方言と人格
お酒で人格が変わる人って言うのはよく聞くけれど、あれってもともと持ってる性格が、アルコールで錯乱してペラっと出てくる感じなんですかね。
普段の私は割と根暗で人見知りである。
初対面の人と話すときには、めちゃくちゃ気合入れないと話せなくて大体空回りするし、美容師さんにはできるだけ話しかけられたくないし。
でも昔からそうだっけな〜と思うとそうでもない気がする。
あっけらかんとした明るさ、みたいなものを持っていたように思う。
人格、かわったんか?
違う、話す言葉が変わったんだよな。
私は13歳のときに父の転勤で大阪から東京へやってきた。
もともと、大阪でも北の方に住んでいてめちゃ訛りがきついほうではないものの、大阪弁で話していた。
だけど、東京に引っ越して以降に出会った人たちとは基本的には標準語で話す。
大阪の人は大阪弁が抜けないイメージがあるとは思うし、アイデンティティとして残したがる印象があると思う。
でも、私は中学1年の2学期のはじめに引っ越したので、何とか東京のシティーボーイ/ガールたちに馴染みたくて、大阪弁を頑張って抜いて、話した。俗に言う『東京に魂売った』わけである。
歳を重ねるにつれて、少しずつ怖いもの知らずなだけではいられなくなったみたいな、年齢のこともあるはずだけども、話す言葉によって少し人格が変わるというのもあながち間違ってないと思う。
大阪のおばちゃんはマジで普通に話しかけてくるし、マジで飴を持っている。(もちろん個人差はある)
うちの84の祖母は長らく海外に住んでいたフランス語を話すことのできる上品なおばあさんだが、そんなおばあさんでも飴ちゃんを配る。
やっぱそういう地域柄もあってそういうとこで話されてる言葉ってあっけらかんとしたフレンドリーな感じになるんかな〜。知らんけど。
いまでも大阪弁で幼馴染や家族とは話す。
なんかそうすると、すっと子どもの頃に戻れる感覚がある。子どもの頃に使っていた言葉なので真空パックされて保存されたみたいな。
大阪弁で話してる時は割と人見知りじゃなくなる。お酒飲んだ人が人格変わるみたいに、ペラっと怖いもの知らずのあっけらかんとした私がでてくる。
よくよく考えてみると、敬語だったり、ドラマでよく見るお嬢様みたいに話せば、上品に見えるだろうし、気持ちもスンっとする感じあるな。背筋が伸びる的な。
私の中にはいろんな性質を持った奴がいて、それは使う言葉によって、かわるがわる顔を出すんだろうな。
大阪弁で話してる私も、標準語で話してる私も、私。
でも使う言葉によってちょっとずつ違う私になる
言葉ってすごいな。
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