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『風の歌を聴け』と、果てしない読書の話

久しぶりに村上春樹文学に触れたくなって、『風の歌を聴け』を再読。学生のころ読んだときには引っかからなかったけれど、今読むと思っていた以上にキザな文章で、ちょっと驚きます。それでもやっぱり群を抜いて独特で、良い塩梅に、良い意味で、軽薄。本書のどこをとっても、一文引用するだけで、彼が書いた文章と分かるのではないでしょうか。ストーリーというようりも独自の文体が作る世界があって、ときどきその中にぷっかり浮かんで漂いたくなる心地良さがあります。

文化系で気取りたい年頃の男の子特有な表現、「15秒間、彼女は考えた」とか「三万光年ぐらい遠く」とか言っちゃうところに、王家衛監督の『恋する惑星』に似た青い香りが漂っているところも、クセになってしまう理由かも知れません。


村上春樹の小説は学生の時にハマって何冊か読んだけれど、お気に入りの作家とは、なぜか素直に認められません。個性的な比喩、独特な文体、ちょっと鼻につくカルチャーレファランスさえも心地良いのですが、でも物語の最後になるといつも、え?そこで終わり?もう一言、なにか決定的で具体的なことを言ってよ!と、不完全燃焼になるのです。わたしには文学的奥ゆかしさや物の哀れを感じる心が欠けているのでしょうか。しかしこの、何かこう大切な、あと一言が欠けている、それがどうしても心にくすぶって、もっと知りたくなる。こうしてついつい彼の別の作品へと手が伸びてしまったものです。それから、筆者とは同じ街で育っているため、猿のいる公園と言われると、子どものころに遊んだあの公園が蘇って来るし、川を下って海辺にあるテニスコートと言われると、あそこかな?と思い浮かびます。『海辺のカフカ』の図書館のモデルになったのでは?と言われている図書館は、小学生のとき毎日のように通っていた、蔦が絡まった石造りの小さな図書館。彼の作品に登場するかの有名なスモーク・サーモン・サンドイッチのお店でアルバイトもしていました。そんな細部に散りばめられた、ごくごく個人的な懐かしい記憶が引き金となって、他の作家とは異なる愛着を感じてしまうのも事実です。


大森一樹監督の『風の歌を聴け』も当時好きだったけれど、今観たらどう思うだろう。ホットケーキにコーラをかけるシーンがカッコ良すぎて痺れたなあ。プールサイドの様子とか、オシャレでキッチュな青春が詰まっていた気がします。


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作家としてよりは翻訳者としての村上春樹さんにとてもお世話になっていて、お陰でサリンジャーやカポーティ、レイモンド・チャンドラーなどお気に入りの作家や、人生で大切な本が増えました。今でも『誕生日の子どもたち』は読む度に涙がボロボロ落ちてきます。人間って嫌だなあ、なんて思った時に読むと、鼻がツーンとして、人間嫌でも、それでも、ちゃんと目を凝らして見れば、美しいものも用意されているんだなあってことを思い出させてくれる作品です。他の翻訳者のものも読みましたが、カポーティの繊細な子どもっぽさと、スックという登場人物の哀しく弱い優しさが1番感じられるのは村上春樹翻訳でした。

村上春樹翻訳を読んだことで自然と柴田元幸さんを知り、ポール・オースターには心底心酔。当時翻訳されていた彼の著作はほとんど読んだし、『スモーク』は大好きな映画になりました。

翻訳というもの自体にも興味が湧いて、柴田さんと村上さんが語る翻訳関連の本はもちろん、黒田龍之介さん、米原万里さん、田丸公美子さんなど手当たり次第読みました。翻訳について書かれた本ではありませんが、須賀敦子さんの著作と出会ったのも、この頃翻訳者の書いている本を探していたのがきっかけだったと思います。須賀敦子さんの文章が世界で一番好きな文章かも知れません。初めて彼女の著作を読んで以来、何度引っ越そうとも彼女の本は常に一冊、本棚に置かれています。そこにあるだけで、ポッと道を照らしてくれるのです。いつでも自分の居場所を見失わないでいられるようにしてくれる一冊です。


そこからさらに興味の幅は言語や日本語へと広がって、『辞書になった男』とか、丸谷才一さん、文章読本などなど色々読んだなあ。


一冊の本、一人の作家との出会いが、池に落ちた一滴の水となって波紋が広がるように、私の世界が広がって行く。本との出会いは喜びと学びの連続で、しかもどれだけ読んでも決して尽きることがありません。まだまだ知らない本があるし、歳を経て面白いと感じるものも日々変わっていきます。読書が趣味で本当に幸せだなあと、つくづく感じる毎日です。



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