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少女の夏と明け方の空


夏をきちんと終えるために、映画をみた。

タイトルは、「アメリカン・スリープオーバー」。

最初は映画のビジュアルに惹かれただけだったけれど、
あらすじをみたら、少年少女たちの「夏の終わり」が
スリープオーバー(お泊まり会)という舞台で描かれた
物語だと書かれていて、今の自分がみるべき映画に
ぴったりだ、と思った。


長かった恋が、線香花火のように音もなく終わりを
告げてから、わたしの夏はすっかり終わってしまった。

夏祭りも花火も浴衣も何もかも、夢みて終わった今年
の夏は、まるで自分だけが期待して夢みていたこの
2年間とまったく同じだったことに気づいて、ひとり
苦笑いした。

暑くなって浮かれて楽しいことだけ想像して、後先
考えずに、傷つくことも恐れずに、飛び込んでいった恋。

それはそれで楽しかったけれど、終わってみると、
あれはなんだったんだろうなあと、花火大会の後の
帰り道みたいな、熱が引いて空っぽになった自分を
見つめている気持ちになる。


映画の中では、登場人物たちそれぞれが誰かへの恋心
を抱きながら、最後の夜を楽しもうとする姿が描かれ
ている。

結局みんな、一番好きな人とは結ばれないし、理想と
現実に意外と乖離があることに気づいてしまうのだけど、それでも「最後の夏の夜」は煌めいていたし、

痛くても苦くても間違っても、あとで思い返したら
きっと「あの夏は楽しかったな」なんて、懐かしんで
しまうのだろう。


彼らをみていて、わたしの恋と同じじゃないか、と
思った。

そうか、この恋は、わたしの人生における、夏だった
のだ。

ただの憧れ。相手のことなんてほとんど知らないのに、なぜか強く焦がれて追い求めた夜。

彼らを突き動かしていたのは寂しさや不安、大人に
なることへの期待やほんの少しの諦め、だったのでは
と思う。

それらを原動力にして生まれた恋は、論理や理性を
飛び越えて、衝動的な、だけど絶対的な「好き」と
いう気持ちによって構成されている。

そう考えると、わたしの夏は少し長すぎたかもしれない。

だけど、画面の向こうの彼らをみていて純粋に
「羨ましいな」とか「戻りたいな」とか思わなかった
のは、夏の終わりをようやく受け入れられたから、
だと思っている。


季節は巡って、繰り返す。

だからきっと、夏もまた、戻ってくる。

それでも、そのときわたしの目に映る夏の景色は、
たぶん今までの景色とは、少し違ってみえている気が
する。

熱に浮かされて華やかに彩られた世界は、来年のわたし
の目の前には、きっとないだろう。


けれど、最後の夜が明けたパレードの朝、少女の元に
はちゃんと恋(もしかしたら、愛)が残っていたし、
友情も決意も、しっかり次の季節に運ぶことができていた。

過ぎていった季節に置いていくものもあれば、新たに
手に入れるものもあって、そうやって季節は巡り、
少女は大人になっていくのかもしれない。

わたしはもう、少女と呼ばれるような年齢ではない
けれど、年齢なんかに関係なく、人はみんな、それぞれの「人生の夏」があるのではないか、と思う。

そして思わぬタイミングで、その夏は一瞬にして
終わるのだ。

夏が唐突にはじまったのと、同じように。


夜風が吹いて、夏が遠くの方から、秋を連れてこよう としているような気配を感じる。

ああ、わたしの夏は、本当にここで終わってしまうん
だなあ、とぼんやり思う。

だけど不思議なことに、心の中にあるのは寂しさより も清々しさだった。

それは少し、夏の終わりの明け方の空と、似ている
気がした。

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