「理解できなくていい」と認識した日
こんにちは ななるです。
フランス生まれ、フランス育ち。
3代遡ればベルギーに根っこがあるけれど、フランス純粋培養の国籍フランスな相棒の行動は、時折理解を越える。
同じ肌着・下着を、数日使う。
靴下やパンツは、1日では取り替えません。脱いだら床に置く。起きたら拾い上げて、においをかぐ(必ず)。におわなければ、着用。におえば、洗濯箱へ。さすが香水の国。気になるのは、においだけらしい。
空気の乾いた国だから、日本のようなべたつきはないとはいえ、それでも汚れるだろう?と思うのは、私だけなんだろうか。
同じ家族だからなのか?17歳になるお年頃の彼の娘も、ショーツを毎日かえないし、その弟も当然、フケがふるまでシャワーを浴びない。したがって下着もかえない。洗濯物がすくないのは、洗濯当番にとってはありがたい。結果的に、エコではある。
人が使うお皿で、猫にご飯を与える。
時折、ひとの家の猫(相方にとっては、子どもたちの家の猫)を預かる。
ペット用の食器とともに来るときは良いが、忘れてもってこない時もある。
そうなると、結構大切にしている、大切にしすぎて普段使えない、食器を出してキャットフードを与えようとする。
猫や犬が家族だ!と云い張るアメリカ人とは違い、一応、子どもの兄弟扱いしても、ペットであると認識する。長期の休暇で移動する時も、ひとにつく犬は連れて歩くが、場所につく猫は連れて行かないとか、はっきりと人間とは別の認識がある。
猫や犬とキスをしないように、と注意される。もちろん他の動物も、触ったあとは手を洗えと云われる。人間が持たない病気や菌を運んでいる可能性があるから、と云われる。
それでも「割ると悲しいから」と普段人間が使わない食器を、猫に使う。
使った後は、何事もなかったように人間用の食器棚に戻されている。
洗ってあるから大丈夫、というのだが、だからといって熱湯で消毒しているわけでもない。水洗い上等。6枚ある同じ食器のうちの何枚かは、「猫が使った」皿である。ロシアンルーレットだ。
淡水魚水槽の水替えに、飲用水のカラフを使う。
大きさが手ごろで、使いやすいから。
わかった、使いやすいのは。
淡水魚の水も、もとは水道水に酸素をたっぷり入れカルキを抜いたものだ。多少なら妥協する。わかった。だが、そのまま飲み水を入れて、冷蔵庫に入れるのはやめてくれ。せめて濯いでほしいというと、なぜ?同じ水だ!
君は滅多に洗わないバケツに入れた水を、飲むのかね?
私は、飲まない。というか、飲みたくない。
隣の家は、異国だ。
同じ国で生まれ育っても、隣の家は別文化だ。
箸や茶わんを共用する家族があれば、専用の箸・茶碗に湯のみが決まっている家族もある。
家族であってもプライベートな部屋には入らない家族もあれば、ノックもなしでどかどか入り込む家族もある。
根っこは一緒だから、まあ、どこか似た価値観を持っている。
洗濯機で靴と服を一緒に洗うひとがいて、驚いたことはあるけれど。
納得はしないまでも、「違う家だからな」と思いつつ、共同生活を送る相手なら、妥協しながら、話ながら、冗談でかわしながら、心の落としどころを見つける努力をしてきた。
だがしかし、これはない。
流し台に、浮いた靴。なぜ靴?
ここは食事を作る場所である。
洗剤を溶かした湯に、ジョギングシューズが浮いている。
山で泥だらけのなかを走った、たっぷりと汚れのついた靴。
びっくりして、思わず写真を撮った。
写真をとったら、「なぜ写真をとるんだ?」と聞かれた。
撮るだろう、そりゃ。靴だぜ?
土の付いた人参を洗うのと、靴を洗うのは何が違う?と云われたら、返答に窮する。なぜって、生理的な問題だから。
園芸用の土を混ぜるのにちょうどいいと、食事用のフォークを持ち出した時も、相方の息子が木工用ドリルでパンを切り分けたときも、私は半ば呆れ、半ば拒絶し、全身で見なかったふりをして落とし込んだ。
この行動の背景は、いろいろあるのだ。でも理解できなくていい。
お願いだ、靴はバケツで洗ってくれ。
とは思ったけれど、云わずに済ませた。洗うときには、全部を洗ってくれる。それも丁寧に。こういうところは、やっぱり好きなんだよ。
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