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祖母からの便り

家に帰ると、机に封筒が置いてあった。

落ち着いたクリーム色の、細長い封筒。

人差し指で触れると滑らかな突起がある、パステル
カラーのお花があしらわれた、上品なデザイン。

そこには達筆な字で、わたしの名前が書かれていた。

裏返すと、そこにあるのは祖母の名前だった。


どきっとした。

まさか、遺書?

病気になった、とかそういう知らせだろうか。

いやいや、あの元気な祖母に限ってそんなことは。

しかもそんな緊急の知らせだったら、手紙なんか寄越さ
ないできっと電話がきているだろう。

わたしの誕生日のお祝いにしては、時間が経ちすぎて
いるし…

じゃあ、これはなんだろう。

嫌な知らせじゃないことを祈りながら、恐る恐る封を
切る。

そこにはまたもや達筆な字で、菜波さん、お元気ですか?

という、いつもの挨拶が書かれていた。

それを見て、なんとなく不穏な手紙ではないようだ、
と小さく息をつく。

少し安心して、先を読み進める。


コロナ渦でも変わらず仕事に行っていることに対する
労い。

体調は崩していないか、しっかりしているけれど無理
はしていないかという心配。

祖父が亡くなったことで手一杯になっていて何もして
やれなかった、ということに対する謝罪。

一枚の便箋には、流れるような、でも少し頑固な祖母
の性格をよく表しているような硬い字で、それらのこと
が書き連ねられていた。


正直、これを読んでわたしは驚いた。

祖母の家に行くといつも、わたしは小さい頃からわが
ままで、主張が激しくて、マイペースで悩みのない
明るい子、というキャラクターで通っていた。

どちらかというと大人しい妹たちの方が、

「お姉ちゃんよりしっかりしてるわねえ」

「いつもお姉ちゃんばっかりだけど、欲しいものは
ないの?」

とか心配されていて、わたしは奔放に生きている子だ
と思われている、と、ほぼ確信に近い形で思っていた。


だから、手紙に書かれていたことが真逆のことで、
少し動揺した。

家族にはいつも笑顔で自由奔放で少しわがままで、
子供の頃からいいことしか話さない、そんな自分を
貫いてきた。

してきた、というか、そうせざるを得なかった。

家族の中ではそれがわたしの役割だと思っていたし、
それでみんなが幸せならいいと思って生きてきた。

だけど祖母は、口ではああ言っていたものの、本当は気づいていたのかもしれない。


男ばかり、8人兄弟の末っ子、唯一の女の子で可愛が
られてきた、明るくておてんばで頭が少し悪くて、
道を歩けば誰にでもすぐ話しかけて友達になってしま
愛嬌のある祖母。

そんな、わたしとは真逆で愛されて育ってきたように
思っていた彼女は、実はわたしよりも人のことをちゃん
と見て、それでいて何も言わないでいてくれたのかも
しれない。

祖母の方が、何枚も、何十枚も上手だったのかもしれない。


手紙の最後には、こう書かれていた。

「あなたの結婚式までは生きていたいけど、これから
先の世の中は、わからないわね。」

そこで手紙は唐突に終わっていた。

なんとも言えない感情だけが残って、しばらくその部分
だけを繰り返し読んだ。


想像ができなかった。

いつも冗談ばかり言って、悲しんでいる姿や落ち込んで
いる姿を誰にも見せたことがない、祖母。

親戚の誰もが口を揃えて「あいつは楽観的だから
なあ」と半ば呆れたように形容される、祖母。

その輪郭が今になって、少しだけ、ぼやけた気がした。

当たり前だけど、どんなに元気でも明るくても幸せでも、人は来るべき時が来たら、最期を迎える。

現にこの1、2年で、当たり前のようにわたしの人生に
いてくれた祖父母が連続で亡くなって、気づいたら、
彼女が最後のひとりになっていた。


「あなたの結婚式までは、頑張って生きなきゃね」

この言葉は、小さい時から親戚が集まるたびに、何度も
言われてきた言葉だった。

今日、この言葉を聞くまでは、そんなの当たり前でしょ
と思って生きてきた。

けれど改めてこうして言われてみると、そうじゃない
未来だって充分あり得る、という現実が、胸にずしり
と落ちてくる。

まだまだ自由に生きていたいと思っていた。

でも、彼女にはわたしの結婚式を、見せてあげたいな。

そのときあなたは、どんな顔でわたしのことを見るの
だろう。

いつものように、明るく笑っているのだろうか。

それとも初めて、涙を見せるのだろうか。


その顔が見たい。

どうしても、見たい。

だからどうか、それまでは変わらず元気でいて欲しい。

早くこの世の中が明るく平和になりますように、と
祈りながら、最後の一文を、何度も繰り返し読んでいた。

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