きだけど。
ケチャップやマヨネーズをそのまま何かにつけて食べることもまだちょっとできないけど(ポテトサラダとかチキンライスとか、混ざってるのは大丈夫)
食事で困ることはほとんどなくなりました。
自分自身においては。


いま直面しているのは、わが子たちの偏食です。
小4の息子も、3歳の娘も、かなりの偏食なのです。


【偏食】
特定のものを好んで食べる、食べられるものが極端に少ない など食が偏っていること


息子に関しては3歳半の時に「広汎性発達障害」と診断されていて、発達障害の子に多く見られる「感覚過敏」による偏食の可能性が高いです。
(※偏食がある=発達障害 感覚過敏=発達障害 というわけではありません)

つまり、いわゆる「好ききらい」や単なる「わがまま」の問題で片付けてしまうのは「ちょっとまった!」なのです。


【感覚過敏(かんかくかびん)とは】
 たえられないような強い反応が身体に起こって、生活の中で苦しさや不便さがあることを「感覚過敏」といいます。
 過敏とは、感じ方がとてもはげしい、敏感(びんかん)すぎるといった状態のことをいいます。
 感覚過敏は、五感(ごかん)と呼ばれる視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚のすべての感覚で起こります。ほかに、平衡感覚(へいこうかんかく)※や温痛覚(おんつうかく)※でも起こることがあります
※平衡感覚:身体のかたむきや動き、運動の変化を感じる感覚
※温痛覚:痛みや熱い、冷たいを感じる感覚
井出先生の脳科学最前線!感覚から広がるグラデーションな脳の世界 より)


また、感覚過敏だけでなく「感覚鈍麻」というものもあります。

【感覚鈍麻(かんかくどんま)とは】
刺激に対する反応がにぶく、それによって起こる様々な困難(こんなん)や不便さがあることをいいます。
 感覚鈍麻により、怪我をしても自分で気づけなかったり、温度感覚がにぶいことで服装の調節が難しく体調不良になるような、ときに命の危険にもつながる状況が起こることがあるのです。
井出先生の脳科学最前線!感覚から広がるグラデーションな脳の世界No.3 より)


視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚などの「刺激」に対して敏感に反応してしまうのが「感覚過敏」
刺激に対して反応が鈍いのが「感覚鈍麻」
いずれもその反応によって日常生活に支障をきたしている状態です。

こうした「感じ方」の違いが、食生活にも影響を与えることがあります。


わが子たちの偏食を具体的にお話すると、

【息子の場合】

〈食べられるもの〉
白ごはん(ふりかけ可)
食パン

納豆
から揚げ
エビフライ
フライドポテト
だし巻きたまご
たこ焼きのタコなし
具なしのラーメンや素麺
バナナ、スイカ

まだあったかな…?
こうやって書き出してみると思ったより多く感じたりするのですが、上記以外のものはほぼ食べられない… と考えるとやっぱり普段の食事の選択肢は狭まります。

学校給食などは食べられないメニューの方が多いので、ごはん(パン)と牛乳しか口にしない日も。
(先生方にも息子の偏食のことはお話しています。無理強いはせずに声かけなど工夫してくださっているようです。感謝…)

食べられないものをもう少し具体的に書くと、

〈食べられないもの〉
色がついている・何か混ざっているごはん
(チキンライスや炊き込みご飯など)
カレーライス
から揚げ以外の肉類
野菜全般
バナナ、スイカ以外の果物


カレーライスは匂いの時点でダメで。
療育園に通っていた頃、給食がカレーの日は教室の外で別のメニューを食べていたくらいです(焼きそばの匂いも同じく苦手でした)
今でも時々、家でカレーの日は少し離れた席で食べることがあります。

大好きなから揚げでも、市販のものだとメーカーによっては食べられなかったり。
少しでもスパイスが効いている商品は「からい」のだそうです。
酸味にも敏感なので、トマト系のメニューは特に苦手です。
果物も、バナナとスイカ以外は「すっぱい」と感じて食べられません。
りんごジュースは飲めるけど、オレンジジュースは酸味を強く感じて苦手だったり。

ちなみにお茶も飲めません(苦いと感じるそうです)
学校へ持っていく水筒には、いつも水を入れています。
普段はそれでもいいのですが、災害時などもしもお茶しかない状況で水分を摂れないのは命にかかわることもあるので、水以外も少しずつ飲めるようにしていきたいな…


次に【娘の場合】

〈食べられるもの〉
白ごはん(ふりかけごはん)
カレーライス
から揚げ
エビフライ
フライドポテト
ゆでたまごの白身
具なしのラーメンや素麺、うどん
メロンパン
きな粉
かつお節(そのまんま食べる)


…他にもあったかもしれません。
飲み物ですが、牛乳と1日分の野菜(ジュース)は好きです。
1日分の野菜、果汁入りの甘くて飲みやすいタイプではなくて野菜100%なんですけど、これは好きみたいです。
「にんじんのむ」(パッケージににんじんマークがついてるから)ってほぼ毎日言うので、常にストックするようにしています。
(野菜ジュースは災害時の野菜・ビタミン不足予防として一般家庭でもストックおすすめですよ)
野菜が苦手な分、ジュースだと飲めるのはちょっと救われます。

あと、息子に比べて食べられる果物は多いかな。
りんご、バナナ、みかん缶、パイン缶、もも缶etc.

お魚は一時期よく食べていたのですが、最近食べなくなっちゃいましたね…。いりことか、ちっちゃいお魚はたまに食べることも。

娘が食べられないものの具体例を挙げると、

〈食べられないもの〉
色がついている・何か混ざっているごはん
(炊き込みご飯だけはなぜか好き)
食パン
お肉類
野菜全般 など


息子と同じく、〈食べられるもの〉以外はほぼ食べられない という感じです。

娘は今のところ特に診断を受けていませんが、障害の有無に関係なく、感覚の過敏はあるような気がします。
そしてやっぱり、「わがまま」や「好ききらい」の問題で片付けてしまいたくないと思います。

私は娘の通う保育園で給食を作っているのですが、園児たちがいつもとてもキレイに食べてくれるんですよね。正直びっくりしていて。
自分の幼少期をふりかえってみても、偏食とまでいかなくても好ききらいの1つや2つあって当然だろうなと思っていたので。

もちろんなかなか食べられない子もいます。
お母さんと離れるのが初めてで新しい環境に不安を感じて食べられない子、咀嚼する力がまだ十分でなくてうまく飲み込めない子、食べ慣れていない食材に戸惑う子などなど。
でも、そんな子たちも保育士さんの技術によって次第に食べられるようになっていくのです。
本当にすごいなって思うんですよ、子どもたちも、保育士さんも。

そんな中、娘はなかなか食べられるようになりません。
娘の偏食は去年から始まりました。それまでは比較的なんでもよく食べていたんです(白い食べものが好きな傾向はありましたが)

食べなくなった原因… 特に思い当たらないんですよね。
ちなみに息子も、離乳食の間はわりとなんでも食べていたのですよ。
成長とともに感覚が過敏になったり鈍くなったりするのでしょうかね。


 味覚に異常があると言えばそれまでですが、きっとたくさんの物をおいしいと感じるまで、普通の人より時間がかかるからではないでしょうか。
いつも食べられる物だけ食べていると、おとなしいかもしれません。しかし、栄養的にも人生の楽しみとしても、食事は大切なものです。
食べるということは、生きることです。
少しずつでもいいので、食べる練習はすべきだと思います。
 東田直樹『自閉症の僕が飛びはねる理由』 P.77 偏食が激しいのはなぜですか? より引用


去年の娘のクラスの給食調理担当は私ではなく、ベテランの調理員さんでした。
その頃から家でも園でも食べなかったので、味付けや調理法(作る人)の問題というわけでもなさそうです。

ベテラン調理員さんや保育士さんの技術をもってしてもなかなか食べられない娘…
やはり、単に「好ききらい」や「わがまま」で片付けてしまえない何かがあるのだと思います。

食事が苦痛になってしまっては本末転倒なので無理強いはしないけれど、やっぱり少しずつでも食べられるものが増えていってほしいという気持ちもあって。
現在は保育士さんと私とで相談しながらいろいろ試行錯誤しているところです。
(保育士さんと小まめに相談し合える今の環境も、細やかに対応してくださる先生方にも感謝でしかありません…ほんと)

娘の偏食っぷりは週に一度訪れる英語教室の先生も承知済みで、娘専用のメニューを「◯◯(娘の名前)スペシャル」と呼んでくださっています。
「スペシャル」って響き、なんだかポジティブなイメージがあるのでステキだな。

園がそんな雰囲気だからなのかな、娘と同じクラスの子たちもそんな娘のことを受け入れて、応援までしてくれているようです。
本当に、そんな環境で過ごせていることが有難くてしょうがない。
でも、これが特別なことではなくて当たり前の社会になるといいなと思うんです。

職場にわが子がいて、先生方とも小まめに話し合える環境がある故に「専用メニュー」という対応ができている部分もありますが、決してわが子だけが特別なのではなく。
アレルギーの対応と同じように、今後娘のような偏食のある子が現れたときにも、保育士さんや親御さんと相談しながらその子に合ったメニューや方法を考えていけたらいいなと思っています。
それが私にできること…なのかな、と。

息子が療育園に通っていた頃も、専用メニューがありました。
1年目はふりかけごはん、2年目は鮭ごはん。
お魚、高いのに… 息子のためだけに常に焼き鮭を用意してくださっていたんですよね。

息子の他にも偏食のある子が多く、やわらかくした芋類しか食べられない子や、ポップコーンしか食べられない子、某メーカーのごませんべいしか食べられない子など様々で、調理員さんは一人ひとりに細やかに対応してくださっていました。すごいですよね…。

わが家は息子が大好きなものを娘が苦手だったり、その逆だったり、そして実は夫もなかなかの偏食なので、全員が食べられるおかずといったら「からあげ」と「エビフライ」くらいでしょうか?
だからといって毎日からあげ、エビフライというわけにもいかず…

一応料理が好きと言いつつも、家庭内にこれだけ偏食の人がいると毎日の食事を用意することはなかなかしんどいこともあります。

子どもたち、正直言って白ごはん(ふりかけごはん)しか食べない、なんて日もざらです。
よそのお宅がうちの食事風景を見たらびっくりされちゃうかも。
一応、お供え程度にお皿にのせて食卓に並べてはみるのですが手付かずだったり、食べても1時間2時間… かなり時間がかかったりしています。

家でも基本的に食べることを無理強いはしていないのですが、本人の意思を伺いながら「チャレンジ」をすることも。
本当に、長い目で見ていく必要があります。
少しずつでも食べられるもの、「おいしい」と思えるもの を増やしていけたらいいな。


今のところ2人とも目に見えて大きな健康被害はないのですが、目に見えない部分ではどうか分かりません。なんてったって目に見えませんから。
今は健康でも、この先はどうなるか…?

私たちの体が、食べたものでできているということ。
これはおそらく揺るぎない事実で。
今食べているもの、習慣的に口にしているものが数年後に体や心にどのような影響を及ぼすのかは分かりません。

常に眠くて怠くて日常生活がままならない、という人が小麦食品を控えたら体調が良くなったとか
甘いものを控えたら慢性的な体調不良が改善した、なんていう話も聞きます。
食べものと体質の相性みたいなものってあるんじゃないかな。
(ちなみに私はカフェインレスじゃないコーヒーを飲むと高確率で具合がわるくなってしまいます。
あと、ミント系のお菓子をたべると… お腹が空く気がします)

体調やメンタル面での不調が、実は「食べたもの」の影響を受けていたってことが、あると思うんです。

何を食べるかの「選択」次第で、大袈裟に言うと「未来」が変わってくることもあるんじゃないかなって。

大人は自分で選択できますが、子どもが小さいうちは、その「選択」を親やその他の大人が担うことになります。
責任重大というか、私はけっこうプレッシャーに感じることも多くて。
よく言われる「いつか食べるようになる」という言葉に安易に安心しきれないのも、そういう責任を感じてしまうからなのかもしれません。


偏食なわが子たちですが、おもしろいな〜と思うのが、なぜか柿の種(お菓子)は2人とも好きなんですよ。辛いのに。謎〜

あと、息子はたこ焼きのソースは大丈夫だけど、焼きそばのソースは苦手だったり。

でも私も、トマトやトマトジュースは好きだけどミートソースやケチャップは苦手だったりしたもんなぁ。

だいたいの人は、そんなふうに「矛盾」(に見えること)を抱えて生きているのかもしれません。


 実は蚊も叩けなくなりました。蚊とエビは何が違うのか余計にわかりません。さらに白状すると、寝ている時に蚊がいると叩いて殺しています。自分でも都合のよい考え方だなと思います。
 でも食べないのも、食べるのも、殺す時があるのも、殺さない時があるのも全て自分のその時の明確な意思なんです。なんでもかんでも理屈で説明することなどできないし、そんなことをしようとするから、嘘をついたり思ってもないことを話す癖がついてしまうんじゃないかと思ったりもします。
 そう考えると僕が理屈を追求していくときは、誰かを責めようとししている時なのかななどと今書きながら思ったりしています。
武藤北斗さんのnote お肉[コラム投稿]より


「感覚過敏」と「感覚鈍麻」もそう。
どちらかだけっていう人は少なくて、多くの場合は過敏と鈍麻を併せ持っているものなのだそうです。
音の刺激には過敏だけど、痛みには鈍感… といった具合に。
また、苦手な匂いにはとても敏感だけどそれ以外には鈍感だったり…
「過敏と鈍麻は同居し得る」ということを知らない人から「なんだ、嘘じゃん」と誤解を受け、つらい思いをする当事者もいらっしゃるのではないかな…。

はたから見ると「矛盾」しているように思えることも、実はグラデーションのように複雑に混ざり合った状態で成り立っているのかもしれません。

だからこそ、ものごとを一面だけで判断して批判するのは危険だということをいつも頭の隅に置いて発言したり行動したりしたいな… と私は思います。


偏食など食に困難を抱えるお子さんをもつ親御さん、日々の食事で大変なことも多いのではないでしょうか。
悩んでいるとき、「いつか食べるようになるから大丈夫だよ」という言葉をかけてもらったことがある人もいるかもしれません。

息子が療育園に通っていた頃、私もよく園長先生に言われました。
「大丈夫、小学生になったら食べるようになるよ」と。

しかし息子は小学4年生現在でも、相変わらず偏食です。
ふりかえってみると小さな進歩や変化はありましたが、一度食べたからといってそのままずっと食べられるようになるわけではなかったりするのが難しいところ。

私は、子どもの偏食で悩んでいる保護者さんに「大丈夫、いつか食べるようになるよ」と声をかけることは多分できません。
その「いつか」がまだ訪れていないからです。

もちろんこの言葉に励まされる場合もあるでしょうし、言葉自体は悩んでいる親を安心させたい気持ちから出てくるものだと思います。
もしくは何と声をかけたらいいか分からないときの、当たり障りのない挨拶のように使われる場合もあるのかな。
でも、その「いつか」がなかなか見えてこなくて苦しさを抱え込んでしまう人もいるのではないでしょうか。

私がお肉を食べられなかったとき、母は食べることを無理強いしませんでした。
それが私にとってどんなに心強く、心を守ってくれていたのか、今になってようやく分かるようになりました。

結果的に今ではほとんどの食べ物を食べられるようになりましたが、これは他人にも私自身にも予想できなかったこと。
いつ訪れるかも分からない「いつか食べるようになる」日に望みを抱きつづけるのは、とても気が遠くなる思いだったんじゃないかなぁ… と、母に想いを馳せます。

いっそ過度に期待せず、「食べられるようになったらラッキー」くらいの気持ちでゆったりと構えていた方がいいのかもしれません。

しかし、周りの人や環境がそれを許さない場合もあるでしょう。
まだまだ世の中、偏食に理解のある人ばかりではありません。
身内ですら、「そんなのワガママだ」「甘えだ」
「親が甘やかすからそうなるんだ」と偏食を非難することもあります。

当事者は様々な意見の間で気持ちが揺れて、理解と批判の声の板挟みとなって、相当つらいこともあるでしょう。

誰になんと言われようと私はこうする!という強い意志と自信があればいいのですが、私はいつも周りの声に惑わされてしまいます。
何が正しいのか、どうあるべきなのか、すぐに見失ってしまうのです。
(おそらくこの文章もブレッブレだと思う)

時には子どもたちにとっていちばんの味方でいなければならないような場面でも、周りに流されて子どもを責めてしまうことさえあります…。情けない話です。

私がもっと強ければ… もっとちゃんとみんなに説明できれば… 何度そうやって悔いたことでしょう。

そういう人にも納得してもらえるよう上手く説明できればいいのですが、なかなか難しい。
感覚は、目に見えないものだから。
見えないものを説明するのは、とても難しい。

自分の「感覚」ですら正確に理解できているのか危ういのに、わが子といえど他人の感覚だなんて、その人に憑依でもしない限り、本当の意味で理解はできないと思います。

息子がカレーの匂いや味が苦手ということは理解できても、それが実際にどれくらいのレベルで苦痛なのかを体感することはできないのです。

同じものを見て、聴いて、食べて。
感じ方は人それぞれです。
だからこそ、自分にとって理解しがたい行動をとる人を見たときに大切にしたいのは、頭ごなしに否定したり、責めたりしないこと。

まずは「どうしてなのかな?」と疑問をもってみること。
完全には理解はできないという前提で、それでも想いを寄せてみること… なんじゃないかな。

これがほんと、難しいんですけどね…。
私も全然できてないから偉そうに言えないです。



自閉症の人の偏食が「Don't want・食べたくない」じゃなく「Can not・口にできない」であり、無理強いするんじゃなく配慮が必要なんだなって知ってくださる人が少しでも増えてくれたら嬉しいです。
そしていつか、「食物アレルギーがあるから」と同じくらい「自閉症の特性による偏食です」って言って「あ、そうなんだね」と納得してもらえる日が来てほしいなって思います。


本当に、そんな日が来たらいいなと思います。

アレルギーや障害の有無だけでなく、お肉を食べられない、または食べないという選択にも「あ、そうなんだね」とカジュアルに話せるような社会になるといいな。



思いのほか話が広がってしまいましたが、お肉が食べられなかった私の話に戻りつつ最後にちょっと「飯テロ」?します。

お肉を食べられるようになった私が、とても食べてみたいお肉料理があるのです。

それは、新大阪駅の駅中にある『レストラン ヨコオ』さんのミックスサンド

ミックスサンドと聞いておそらくイメージするレタスやトマトやハムとかたまごが挟んであるものでなはなく、
牛フィレ肉のカツ厚焼きたまごのカツのミックスサンドです。

お腹が空く覚悟でぜひとも「ヨコオ ミックスサンド」で画像検索していただきたいのですが、牛フィレ肉のカツはとても分厚くてお肉の「レア」な感じがなんともそそられます。

(今回のトップ画像に「みんなのフォトギャラリー」よりお借りした写真はヨコオさんのサンドイッチではないかもしれませんが、イメージとしてはこんな感じです。わたなべさん、ぴったり素敵なお写真ありがとうございました!)

まだお肉を普通に食べていた幼少期、誕生日には必ず「牛肉のたたき」(今はローストビーフっていうのかな?)をリクエストしていた私。
ちょっと赤みの残るレアな焼き加減がもともと好きなのです。
レアなお肉って、お刺身感があるような気がして(お刺身大好き)

このお肉がまた非常にやわらかく、とろける美味しさなのだとか。

そして、厚焼きたまごカツのサンドとセットなのがまた素晴らしい。
そもそも厚焼きたまごのカツってあんまり聞いたことない気がするのですが、素晴らしいアイデアですよね。
想像してみてください。
サックリ衣を纏ったふんわりぷわぷわの優しいたまごやき。それを食パンがやわらかく包み込んで…
うぅ、間違いなくおいしいです。

ずっと食べてみたいと思っているのですが、新幹線に乗ることが滅多にない(店舗は駅構内にある)ので、なかなか叶わずにいます。
新大阪には電車一本で行けるのに… うぅ。

もしもいつか私が新幹線に乗って県外へ行くようなことがあれば、ぜったいヨコオさんのミックスサンドを食べるぞー!と心に決めているのです。

これを読んで、食べたくてたまらなくなってしまったあなた。
今はなかなか気軽に県外へ行けない状況ではありますが、いつか新大阪駅にお立ち寄りの際はぜひヨコオさんのミックスサンドを思い出してみてくださいね。

以上、「お肉が食べられなかった話」でした。




【参考にした・引用した文書、リンク】

 まず、今回の記事を書くきっかけとなった パプアニューギニア海産の武藤北斗さんのnote
普段は自身の会社の「働き方」について主に書かれています。

息子の療育園時代、いろんな事情が重なって仕事が続かず、アルバイト転々として社会人としての自信も失いかけていた頃の私にとって、存在が希望の光だった会社。
私がnoteを始めるきっかけにもなったエビ工場の工場長さんなのです。


 感覚過敏や感覚鈍麻、偏食については今回かなり端折って書いてしまったというか、伝えきれていない部分もありますので、
個人的にもっと知りたいな〜と思った方は以下のリンクやその他の詳しい情報も参考にしてみてくださいね。


・井出先生の脳科学最前線!
感覚から広がるグラデーションな脳の世界

はじまりに寄せて。

質問1:感覚過敏(かんかくかびん)ってなんですか?

質問3:感覚鈍麻(かんかくどんま)ってなんですか?


・著書 『自閉症の僕が飛びはねる理由』 東田直樹

口頭での会話ができない自閉症の中学生(執筆当時)、東田直樹さんが綴った心の声。
他人の目には「どうして?」と映るような行動の理由が当事者の目線で語られている貴重な書です。
読むと、少し他人にやさしくなれるような気がします。


・チャビ母さんのnote

自閉症の人の不思議な感覚の世界 #とは

好き嫌いとは別次元な”自閉症の人の偏食”。「食べたくない」じゃなく「食べられない」んですよ!

チャビ母さんのnoteは、私がnoteを始めるよりも前からTwitterを通して拝見していたのですが、穏やかで分かりやすい文章がいつもすっと入ってきます。
子どもたちに接する上で参考にしたいことがたくさん書かれてあり、蛍光ペンであちこちラインを引きたくなるほど。
何度も繰り返し読みたいnoteがたくさんです。


 発達障害や偏食のある子を見守るとき、傍目にはなかなか成長が見られず、もどかしいかもしれません。
焦る気持ちから、無理強いしたり責めたりしたくなるかもしれません。
でもこれはお互いにツラくなるだけ…。
(しかもだいたい問題は解決しない)

そんなときには、こういった専門的な知識や経験のある方々のお話がなにかヒントになるかもしれません。
どうして?の「理由」が分かれば、何か手助けできるかもしれない。
無理強いや、責める以外の方法で、お互いにとってベストな方法で解決できるかもしれない。

そしたら、その子のゆっくりとした成長スピードや、独特の「感じ方」が魅せてくれる世界を「素敵だなぁ」「おもしろいなぁ」って思える心の余裕が増えてくるんじゃないかと思うんです。
私は、そう思える瞬間を増やしていきたいです。


どうか、いま悩んでいる人たちがもっと楽に生きられますように。

ではでは、最後までお読みいただきありがとうございました。

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