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怒りの読書の処方箋

ちょっと前に、とある人気作家によるとある小説を読んだとき、読みながら抑えきれない憤りの気持ちが沸き上がってきたことがありました。本を読んで大人気なくこんなにイライラしたことは初めてです。ツマラナイのではありません。憤りを覚えるのです。


その主人公の思考回路や行動がどうにも受け入れられません。まあそんなことはよくあることでしょう。主人公が嫌いなタイプ=ツマラナイ小説ではありません。逆に自分と全く異なる趣味嗜好思想の人物だからこそ気になることもあるし、実生活では決して関わり合いになりたくないような倫理的に受け入れ難い人物だからこそ小説という架空の世界を盛り立て魅力的に見せてくれることもあります。登場人物に共感できるかどうかが小説の1番の価値基準ではありません。


しかしその小説が珍しかったのは主人公だけでなく、全ての登場人物の発言と行動が、ことごとく癪に障るのです。それなら読むのを止めればいいのだろうけれど、最後まで読まなければ「この小説が嫌いだ」と断言する資格がない、しかし断言したい、という悪意あるエネルギーで読み切りました。

読み終えてどうしてこんなにこの小説にイライラするのか、しばし考えてみました。できれば小説の中に入っていって、登場人物たちと直接意見交換をしたいけれど、それは難しそうです。しょうがないので行き場のない怒りを鎮めるため、どの登場人物のどの発言がどうして受け入れられないのか、リストアップして分析もしてみました。


しかし分かりません。


どうしてこの小説には特別怒りが湧いてきたのでしょう?


もしかして答えは小説や筆者の思想にあるのではなく、私自身にあるのかも知れません。


受け入れられないことでも自分で受け入れられないと理解していることに対しては、冷静に読むことができます。

しかし受け入れられないことで、しかもそこには何か自分の中の弱い部分との繋がりがある場合、触れられたくない部分にヒヤッと冷たい手を当てられた時、感情が負の方向へ大きく揺さぶられるようです。
そんな時、架空の世界の登場人物と自分を切り離して相対的に見ることができなくなります。自分の人生に起きていることのような感触を得るほどに物語の世界に入り込んでしまって、憤りが湧いてくるのです。そうしてついつい自身の正当性を主張したくなってしまいます。そこに私の未熟な部分がありそうです。
そう思うと興味深い体験です。読書が好きだからこそ、本を通して嬉しくなったり、感動したり、学んだり、救われたりするようなポジティブな側面に注目しがちでしたが、ネガティブな感情が湧く小説を読むことにも何かまた違った魅力があるような気がしてきました。
感情の振れ幅が大きいことを感動と呼ぶならば、この小説を読んだことは負の方向へ振り切った大感動とも言えそうです。

それに主人公が嫌なやつでも大したことのない小説なら、読み流すことができて憤りが湧いてくるほど執着することはなかったでしょう。
そういう意味ではこの小説は非常によく書かれた作品です。

怒りが湧いてくるその部分をよく覗いてみると、自分の奥にある目を逸らしてしまいたかったものと向き合うことになる危険があるでしょう。
怒りを覚える登場人物の行動は、自分も同じことをしたいけれど自分自身に許すことのできない行動だったり、自分にも同じ部分があるのにそのことを認めたくない部分だったという可能性もあります。あるいは自身の個人的な経験と偶然にも呼応する描写だったのかも知れません。


ある作品を嫌いだなと思った時はその感情を分析してみると、その作品を好きになることはなくとも自分自身について新たな発見を得られそうです。
せっかく時間とエネルギーを費やして一冊の本を読んだのだから、イライラして終わりにしたくない、何か元を取りたいという貧乏性で、そんなことを考えていました。


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