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「普通」って

3月14日、ホワイトデーが近づくと思い出すことがある。

私が、小学4年生くらいの時のこと。
同じ登校班の3つ年下の女の子が、バレンタインに好きな男の子へチョコを渡した。
そしてホワイトデーの放課後、いつもの登校班メンバーでいっしょに遊んでいたら、なんだかその子が元気なくって。
「バレンタインのお返しもらえなかった…」
そう言ってしょんぼり悲しそうにしてる。

そこへ誰かのお母さんらしき人が近付いてきて、その子に何かを手渡した。
その瞬間、その子は「やったー!やったー!!」って大きくジャンプして喜んだのだ。

どうやら、学校にお菓子?は持っていけないからその男の子のお母さん?が届けに来てくれたらしい。

「初恋」というものがまだだった私には、
お返しもらえなかった… としょんぼりする顔も
やったー!と飛び跳ねてよろこぶ姿も、とても眩しく思えて。

「人を好きになるってどんな感じなんだろう」
「いつか私もその感情を知りたいな」
そう思ったのだ。


最近、ある漫画を読んでいる。
Twitterのフォロワーさんが以前つぶやいているのを見てから密かに気になっていた「青のフラッグ」
今(3月末まで)なら、ジャンププラスというアプリで初回のみ全話無料で見られるようになっている。
しかも来月には最終話が公開されるのだとか。

(あっ この先ほぼ個人的な話ではあるものの漫画の内容に多少は触れるかもしれないので…。
ネタバレではない…と思うんだけど、なんとなく作品のテーマは見えるかもしれないし、何をネタバレとするかは人によって違うと思うので… これから読むかもって方は一応ご注意くださいね)


なんかこう、グッサグサ刺さる。
つづきが気になって早く読みたい気持ちと、大切にじっくり読みたい気持ちとがせめぎ合っている。
今はありがたく無料で読ませていただいてるけど、いずれちゃんと買って読みたい。何度も読み返したい。そんな作品。

登場人物のひとりであるマミは一見自分とは真逆のタイプに見えるけれど、32話まで読んで彼女の本心を知って、あぁなんだか自分と似てるとこあるなと思った。高校生の頃の自分を見ているみたいだ。

何話か忘れたけど、真澄の「〝普通は〟そうだよね」という言葉も刺さる。

私は、私じゃない誰かを引き合いに出されて「普通は、普通は」って言われてきて。
つまりは「普通じゃない」って言われつづけてきて。
でも私にとってはこれが「普通」なんだよ って。
あなたが「普通は」って言ってるその人たちは私じゃないでしょ?
それでも、何度も「普通は、普通は」って。
私は「普通」でも「普通じゃない」でもない、ただの私なんだけどな… って。

でもまぁ「そっかぁ、そうなんだね」で済む話でも、夫婦間でとなると…そういうワケにはいかないのかもしれないけれど。


高校生のとき、好きな男の子がいた。
でも、それが友だちとしての「好き」なのか恋愛感情としての「好き」なのか分からなかった。
大人になってから「もしかしたらあれは初恋だったのでは?」と思ったりもしたけれど、やっぱり違う気もして…結局よくわからない。

彼のことを好きになったきっかけは…
あっ、もともとその人とはバンド(ほとんど活動することなく解散したけれど)を組んでいて、そのときは特別な感情はなかったんだけど…
その人が家庭の事情でバンドを抜けるってなったときに、メンバーは他にも2人いたにもかかわらず
「信頼できる人にいちばん最初に話したかったから」
という理由でまず私に相談してくれて。

知らなかった。
自分のこと、そんなふうに思ってくれていたなんて。でも、うれしかった。
「わたし、信頼されているんだ…」って。
だから、私も信頼したいと思った。その人のことを。
それがきっかけのように思う。

彼がバンドを抜けてから、バンドを組んでいたときよりも彼と話すようになった。
好きなアーティストが一緒で… っていうのもあるけど、それは単なるきっかけと理由のひとつに過ぎなくて。
一緒にいると楽しくて、心地良くて。
いつの間にか彼の存在はわたしの中で大きくて大切になっていた。

と同時に、まわりに勘違いされることも増えてきて。
仕方ないのかもしれないけど、男女がいっしょにいるとそういう風に見られる、その感覚がなんだか苦手だった。
私たちそういうのんじゃ、ないんだけど… って。

「好きです。付き合ってください」
「はい、よろしくお願いします」

付き合ってなきゃ、約束してなきゃ、男女が一緒にいるのはおかしいんだろうか。
一瞬にいたいと思うから一緒にいる、それじゃダメなんだろうか。

とりあえず私は彼ともっと一緒にいたかったし、もっと信頼し合える関係になりたかった。
でも、もともと人を頼るのが下手だから具体的にどうしたらいいのか分からずにいて。

「信頼」って、なんだろう。
もっと彼に心を開きたい。
そして彼も、必要なときは私を頼ってくれたら嬉しい。
どっちかだけ負担が大きくならないように、できれば同じくらいに。持ちつ持たれつ、みたいな。
そのためには、まずは自分から動かなきゃと思った。

当時、個人的に勇気を出したいことがあったもののなかなか1人では一歩踏み出せずにいて。
そうだ、彼に力になってほしい。そばで見ていてほしい。そう思った。
よし、今度彼にそのことを話してみよう…!って

そう決意した矢先のこと。
ある日の放課後、用事があっていつもとは逆方向に自転車を走らせていたら、見てしまった。
彼と、女の子が一緒に帰っているところを。

私の中に「ある憶測」が浮かんで、動揺した。
動揺している自分に動揺した。
そして、自分だって結局は男女がいっしょに並んで帰っているだけでそういうふうに捉えてしまってるんじゃん って、そのことにもショックを受けた。

一緒に帰っていた女の子は、1年生のとき同じクラスだったし私も比較的よく話していた子だ。
二人はもともと同じ中学出身だし、仲良くたっておかしくないよ…ね。

後日、二人が付き合っているという噂が耳に入ってきて。
もう、私は彼のとなりにいられない。いちゃいけない。そう思った。

「彼女」ができた「友だち」に、どう接したらいいのか分からなくなってしまった。
そんなの別に今までどおり普通に話しかけたらいいじゃない って、思われるかもしれない。
でも私にはできなかった。

私は「女」で、彼は「男」だから。
自分はそんなつもりじゃなかったとしても、まわりにはそうは見えないかもしれない。
変な噂になるのはいやだ。誤解をさせるのはいやだ。
彼にも彼女にも迷惑かけるのはいやだ。

こんなふうに思う理由には心当たりがある。
小学生のとき、仲良くしていたはずの子に急に無視されたり避けられたりするようになったことがあって。どうして無視されるのか分からなくて、どうしたら仲直りできるのか分からなくて、毎日とても不安でしょうがなかった。

そんな日々がしばらく続いたけれど、卒業間近になって突然、その子が今まで無視してごめんねって謝ってきたんだよね。
どうにも、その子の好きな男の子が 私のことを好きだったらしい。それが嫌だったから、無視してたって。

「こういうの、大人の言葉で〝嫉妬〟って言うんだよね…」
とその子は言った。
そっか、その子も自分の初めての感情に戸惑ってどうしたらいいか分からなかったんだ…。
彼女も彼女で苦しかったのかもしれないな。

私はただただホッとした。
ずっと、私が何か嫌われるようなことしたのかと思っていた。その子にひどいことを言ってしまったのかなとか、思っていたから。
これでまた前みたいに話したり遊んだりできるかなと思っていたのだけど…
中学生になると同時に彼女とは疎遠になってしまった。
多分だけど、彼女にとって私は子どもっぽすぎたんだと思う。成長とともにそのズレが大きくなってしまった。
それかやっぱり、関係を結び直すのは難しいってことなのかもしれない。

彼女との一件は落着したように思っていたけれど、私の中で無意識のうちにトラウマのようになってしまっていて。
もともとそんなに男子と話す方ではなかったけど、その出来事があってからは男子と話すときに身構えるようになった。
男の人の前では、笑顔もぎこちなくなった(笑うと好きになられるからあの人の前で笑わないでって言われてた)
特に誰かが想いを寄せていたり、彼女がいると分かっている男子とは、なるべく関わりたくない。
男女でも問題なく友だちでいられる人もいるだろうけど、私は加減が分からないから、どのくらいまでセーフでどこからアウトか分からないから、それなら最初っから話さないのが安全だと思った。

話を高校生時代に戻すけれど、そんなこんなな過去があって、私は彼から距離を置いた。
「嫉妬」や「誤解」が、怖いから。
また、あのときみたいになりたくないから。
友だちを、失いたくないから。

彼への接し方が分からなくなった私がとった行動は「彼を避ける」ことだった。極端なほどに。
あからさまに無視するのはしんどいから、そもそも彼と会わないように行動した。
2年生から違うクラス(隣だけど…)になっていたから、自ら会いに行こうとしなければある程度回避もできた。
(と言っても彼と同じクラスの彼女さんの方とは普通に話せていたんだけどね。やっぱり…「女同士」だからかな)

本当は顔を見たかったし、前みたいに話したかったから、会えないのも話せないのもしんどくてしょうがなかったけれど。
でも、もしも私の異変に気付いていたなら(気付いてたとは思うけど)私よりも彼の方が辛かったんじゃないかと思う。
急に避けられる不安も痛みも、私は知っているはずなのに…。

「信頼」できる友だちができて嬉しかった。とてもとても嬉しかった。
それが、たまたま男の子だっただけだ。
そして私が、たまたま女だっただけだ。

彼が女の子だったらよかったのに。
それか、わたしが男の子だったらよかったのに。
誰から見ても「友だち」だったなら、彼女のいる彼と今まで通り仲良くしても何も問題はないはずなのに。

ああ、そうか。だから「約束」は強いのかな。
言葉ひとつ交わすだけでも。
でも、彼とそういう「約束」をしたいという気持ちは私の中になかった。
付き合うってなんだろう。付き合いたいってどういう感情なんだろう。

彼と一緒にいるととても気持ちが穏やかだったけど、ドキドキしたことがなかったわけでもない。
でもやっぱり「付き合いたい」という感情は分からなくて。
私の彼に対する気持ちは一体なんなんだろう?
ずっと分からなかった。

彼と話せないまま2年近くが経って、高校卒業が間近になった頃、2人が別れたという噂が流れてきた。
だからと言ってすぐさま彼に話しかけられるわけでもなかったのだけど、ある日の放課後たまたま駐輪場で鉢合わせて。
無視できる状況でもなくて久しぶりに挨拶して言葉を交わしたら、ずっと真冬みたいだった心が一瞬にして春風で包まれた。
懐かしすぎて、あたたかくて、うれしくて。
その日から私はもう一度、彼と話せるようになった。

私は大阪の専門学校へ、彼は福岡の専門学校へ行くことが決まっていたけれど、旅立ちまでの間に彼と何度か遊んだり映画(共通の好きなアーティストが主題歌を担っていた)を観に行ったりもした。

「ずっと好きだった」と気持ちを伝えたこともあった。
長い間避けていてごめんなさい、決して嫌いになったわけじゃない、そのことを伝えたくて出た言葉だった。
ずいぶんと勝手な発言だったにもかかわらず、彼は
「どういうニュアンスであれ、好きって言われるのはうれしい。ていうか今自分でもびっくりするくらい嬉しい」
そう言ってくれた。

私にとってそれはいわゆる「愛の告白」ではなかったし、彼もおそらくそれを分かっていた。
実際、私たちのどちらからも「付き合う」という言葉は出てこなかったし、そのことに安心していた。
これからも、友だちとしてよろしくね。
旅立ち前の最期に会った日は、握手をして「またね」と別れた。

進学してからもメールで近況報告し合ったりして、離れていてもずっとこの関係でいられるような気がしていた。
ある日、彼から荷物が届いて。中身はジャムだった。
学校のインターンでフランス?へ行った際に買ったお土産らしい。
旅先で、わざわざ私のことを思い出してくれたということが嬉しかった。

彼に最後に会ったのは、地元での成人式の日。ほんの一瞬だったけれど。
その日を境に彼とは連絡をとれなくなってしまった。

今はどこでどうしているのか分からない。
縁起でもないけど、生きているのかどうかさえ分からない。
どこかで幸せに暮らしていたらいいのだけど。


時は流れて、いろいろあって、私は今の夫と結婚した。
結婚したからと言って恋愛感情を理解したのかというと…実はいまだによく分かっていない。

夫と付き合うに至るまで、私は夫に3回告白されて2回断っている。
恋愛感情としての「好き」が分からなかったし、「好き」でもないのに付き合うのは失礼なんじゃないかとずっと思っていたから。

私の両親は私が中学生のときくらいから仲が悪くなって、私が高校3年生のときに離婚している。
母は私が恋愛に興味がないことを自分たちのせいだと思っていた。

「あんたもいつか結婚とかするんかなぁ」
知人からの結婚しました報告のハガキを見ながら、ふとそう溢したあとすぐに
「お母さんたちを見てたら、結婚したいとか思わないわなぁ…」と。
申し訳なさそうに笑った母の顔が忘れられない。

私はずっと思っていた。それは違うよ、と。
私が恋愛に興味がないのは私がそういう性格だからだよ。親がどうだとか関係ないよ。
恋愛や結婚=しあわせ とも思っていないし、私には他に好きなことやりたいことがあって、だから興味がないだけだよ って。

でも、今の夫からの3度目の告白のときに思ったんだ。
どうしてここまで頑なに拒むんだろうって。
どうして恋愛感情が持てないんだろうって。
無意識なだけで、実はそうなのかもしれない って。母の言う通りなのかもしれない、自分でも気付かないうちに両親のことが私の中で引っかかってしまっているのかもしれない って。

一度、誰かとお付き合いしてみたら何か分かるかもしれない。そう思った。
だから、「好きになれるか分からない。それでもいいなら…」
と言って、それでもいいと夫が言ったから、付き合うことになった。
そしてなんだかんだ(省略)あって結婚までして今に至る。

「人生は選択の連続だ」って言葉をよく見聞きする。
基本的に、いま現在こういう状態の自分が「ある」ということは、「もしも…だったら」とか「あのときこうしていれば…」みたいな「たられば」な自分は存在しなかったんだ(だから考えてもしょうがない)って思うんだけど…
そうは言っても考えてしまうし、悩みもする。
後悔…してしまうときだってある。

でも、最後はいつもこう思うしかない。
「あれがあのときの最善の選択だったんだ」って。

だからあの時はきっとそれが最善の選択だったのだと思うしかない。
自分は何者なのか?という問いは、私が心配しようがしまいが、息子に障害があろうがなかろうが、おそらく避けては通れない道だから。
私は息子ではないから、答えは息子が自分で見つけていくしかないのかもしれない。
大丈夫。どんな名前で呼ばれたって、息子は、息子だ。

これは先月、私がrockin'onに投稿したGOMESSさんの音楽文の中の一文なんだけれど、
青のフラッグの中でも近い台詞が出てきてドキっとした。

わりとここ最近(去年とか一昨年くらい)になってアセクシャル(アセクシュアル)という言葉を知る機会があって、自分もしかしてそうなのかな?って思ったりしたこともあった。
いろいろ調べていると他にもアロマンティックなどの言葉にも出会って「あ、これ私のことかな。うーんでもここはちょっと違うかな」などと考えれば考えるほど自分が一体何者なのかが分からなくなった。

自分の輪郭が見えてきたかと思ったら、ぐにゃぐにゃに歪んで見えなくなる…の繰り返しで、最近は同じようなことばかりに考えをめぐらせている。
今までは、自分が何者かなんて考えても結局よくわかんないからあんまり考えてこなかったんだけれど。
今は私にとってそういうタイミングなのかもしれない。

前のnoteで「名前」について触れたけれど、名前をもらう・もしくは名前を知ることで安心する場合だってあるんだよね。居場所をみつけたかのような。

小学生のときの彼女の「嫉妬」の件も、自分の感情が「恋」なのかなんなのか分からなかった件も。
掴み所のない感情に名前がつくことで視界が開けて前に進めることだってある。
人にも伝えやすくもなるかもしれない。

自分には偏見がありません、差別心も一切ありませんって人は多分いないと思う。
この文章にもきっと、それらは含まれていて。
私が気付いていなくて、読んだ誰かが気付いて「ちょっとやだな」と思うようなことだって書いてしまっているかもしれない。
できれば自分でも気付きたいけれど、気付けないこともある。

でも、思うのは…
障害のこととかセクシュアルマイノリティのこととか、もっとカジュアルに話せる世の中になれないかな って。
異物や腫れ物に触れるようにじゃなくて、ね。

マイノリティって少数派って意味だと思うけれど、本当は思っているより多いんじゃないかな。
一見「普通に」結婚してたり幸せそうに見える人たちだって、本当のことは分からないと思う。
「普通」ってほんとうに何だろうね。

ここに書いていることは傍から見たら矛盾だらけなのかもしれない。
結婚もしていて、子どももいる私では説得力がないかもしれない。信じてもらえないかもしれない。
でも、少なくとも私の中では、必ずしも矛盾しているわけじゃないと思えるし、あり得ない話でもないと思っている。
なかなか、理解は得られないかもしれないけれど。私もうまく伝えられないし…。

好きとか恋とかやっぱりよく分からない。
こんな私が夫婦生活を一応10年近くつづけているのって、なかなかすごいんじゃなかろうか。
なんて、突然の自画自賛。もちろん私ひとりの力ではないけれど。
何度か危機はあったし、これからもあるだろう。
こんな調子でどこまで続いていけるのか分からないけれど、決めたからには一応、一生添い遂げるつもりではいるのだ。
よっ…ぽどのことがない限り。少なくとも私は。


私は「恋愛感情」を知っているんだろうか。
それともまだ知らないんだろうか。
分かる日が、来るんだろうか。

もうすぐ3月14日、ホワイトデーがやってくる。

「人を好きになるってどんな感じなんだろう」
「いつか私もその感情を知りたいな」

そう思った小学生のときから、私は変われているんだろうか。
これから先、変わることはあるんだろうか。
変わらないかもしれない。変われないかもしれない。

それでもいいと、あなたが思ってくれるなら。
いや、思ってもらえなくても。

「私は」それでいいって胸を張りたい。


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