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世界を認識する不思議 『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』

今まで『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を読まずにハルキ悪くないじゃん、なんて思ってたのが恥ずかしい。それに『国境の南、太陽の西』を読んで村上春樹、二度と読むまい!と思っていたのも大間違いでした。
上巻だけが積ん読されていた本作、たまたま下巻を古本屋で見つけ、うっかり読み始めてしまって大正解。

最高に面白いSFファンタジー精神冒険小説です。初めから最後まで、どこを読んでも新しいことばかり。何にも似ていない恐るべき想像力は圧倒的。

恋愛小説を読んでもうハルキは読まなくていいなと思っていた方、本当に読むべきは冒険小説です。

とはいえ、特に必要とも思えないカサカサとしたセクシャルな会話が突然始まるところや、感じの良い女の子がみんななぜかすぐに主人公と寝たがるところ、セックス描写の独特な歪さはどうやら村上春樹文学のデフォルトのようで、好き嫌いは分かれるところでしょう。

それでもこの世界の見方が揺らぐような体験をしたいという方にはぜひ読んでもらいたい一冊です。

『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』 村上春樹著

あらすじ
"計算士"の主人公が博士に頼まれた書類を暗号化したことから何者かに追われるようになる『ハードボイルド・ワンダーランド』。
一角獣の住む壁に囲われた街で"夢読み"として働くことになった僕が心を持たぬ穏やかな住人たちと街の謎を探す『世界の終わり』。
二つの世界が動き出すその先に、予想外の結末が待ち受ける。


※ここからはネタバレがあります!


面白く読めると同時に独自の世界観には謎も多い物語です。


脳の中に小さな装置を埋め込み、その回路の中の世界を認知しているのが『世界の終わり』。壁に囲まれたその世界は、ある時点での彼の自我の核のさらに深層部分が物語として抽出編集された世界である。
『世界の終わり』と、彼の肉体が生きている『ハードボイルド・ワンダーランド』という二つの世界の繋がりが切れ『世界の終わり』の回路が閉じてしまう時、身体は眠りにつき、思念だけが永遠の現在を生き続ける。と解釈したのですが、どうでしょうか。


『世界の終わり』と『ハードボイルド・ワンダーランド』の関係については読む人によって異なる解釈の余地がありそうです。
謎がありながらもこの二つの世界の関係と設定がとにかく面白く、読み終えたとき、色が見える仕組みを理科の授業で初めて習った時の衝撃を思い出しました。

それまで色とは色という物質だと思っていたのに、物質ではなく光の反射であると知った時の驚きと戸惑い。例えばある物体が緑色に見えるのは、その物体の表面が緑色の波長の光だけを反射する性質を持っていて、他の色の波長は吸収されてしまうからとは、なんと不思議な世界なのでしょう。
反射する光の波長の存在を介して色が見えている。理屈は分かっても今でも不思議に思えてなりません。
しかも動物によって感知できる光の波長が異なるため、同じものを見ても同じ色には見えないのです。
色というのは絶対的な価値ではなく見る人の認知によって変化する相対的な価値だという驚きとともに、世界の見方が揺らぐような衝撃でした。


『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』にも同じようなガラッと世界の印象が変わる衝撃を受けました。


『ハードボイルド・ワンダーランド』は身体・脳・心が揃った世界つまり"現実"で、『世界の終わり』は脳の中にある脳でだけ認知することができる思念の世界。だけどその世界にいる僕にとっては『世界の終わり』の世界が現実なのです。


絶対的な現実が存在しているのではなく、ただ自分の認識するものを現実として受け取っているだけだと考えると、自分の存在も世界の存在も時間の存在も全ての根幹が揺ぐように、好奇心が揺さぶられます。


果たして今、わたしが、認識しているこの世界は本当に存在しているのか?

もしかして身体は別のところに保存されていて、目の前に広がっている世界だって脳がそこにあると思っているから身体的に存在していると感じているだけかも知れません。

そう考えると『マトリックス』を彷彿させるけれど、でも異なる世界へ行くための装置がもう脳の中に組み込まれていて、脳の思考回路が切り替わるというのがとても有効でオリジナルな世界観だと思いました。それに複数の人が同時にアクセスできるマトリックスの世界とは異なり、『世界の終わり』の世界は彼の脳の中に存在する極限に孤独な世界。回路が閉じてしまうと『世界の終わり』の中で思念だけが永遠に彷徨うというところにも独特な孤独と荒廃と、ある種の清々しさを感じます。

主人公が『世界の終わり』にいるとき、"現実"の彼の肉体は眠っているとすると、『インセプション』に近いものも感じます。

本作を読み終えてから改めて『インセプション』を見返すと、夢の奥の奥の虚無の世界から抜け出せなくなることと『世界の終わり』の中で永遠に思念が生き続けること、心を失ってしまうことと影を失ってしまうこと、現実に戻るために音楽が鍵になるところなど、共通点が多々あります。もしかしてクリストファー・ノーラン監督は『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を読んだのかもしれません。

初めて『インセプション』を観た時は、最後のシーンでコマは倒れハッピーエンドになると思っていました。しかし『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を読んでから見返すと、コマは倒れなかったのではと感想が変わりました。そしてコマが倒れないことも、それもひとつのハッピーエンドなのかも知れないという余韻が残りました。


時間と永遠についての解釈にも大変興味を惹かれます。

『飛ぶ矢のパラドックス』の語る「時間を無限に分割すると一瞬が永遠になる」という論法を用い、『ハードボイルド・ワンダーランド』の博士は「思念は時間を無限に分解して永遠になり、肉体は死んでも思念は永遠の一瞬に留まる」と説明します。このパラドックス、本書を読んだだけではよくわからなかったので調べてみたのですが、非常に面白い哲学的な議論です。

このパラドックスは、時間とは過去から未来へと一方向に流れるものという一般的で常識的な時間概念に反し、一瞬の現在のうちに過去も未来も含めた全ての時間が同時に存在しているという考え方に繋がるそうです。

確かテッド・チャン著『あなたの人生の物語』に出てくる宇宙人も、過去・現在・未来の区別がなく全ての時間を同時に生きていたはず。これも初めて読んだ時、大衝撃でした。宇宙人&言語学者というのが新しく、時間の概念が宇宙人の言語の文法と合わせて紐解かれ、しかも主人公が宇宙人の言語を学ぶことで彼女の時間の認識にも影響が出てくるのです。そう言われてみると、外国語を学ぶとき言葉を学ぶだけでなく、その言語の思考法も浸透してくるように感じることがあるなと、時間の概念と言葉の繋がりをとても興味深く読みました。


時間を無限に分解していくと永遠にたどり着くという発想の転換は非常に興味深く、また物理学でも非常に小さな素粒子の世界を見ていくと時間軸が一方向ではなくなるのだとか。考え出すと不思議がどんどん積もっていきます。この辺りのこと、しばし腰を据えて勉強したいです。


最近、科学や物理や哲学のことをじっくり考えることってなかったのですが、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を読んで全方向へ向かって好奇心が刺激されとてもワクワクしています。哲学と科学と文学が小説という技法によって一つに昇華された稀有な作品だと思います。

やみくろや一角獣、洗い出しとシャフリング、潜在意識と暗号などなど圧倒的にオリジナルで唐突な要素が物語の細部にまで張り巡らされ、唯一無二の世界がけれど説得力を持って丁寧にページを割いて描かれるのは、長編小説だからこその贅沢な時間の使い方。比べると2時間という映画の世界が短くも感じます。

小説ならではの非常に心地よい没入感を味わえ、改めて長編小説という時間使いの魅力を堪能できる濃密な読書体験でした。


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