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「紙に書くことに意味はない!? 目標を持つことの大切さを説く時に語られるエビデンスを壊しつつ、目的への道のりを楽しむことの大切さ」もっと幸せに働きてぇなぁ仕事論

目的を明確に持つ大切さ

とある大学で、ある教授が「学生たちに目標を持っているかどうか」を質問しました。
その結果は次の通りです。

84%の学生は、目標を持っていない。
13%の学生は、目標を持っているが、紙には書いていない。
3%の学生は、目標を持っており、それを紙に書いている。

目標を持っている学生は、たったの16%。

そのうち、目標を紙に書いている学生となると、たったの3%だけという結果でした。

それから10年後、教授は、その学生(元学生=卒業生)たちの現在について調査をしました。

すると、次のような驚くべき結果が得られたのです。

その卒業生たち全員の年収を聞き取り調査したところ、10年前の当時に目標を持っているが紙には書いていなかった13%の人の平均年収は、目標を持っていなかった84%の人たちの約2倍だったのです。

これだけでも目標を持つことの効果がわかりますね

しかし、この調査の驚くべき結果はそれだけではありませんでした。

さらに驚くべきことには、目標を紙に書いていた3%の平均年収が、残り97%の人たちの10倍以上だったのです。

上記はよく目標を明確にすること、なによりもしっかりと紙に書くことの重要性を伝えるエピソードとして語られるイェール大学の有名な実験である。※なぜか引用下の記事はハーバードになってるけど。

しかし、とある本を読んでこの実験のエピソードには続きがあることを知った。

知られていないエピソード

それは目標を立てて、年収を稼いでいる人たちの幸福度が必ずしも高くない、という実験結果である。

年収800万とか1000万円で幸福度が高止まりするという話もあるが、この実験は目標を明確にして達成することが必ずしも幸せとはつながらないことを示していたのである!!!! それを伝えずに自己啓発の動機付けとしてこのエピソードを語るならば、それは片手落ちと言わざるを得ない!!!!

そして、さらにいうならば、

こんな実験は存在しない!!!!!!!!!!!

イェール大学、いい迷惑!!!!!!!!!!!!!!!!

というわけで、目標の大切さを説く時にこの話が出てきたら、微妙な顔をしましょう。

ただまぁここで誤解して欲しくないのは、この実験がなかったというだけで、目的を持つことの大切さが別に毀損されているわけではないってことやで!!!

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ただし、これをエビデンスとして出すのはあかんってこっちゃ。

「いや、でも、ちゃんと目標とか持たすための大切さを伝えるための話ならいいんでないの?」と思うかもしれないが、それこそ、

それはそれ! これはこれ!!

水からの伝言を思い出す。

「道徳の授業につかうなら、事実でなくても、かまわないのでは?」

もっとも大事なことは、なにが「よい言葉」でなにが「わるい言葉」かというのは、人の心についての、とてもむずかしい問題だということです。 こういう問題については、私たちが、人として、いっしょうけんめいに考えて、少しずつ答えをみつけていくべきなのです。 「水の結晶」なんかに答えを教えてもらうべきではありません。(引用終わり)

きちんとフィクションとして、創作として訴えかけるならばいい。創作とはフィクションだからといって損なわれない価値があるでしょう。
しかし、フィクションをノンフィクション・ドキュメントとして広めてはいけない。

どれだけそれが正しいことだとしても、前提となる土台、ファクトがないのだとしたら、その口上がどれだけ綺麗でも虚構なんですからぁ!!!!!!!

めっちゃ仕事できない人に自信満々に仕事論ぶられてもってものでしょう!?

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いや、ね。ほんま、信じたいよ! 紙に書いて、それを着実に実行することさえせずに、紙に書いてポケットか財布に入れておいたら、すごい無意識が勝手に成功まで導いてくれて、あれよあれよと年収が倍額に!
幸せな家庭に年収に!! 好きな時だけ働いて、バカンスできる!

そう! 紙に目標を書くだけで!!!!!

なぜ、そんなすごい無意識があるのに、意識したこと一つ人間はできないねん!!!!!!!!!!

まぁ幸せと年収はある程度で高止まりするってのはほんまらしいけど、その高止まりするラインまでとりあえずなんとか持っていけませんかね。。。。?

「いや笑 べつに年収が低い頃と全然変わりません。ほとんど物欲とかもなくて」


とかいってみたいよ!!!!!!!
金があって使えないのと! 使わないのは全然違うし!!!

衣食足りて礼節を知る、と同じくらい、衣食住が安定してようやく幸せってなにかなぁと考えられる気がするんですよね。

というわけで今回は、

目標をちゃんと持つのはいいかもしれないけど、イェール大学の教授は関係ないので、引っ張り出されても困る、ということと

なにごとも、目的ではなく、そのプロセスこそが重要なんじゃないかなぁとおもうんですよ。

だって人生は目的ではなく、多分、その道程(童貞じゃないよ)にこそ、意味がある。

バイオハザード4で、バイオをリブートする時にプロデューサーの三上氏が
ゲームの面白さは、点と点をつなぐ線にこそある、というのをファミ通で読んだ気がするんですよ。

シナリオの完成度とか云々も大切だけど、ゲームとしてはある地点からある地点までいくその間のプロセスやアクションこそがゲームの本質であり、そこがおもしろくなかったらいくらシナリオが感動しようがグラフィックがどうだろうが(その辺が影響はするだろうが)本質ではない、とかいっていた、記憶があります(エビデンス微妙)

そういう意味で言えば、目標を立てるよりも目標に向かうその歩き方こそが大切で人生の満足感につながるんじゃないんでしょうか?

そもそも無意味な人生。
何を為したかは他者にとって重要で、自分にとってはどうしたかどうかの方が大切、なのかも。

あーもっと幸せに働きてぇなぁー・・・! ではまた!!!

最後まで読んでくれて thank you !です。感想つきでシェアをして頂けたら一番嬉しいです。Nazy