お肉 [コラム投稿]

 2011年の冬頃からお肉が食べられなくなりました。ある日もう食べないと決断したのですが、これが今まで続いています。

 昔は焼き鳥もバーベキューもチャーシューも大好きでした。というか、大学生の頃は焼肉屋さんでアルバイトをしていました。でもその頃から唯一、牛タンの厚切りだけは焼いてもどんな調理をしても食べることができませんでした。なんだか食感がイメージしてしまうんです。これがベロだってことを。そして自分の舌を噛んでしまった時の感触を思い出すのです。でも薄切りは大丈夫で、どちらかというと好きでした。

 もちろん自分から厚切りを注文することはないのですが、お店によって好意でというか、こだわりで厚めなんてことはよくありました。そのうち中くらいの厚さでも嫌になってきて、舌を噛んだ時に牛タンを思い出すのではなく、牛タンを食べている時に自分の舌を思い出すようになり、食べられなくなり始めていました。

 2011年3月11日、東日本大震災が起きました。自分と家族は助かりました。生きること、死ぬことを色々と考えるようになり、命の一つ一つを考えるようになりました。そして、お肉を食べるのをやめてみようかと思ったのです。多分牛タンが背中を押してくれた気がします。

 人が食べていることにどうこう言いませんし、私の家族はお肉を食べます。自分が食べないだけです。料理を分けて作らないといけない妻にだけは申し訳ないとは思っていますが、もうこれはひたすらにごめんとありがとうを繰り返すしかないと思っています。もちろんやけくそではなく、心からその気持ちを持って。

 外食する時が大変で、どうもお肉を食べないというのはちょっと気取った感じを受けられることも多い気がするし、やんわりと否定されている気がします。たぶん気のせいではないです。私はキュウリやフルーツを食べると胃がムカムカして気持ち悪くなるのでたべられない時があるのですが、それを話す時には感じないからです。

 私は天然エビを販売していますから、エビと牛の命の違いについて問われることもあります。魚や卵は食べますので、その違いはなんなのか。足がある?血が出る?脳の量?実は私にもわかりません。何が違うのか。

 実は蚊も叩けなくなりました。蚊とエビは何が違うのか余計にわかりません。さらに白状すると、寝ている時に蚊がいると叩いて殺しています。自分でも都合のよい考え方だなと思います。

 でも食べないのも、食べるのも、殺す時があるのも、殺さない時があるのも全て自分のその時の明確な意思なんです。なんでもかんでも理屈で説明することなどできないし、そんなことをしようとするから、嘘をついたり思ってもないことを話す癖がついてしまうんじゃないかと思ったりもします。

 そう考えると僕が理屈を追求していくときは、誰かを責めようとししている時なのかななどと今書きながら思ったりしています。

 責められるのはお肉を食べる人からだけではありません。ヴィーガンの人から完璧を求められ責められるという不思議な体験も何度かしました。魚や卵は食べるけれど、確実に普通の人よりもあなたのことを理解しているだろうし、一部ではあるけども同じ行動をしている私をなぜ責めるのかと、いっそお肉を目の前で食べてやろうかと思ったけども、やはり自分の考えあってお肉を食べないのだからそんなことができるはずもありません。

 一時期は焼き鳥や焼肉が食べたいなと思いました。でもよくよく考えるとタレの匂いに惹かれているんだと気づきました。最近は大豆でお肉そっくりな食べ物もあります。でも、私はお肉の食感を思い出すのであまり好きではありません。健康面などの理由で食べない人には大豆ミートお勧めです。私個人としては野菜や豆を肉に近づけるのではなく、そのものの美味しさを最大限に引き出す料理法でいいかなと思っています。

 最終的に何が言いたいかと言いますと、こんな私なのでお肉、キュウリ、フルーツの一部、加熱しないトマトとか食べられないものがたくさんあります。なので一緒に外食をするときは、コース料理にしないで欲しいのです。特に懇親会などの席では。

 コースでなければ、焼肉屋では野菜焼きやスープやチゲを美味しく食べます。イタリアンではサラダと海鮮パスタを食べます。焼き鳥屋では野菜やキノコの串焼きも好きです。あ、豚骨の匂いだけはどうしてもダメなので、しめで豚骨ラーメンを食べるときだけは外で待っていると思いますが。

武藤北斗

刺絡(鍼灸)や髪を切ったりと体調や身だしなみを整える資金にさせて頂きます!