MyGOへの共感の根源と"処方箋"としての効能について状況別に分析する
📒 この記事を4行で要約すると
1. 傷つくことを恐れている人にMyGOは刺さる。
2. アニメの展開は私たちの実体験とリンクする。
3. MyGOは薬にも毒にもなり得る。
4.MyGOは「自分自身を優しく受け止めて」と言っている。
⚠️取扱説明書⚠️
MyGOの考察要素はほとんどありません。なので、深く考えずに読めるはず…
「これがMyGOの正しい読み解き方!」と言いたいわけでは決してないので、お気に召す部分だけ持ち帰っていただければと思います!
はじめに
このページを開いてくれてありがとうございます。このnoteのタイトルを見てクリックしていただいたということは、この記事の読者さまは少なくともアニメMyGOに共感したことがあるのだと想像します。このnoteに考察要素はほとんど無く、感情の話が95%です。終始、共感の根源とMyGOを受けた救われ方について書いていきます。
このnoteを見てくださった読者さまには、ご自身の経験・挫折・苦悩を思い起こしながら読んでいただければと思います。
本編開始…の前に
時は遡って2023年4月14日。アニメ放映前の4月に、インターネットラジオ「文化放送 超!A&G+」にて『学園祭学園 青木佑磨のザ・ゴールデン・ゴールド・ゴー・ゴー(通称ゴゴゴゴ)』という番組が放送されました。
4/14の回は、MyGOキャスト公開記念に羊宮さんと林さんをゲストに招き、MyGO議論に花を咲かせていました。そのときに青木佑磨さんが2人に向けて仰った発言が印象に残っています。
キャスト本人ではない第三者の目線で "MyGOに救われる" と言ってくださったことがきっかけで、私はMyGOファンとして包み隠さずMyGOに感情をぶつけられるようになりました。
アニメMyGOが始まったのはその2ヶ月半後。私は、MyGOファンとして、MyGOに救われた1人の人間として、「現実世界と比べたキャラクターの感情変化の妥当性」に着目しながらアニメMyGOを1~13話までリアルタイム視聴しました。
傷つくことを恐れている人にMyGOは刺さる
まず、アニメを13話まで視聴した感想として、
「周りの目を窺う癖がついている人」
「プライドが傷つくことを恐れている人」
「自分のことが嫌いでもあり好きでもある人」
「自分の過ちを引きずっている人」
の心にMyGOが深く刺さるのだと感じました。
もう一段階具体化してみます。
MyGOのアニメと曲が刺さりそうな人の特徴
を私の感性のもとで以下に書き下してみました。
自分に取り柄があるとは思っていない
取り柄がある人のことを羨ましく思っている
何かを始めてみたが目標の遠さに苦しむ
見栄を張って形から入るものの長続きしない
一度見栄を張ったことを後悔している
外っ面だけは成功者のフリをして生きている
心の底から辛い苦しいと込み上げてくる
その辛さすら他人よりもちっぽけだと感じる
自分の存在価値は何?と考えても答えが出ない
でも自分の今と将来を諦めることができない
未来のために昨日も今日も歯を食いしばっている
ちなみに上に書いたことは全て私のことであり、私が執筆した4thライブ感想ブログの引用・改変でもありますが、読者さまにもいくつか当てはまるところがあるのでは?と思います。
誰しも、苦境に立たされたりプライドをへし折られる経験があるものです。こういうとき、自分自身を諦めきれていない人は血反吐を吐く思いをしながらも何とか踏ん張ろうとする。だからこそ、「迷子でもいい、迷子でも進め!」という燈の言葉が刺さるのだと思います。
MyGOの「傷つくことを恐れている姿」が皆の心とリンクした
「MyGOは刺さる人にはとんでもなく深く刺さる」と往々にして言われてきたMyGOですが、その根源のひとつはMyGOの楽曲およびアニメ展開と自身の実体験の一致にあるのだと分析しました。
私は作中においてMyGOのメンバーのことをシナリオに動かされるキャラクターとしてではなく、仮想空間の中で生活している1人の人間として見ていました。MyGOのアニメを「人間が感じて然るべき欲求」という観点で見て感じたことは、MyGOの皆がプライド=それだけで自分を定義できるような核の部分を持っているということです。
私は、プライドが高い人は「傷つくことを恐れている人」でもあると思っています。「プライド」という単語だけ取り出すと聞こえはいいですが、これが傷つくと人間は一転して弱くなります。この部分が多くのファンに痛烈に刺さったため、バンドリファン以外の人にも人気が出たのだと想像します。
見栄とミーハーでできている愛音は、5話で留学に失敗したことがバレたときに虚勢が崩れ落ちてひどく憔悴しました。
向上心の強い立希は、6話で燈とそよに「何か手伝おうか?」と歩み寄られたときに「一人前である祥子とお姉ちゃんとの差」を痛感して劣等感に苛まれました。
自宅が心の拠り所ではないそよは唯一自己表現ができるCRYCHICを失ったときに居場所の再生を求めました。
野良猫と称される楽奈もまた、居場所だったSPACEが無くなったことを受けて、「いつか全てが消えていく」ことを嘆きました。
そして燈は、自分の歌声と振る舞いのせいで2度も仲違いを起こしたと自責しました。
MyGOのアニメを見ていた人はきっとどこかのシーンが自分自身の過去とリンクしたはずです。
承認欲求のカタマリである私たち
承認欲求のカタマリである私たちは、知人やフォロワーを使って承認欲求を満たすために、虚勢や見栄を張りながらでもSNSにオシャレな写真や自慢話を投稿するものです。承認欲求を満たすという意味では、あるいはこのnote企画ですらそうかもしれません。
より良い未来を諦めきれずに日々何かを頑張ろうとしている私たち
より良い未来を諦めきれずに日々何かを頑張ろうとしている私たちは、自分の上位互換であるような知人に対して嫉妬と劣等感を覚えるものです。そしてその劣等感はきっと、大谷翔平選手などの "モノが違う人物" に対してよりも「昔は同じスタートラインに立っていた人物・自分が頑張れば手が届いていたはずだった人物」に対して強く感じるものです。身内や同級生なんてその最たる例です。
愛する人や心の拠り所を失ったことがある私たち
愛する人や心の拠り所を失ったことがある私たちは、それらを取り戻そうとして「既にないもの」に執着するものです。恋人に一方的に振られたことがある人はそよのメッセージ連投を笑えなかったはずです。身内の離婚や死別を経験した人は9話の冒頭で胃酸が込み上げるような感覚すら覚えたかもしれません。
MyGOのメンバーはどのように自身のプライドを乗り越えたのか
上に書いた「愛音、立希、そよ」の三人について軽く書いてみます。(公式見解ではなく私の感想にすぎないです)
愛音はバンドのモチベーションが見栄と承認欲求であったことを認めました。そして、恩人である燈の「一生バンドやって」という言葉を短期目標の積み重ねによって達成しようと奮起しました。
立希は作曲能力でもマネジメント能力でも祥子に劣ることを6話で痛感しましたが、MyGO!!!!!という絶対的な存在を得てからは他者比較せず自身の欲に忠実に作曲できるようになりました。
そよはCRYCHICを忘れられず執着していました。その彼女は、CRYCHICを忘れることをやめ、「一生抱えていく」のだと腹を決めて新たな居場所に定住するようになりました。
このように、MyGOのアニメは必ずどこかで私たちの心とリンクします。そして、私たちの心の古傷を「心の絆創膏」で癒してくれます。このnoteの読者さまはどのシーンで傷つき、どのシーンで救われたでしょうか。ここで小休憩して、今一度思い起こしてみてください……….。
MyGOは薬にも毒にもなり得る
挑戦的な文字を入れてみました。
はじめに書いたように、MyGOは「こういう曲じゃないと救われない人」を救いにきているバンドです。MyGOは人生の道に迷った人を救ってくれます。
一方で、今これ以上進んだらダメな状況の人もいます。そんな人が「迷子でもいい、迷子でも進め!」を標語にしてしまうと、かえって自分にトドメを刺してしまう可能性があります。
"頑張った" 末に精神病を患った友人の話
私の友人は実直かつ快活な性格で日々の仕事を着々とこなしていたようです。しかし、そこから1,2年経った後に友人に再会すると、精神病を患って休職中だというのです。
その原因はパワハラです。
その友人は職場での苛烈な叱責に苦しんでいました。それも、理不尽なものではなく理屈が通った正論パンチによるもの。言われることが全て正論なので全部自分自身のせいだと思ってしまいますし、1つやったことに対して10倍で返ってくるので威力も10倍です。そんな上司が職場にいたらしいです。
しかし友人は「会社を辞める」という選択肢がなく、そんな職場の中でも毎日頑張り続けました。その末、あくる日に気狂いを起こし、連れられた病院の医者に双極性障害と診断されることになりました。
進むべきではない人に対してMyGOは「少し眠ろう」と歌っている
私は、MyGOが「前へ進め」と背中を押せる範囲は自助努力でどうにかできるところまでだと私は捉えています。しかし、パワハラなんて自助努力でどうにかなるものでもないです。たとえ自分が変われたとしても諸悪の根源自体は何も変わらないからです。
例えばハラスメントや過労で苦しんでいる人がMyGOを目にしたとき、MyGOをどのように受け取ればいいでしょうか。「前に進んだら潰れる状況」の人が「迷子でもいい、迷子でも進め!」と言うMyGOを目にしたとき、その本人にとっては逆にプレッシャーになったりしないでしょうか。
私は、そんな人にはMyGOの「栞」という曲を聴いてほしいと思っています。MyGOは「進め」と言っていますが、「進まなければいけない」とは一言も言っていないのです。
栞の歌詞は自分が「傷つくことから逃げる」ことを肯定しています。栞の歌詞は、立ち止まって退いて自分を守ることもまた尊いと歌っています。
自分を客観視したときの限界さに「気付いたとき」でいいので、気付いたときには無理せず自分自身を労わってほしいと、栞では歌われます。
一方、実際問題、パワハラ・過労状態にある人が退職して人生をリセットするハードルは高いです。
辛い環境から「逃げる」ことを愛音がやってみせた
ですが、苦痛な場所から逃げ帰って人生リセットした姿を千早愛音が実演して見せてくれています。留学先には「なんだったんだ、あの子….」と思われているはずですが、現に千早愛音は「ここで、やり直すんだ。」と言って人生リセットに成功しています。
帰国後の愛音は2度と留学先に関わらないでしょう。愛音にとって留学先はもう関係のない話です。ホストファミリーの家を出る、逃げるための一瞬の覚悟があったからこそ今の愛音があるのだと思います。今まで「逃げる」という選択肢がなかった人も、この姿を見れば、ほんの少しばかりは勇気をもらえるのではないでしょうか。
最後に: MyGOがまだ救えていない人がどうなるのか、Ave編に期待。
MyGOは人生が順風満帆でない人を救うことができます。その人とはMyGOのメンバー自身のことでもありますし、MyGOのキャラクターのような性質と似ている人間のことでもあります。MyGOの文脈から逸れた「外的環境に潰されそうになっている人」のことも救えるだろうと、私は想像しています。
しかし、現状のMyGOが手を差し伸べられなさそうな人が作中に1人いました。
豊川祥子さんです。
13話終了時点での今の祥子は没落令嬢です。生活を維持するための最低限のお金すらないため、自らアルバイトをして生活費を稼いでいます(おそらく父親の分も)。
お金の話は、気持ちの持ちようではどうにもなりません。「よ〜し、頑張りますわ!」と言った途端に帯付きの万札のスコールが降ってくるわけではないので、祥子にとっては今はただ心を殺してお金を稼ぐしかない状況です。
心の絆創膏として機能するMyGOとただ現実を変えたいだけの祥子は、今のままだと交わらないのではないかと想像しています。ポケモンでいうノーマルタイプとゴーストタイプの関係にあると思っています。
いずれAve Mujicaのアニメが放映されますが、私はMyGO編と変わらず「救う・救われる」の関係に着目しながら視聴したいと思います。「生活が破綻した祥子」をMyGOはどう救うのか。あるいは、MyGOが介在しないまま自助努力で全てを成し遂げて見せるのか。逆に、道なかばで限界を迎えて祥子が命を絶とうとはしないか。
祥子が今後どんな人生を歩むのか今は想像しかできないですが、どんな過程、どんな結末であれ、MyGO編と変わらず妥当で現実的で非情な展開が待っているのだと予想しています。
祥子をはじめとするAve MujicaのメンバーとMyGOの因果関係と「救われ方」にまだまだ目が離せません。
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