見出し画像

人が集まり社会が生まれ、分裂する 『蠅の王』

ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』といえば、子どもたちが無人島に漂流する物語。しかし子どもが主人公の話なんだなあと、ほのぼのした気分で侮っていたら、思いがけない徹底した残酷さに目を離せなくなる一冊でした。

特に、これでもかと畳みかけるように悲惨になっていく後半戦は、人間なら誰の中にでもある獣性や心の些細な動きが綿密に描かれていて、本を置くことができずに一気に読み切りました。

無人島というゼロの状態から人間社会が形成されていく普遍的な様子が、少年たちの心の機微を掬い上げるような、丁寧な描写を通して描かれています。
人間描写も卓越ながら、子ども達だけの烏合の衆にリーダーが生まれ、社会か形成され、そして分裂していく様子が興味深いのです。
極限状態に人間を置いた時、ひとは一体どう動くのか?という思考実験のように読みました。人間はもちろんですが、集団というのがとにかく恐ろしいです。

大人を主人公にした物語だと装い過ぎてしまって、ここまで生々しい原始的で単純な感情を書けなかったのではないでしょうか。子どもには純粋な野蛮さと残酷さがあるなとひしひし感じさせられました。


ウィリアム・ゴールディング著 『蝿の王』


初めは大人の支配が及ばない、自然豊かな楽園のようであった無人島漂流生活でしたが、次第に子どもたちのグループは、ラーフとジャックという異なるタイプのリーダー的少年を筆頭に、2つに分裂していきます。

狩猟を得意とし肉をもたらすことができるという無人島において極力な強みがあり、さらに暴力による圧倒的な支配力を持つジャックに対して、ラーフは背が高くて落ち着いて見えるという外見の良さと雰囲気でなんとなく選ばれただけの隊長です。

面白いのは、ラーフが良いヤツでもなければ正義でもないところ。少年ものの物語の主人公は好青年や正義漢が多いイメージなのですが、予想外の人物設定です。
それに、暴力的なジャックに対抗するリーダーキャラを描くのなら、知性派な少年像を作り上げたくなりますが、ラーフは決して頭が良い訳でもありません。

それでも読者としては、ラーフがリーダーとしての気質を備えていく、よくあるような成長物語を期待しつつページを捲ります。しかしラーフの成長は、根拠のない自信から”自分はリーダーとして相応しくないんだ”と自覚していく方向へと進んでいきます。ある意味でリアルかつ厳しい成長です。
この辺りも『蝿の王』がよくある物語とは一線を化している点でしょう。紋切り型ではない彼のキャラクター設定が物語の面白さを深めているなと感じました。


もしも彼らと一緒に漂流したら、私ならラーフとジャック、どちらの側につきたいだろう?と想像しながら読んでいました。(ちなみに漂流するのは少年だけで、この小説の中に女の子はいないように思います)
ジャックは絶対に嫌だけど、かといってラーフでは頼りない。できればどちらにも属したくありません。
例えば現実の社会なら、なるべく人と関わらずに、ひとり緩やかに世間から離脱することも可能でしょう。しかし絶界の孤島では群れないと生命の危機に陥るからアウトローになるのも難しい。究極の選択です。


ジャックに比べると、ラーフの方が幾らかは理性と道理があります。

無人島から脱出するためには、まずはここにいることに気づいてもらう必要があります。ラーフが何度も主張するように、狼煙を焚かなければ助けが来る可能性はない逼迫した状況です。
しかし徐々にジャックとラーフは対立を深め、組織を統率し狼煙の火を守り続けることは、至難の業となっていきます。

狼煙を焚かないと助けが来ないという単純明快な道理さえ誰もわかってくれないというラーフの恐怖が巧みに描かれていて、物語の中でも特に胸を打たれた部分でした。当然のことが無視される恐怖こそ、集団心理の恐ろしさではないでしょうか。

しかし往々にして理性と道理とは、分かりやすい暴力と数的有利な集団の前に圧倒的に無力なのです。それに理想ではお腹が膨れません。


ラーフとジャックは性質も異なりますが、能力や特性にも大きな違いがあります。
狩りをすることができるという実利的な能力を持ったジャックに対し、ラーフが持っているのは、笛のように吹いてみんなを呼び寄せることのできる綺麗なほら貝だけ。

ほら貝が鳴れば集会が開かれ、ほら貝を持つ人に発言権があるというルールを少年たち自ら作るのですが、しかし次第にほら貝の権力は薄れていってしまいます。

ほら貝をシンボルに議会を開く理性的な集団統率には共感を覚えますが、しかしほら貝というなんでもないものに意味を与えて、その規則に従うことに窮屈を感じる気持ち、ほら貝は虚構だと見破って馬鹿馬鹿しく感じる気持ちも、なかなかに理解できるものです。

みんなが信じるからルールに価値が与えられるけれど、一度過半数が目を覚まして反旗を振り返したら、信じていたものはハリボテに過ぎなかった、と誰もが気づく構成が秀逸でした。
もうほら貝を吹いても誰も集まらないかもしれない、というラーフの悲痛な叫びがこだまします。

私たちが信じている常識や社会や道徳や政治だって、キラキラしたほら貝のようなただのハリボテかもしれません。過半数が信じて従っているからこそ価値が付与されるだけで、一旦目が覚めてしまうと、それ自体には何の価値もないのです。

果たして社会の決まりとは、みんなで同じ夢を見ているだけに過ぎないのでは?と、ヒヤリとした寒さを感じる一冊でした。


この記事が参加している募集

読書感想文

海外文学のススメ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?