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1週間が、とてつもなく長かった話

5月26日。
明日の誕生日を前に、27歳最後の今日、
はじめようはじめようと先延ばしになっていたnoteをはじめてみる。

この1週間は、とてつもなく長く、暇に感じた。
いや、全くもって暇ではなかった。
普通に1日8-10時間は働いていたし、
中間テストにレポート提出、やる事は山程あった。

いつもだったら、
「ウソ!もう1週間経ったの?」
という会話をするのが定番なのに、
今週は、「あれ?まだ1週間なの…?」だった。

なぜか。
理由は分かってる。

実は、5/19から私は声が出なかった。
この1週間ずっと。
音を・声を・言葉を発することが出来なかった。

5/19、土曜日。
朝、少し喉に違和感を感じて、
喉の薬を飲み、
リポビタンDを飲み、
そして、のど飴を舐めてマスクをして整えた。

その日は、7時間の研修の講師をする日。
喉の違和感をなるべく思い出さない様に、喋り続けた。そうしたら、まぁ、どんどん声がかすれてきて、最後の1時間くらいは、もうガシャガシャ。まとめ部分はささやき声で話すという申し訳ない状態。

どうにかこうにか研修を終え、参加者を見送ると、人魚姫のごとく、いよいよ声が出ない。

その日から、
突如として声の出ない生活が始まった。

翌日は日曜、病院はお休み。
とにかく安静にしてた。
でも、咳も出ないし、なんなら喉も痛くない。
身体は元気なのに、声だけが出ない。

月曜日、お仕事はお休みをもらって、
内科の病院へ。

(先生)
風邪…でもなさそうね、のども腫れてないし。きっと奥が腫れてるのかなぁ、抗生剤と炎症止め出しとくから。

(えぇ…そんなんで大丈夫なの…?)

もう3日も声が出ないと、家の中では話さなくても、どうにかなり始める。部屋の外から両親に何か聞かれてもノックで返答出来たし、ジェスチャーしたり、相槌の時は目の形を大きく変えて表情を大きく使った。

火曜日、
内科での診断がどうしても腑に落ちなかったので、仕事帰りに耳鼻科の病院に行った。
はじめて鼻の穴から喉に向けてカメラを入れた。正直言って吐くかと思った。私はああいうのは苦手らしい。

さぁ、私の喉の映像とご対面!
“ぼっこぼこ”だった( ̄▽ ̄)ははは

で、先生曰く、
このまま放っておいたら、このぼこぼこが固くなってなかなか治らなくなっちゃったけど、早めに来てくれて良かった!薬飲んだら、明日には声出始めると思うよ。

(私)ま・じ・で?!(喜びの舞)

(先生)でも、出る様になっても、まだ出さないように。ちなみに、ささやき声は、めちゃくちゃ喉に負担かかるから、絶対にしないで。まだガチャガチャ声出した方が良い。あ、でも今はガチャガチャも出ないか!ははは!

ささやき声だめだったのか…
どうやら、ささやき声を出すのは、喉を通常とは違う風に曲げる(?)から、割と力を使ってるらしい。(先に知っていたかった。。。)

とはいえ、明日には声が出始める!
そう思ったら、パタパタ飛び立てる位に嬉しかった。



水曜日。

出ない。  

木曜日。

“あ”の音を1秒くらい出せた。
私はカオナシだった。

金曜日。

私はまだカオナシだった。

どんどんストレスが溜まっていった。

最低限のコミュニケーションは取れる。
でも、パッと思った事をすぐに伝えることが出来ない。なんて事ない会話が出来ない。

…つまらない。

状況が状況だけに、
会いたい人との予定もキャンセル

周りの世界と遮断されている様な気がして、
孤独だった。

コミュニケーションを取ること自体にどんどん億劫になって来ていた。

どうせ伝わらない。
そう思うようになってしまった。

声が出なくなってはじめの頃は、
“知らない言語で話す人達のコミュニティに混ざった時の気分!懐かしい!”
なんて、気楽に思ってたけど、
そんなもんじゃなかった。

そもそも何も音を出せない、
全部喉の奥で詰まって、そのまま飲み込む。

こんなにも、
自分の想いを伝えられないって辛いんだ。
相手が自分の想いを受け取ってくれないって辛いんだ。

コミュニケーションが取れないって、
こんなに日常から色を取り除くんだ。

その事をひたすらに感じた1週間だった。

声が出なくなって8日目の今日、
土曜日。

やっと、ガチャガチャな声が出始めた。
治りはじめ、きっとまだ、あまり出しちゃいけないと思いつつも、

話せる!
嬉しい!
なんて事ない会話ができる!
楽しい!

今私は喜びに満ちている。

コミュニケーションがどれだけ人を支えるか、
体感した1週間だった。

私は、1週間だったけど、
世界には、自分の想いを主張することが出来ず、沈黙を強いられてる人達がたくさんいる。

貧困や搾取や差別などによって
権利を奪われた状況にいるために、
声をあげたくてもあげられなかったり、
存在を無視されている子ども達が世界中にいる。

児童労働者だったり、
いじめを受けている子ども達だったり。

私がインドで出会った16歳の女の子は、
3歳の子どもがいて立派にお母さんをしてた。

それがその村では当たり前で、
一見彼女は幸せそうに見えた。

でも、どう?生活は?と聞くと、
彼女は答えた。

「こんな生活大嫌い」
「でも、私にはこれしかない」

伝えたくても、伝えられない、
本当は言いたくても、押し殺してる気持ちがある。  

北米では、この状況下にいる子ども達の事を考え、自ら体験し、問題を知らせながら募金活動を行う”Vow of Silence”というキャンペーンがある。(Free The Children/ WE orgのキャンペーン)

声を使ったコミュ二ケーションだけでなく、
ジェスチャーや筆談、
そしてSNSも使わない。

一切の”伝える”行動を24時間断つ挑戦をし、
その挑戦に対して応援金を周囲から貰うという募金活動。

例えば、
カナダの高校生の子が、学校のみんなでこのキャンペーンをやりたいと皆に呼びかけ、全校生徒800人中600人が参加、24時間沈黙。
授業中も質問や発言も何もしない。
ランチタイムももちろんお喋りはない。

その挑戦の結果、みんなで16,000カナダドル、
日本円で約135万円を集めることに成功。
シエラレオネに学校建設・学用品贈呈、
ハイチの地震の緊急支援をした。

すごいよね。

日本では、こういう「〇〇に挑戦するから、応援寄付してください!」って、なかなか馴染みがない。

でも、最近はPolcaをみんなが使うようになって、個人的な挑戦に対して支援をしている様子をよく見かける様になった。

日本でも、この”Vow of Silence(沈黙の誓い)” キャンペーンは受け入れられるかな?

事後呼びかけになってしまうし、
アクシデント的に沈黙した1週間だったけど、
Polca呼びかけさせてください!

初ポルカだし、そもそも、ここまで読んでくれてる人がどれだけいるのか分からなくて、ドキドキだけど…

この1週間の沈黙が無駄にならない様に、
少しでも何かになったら嬉しいな。

ななみんの沈黙の誓いPolca


集まったPolcaは、フリー・ザ・チルドレンが行なっている農村自立支援の教育事業に寄付させて頂きます!

5,000円でひとりの子どもに初等教育を。

(参考)

”沈黙の誓い”チャレンジしてみる!
というのもぜひ!

チャレンジ後、何を思ったのか、
教えてもらえたら嬉しいです。

では、かなり長くなりましたが、
はじめてのnoteは、これで終わりにしようかな。

最後まで読んでくれて、
ありがとうございます!

-ななみん

Vow of Silence 2012のキャンペーンポスター。
実は、当時カナダのオフィスで働いていた私が、イメージを担当しました。


追記(2018,7,4)
沢山のPolcaご支援ありがとうございました!
32人の方から33回のご支援をいただきました。
わたしも追加して、20,000円(約4人分の教育費)を寄付に致しました。
本当にありがとうございます!

世界の子ども達と
ぜひこれからも一緒になって、
よりよい世界のため、走っていきましょう(^^)!

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