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丁寧に向き合うために、"増やす"のではなく"減らす"


増やすことはいいことばかりではない。


人それぞれ、手に負えるキャパシティ(容量)は決まっているし、増やせば増やしただけ充てられる力は分散されていく。


わかりやすい例で言えばマルチタスクだろうか。

ひとつのことに集中できている時に充てられる出力(パワー)が100%だとすると、数が増えていくにつれて50%、33%、25%と、それぞれに充てられる出力は下がっていく。

こう考えると、少なければ少ないほうがいいに決まっているということは誰の目から見ても明らかだ。実際に、やることが多くなるにつれて集中しづらくなるのは、あなたも普段の生活の中で感じていることと思う。


では、Twitterはどうだろう。

※今回は、Twitterをテーマに『減らす』ことについて話を進めていきます。
先日、『Twitterのフォロー数を0にする実験』を始めることをnoteに書いて、現在も段階的に進めている最中です。その体験をもとにしたお話です。



結論から先に言うと、Twitterでのフォロー数を"増やす"のではなく、"減らす"ことで、息苦しさの大部分が解消されつつあることを私自身が実感しているので、減らすのはオススメだ。Twitterの息苦しさの主な原因は『フォローの関係上、簡単に外せなくなった人間関係』『多くなりすぎた情報』『情報の質・相性』にある。


フォロワーを増やす方法ばかりに注目が集まっているものの、フォロー数、つまり、私たちの手に負える『容量』に向き合っている人は果たしてどのぐらいいるのだろうか。


最初はフォロー数もフォロワー数も0からスタートするので、増やしていくことが目標になる。増えていくことの快感は当然あるし、気が合う人と知り合えた時の興奮も確かにある。


ところが、ある程度の地点まで行くと、今度は『増やす』が頭打ちになってくるか、その増やしたものが逆に煩わしくなってくる。


『フォローされました』という通知が嬉しくて、同じような趣味・価値観をプロフィールやツイート内容から感じてフォローを返す。

共通の知り合いがいて、その人つながりで相互フォローになる。

ある人を追いかけて積極的に絡みにいった結果、フォローしてもらえて、晴れて相互フォローの関係になる。

最初は、こうして増えていく数字とつながりに興奮と喜びを噛みしめるものだ。


しかし、フォローの数が増えたり、しばらくフォローが続いていくと、違和感を覚え始める。


100、200、300と膨らんでいくフォロー数。
その膨らむ数字に比例して忙しなくなってくるタイムライン。
追いきれなくなって、ただ流れていくだけのフローコンテンツ(流れて消費されていく情報)。その様相はまるで、ざるがない状態でそのまま排水溝に流されていく、流しそうめんだ。


積極的に情報を取ろうとしていくものの、ひとつひとつの情報に意識を取られる度に、エネルギーも感情コストも消費して疲弊していく。

そして、誰かの発信する仕事論などを前に、自分が理想の姿になれていないことを痛感して、人知れず自己嫌悪に陥る。そして、さらに感情コストを消耗する。

またある時は、自分が見ることを望んでもいないトーンや情報が嫌でも目に入ってきて、心がざわつき始める。それが何回も続くと、やがて「追いかけたい(フォロー)」が「見たくない(ミュート)」に、「見たくない(ミュート)」が「振りほどきたい(アンフォロー)」に変わる。そして、さらに感情コストを消耗する。


ミュート(Mute)
Twitterにある機能のひとつ。相手に知られることなく、特定のアカウントから発信される情報を表示させないようにする機能。フォロー関係を維持したまま、情報を一時的に受け取らない状態にしたい時に使われる。


晴れて相互フォローになった関係であっても、表面上はその関係でも全く交流がないまま時間だけ流れていく人もいる。

また、最初は良くても、実は価値観があまり合わなかったことを感じ取ったり、発信されている情報が苦痛に感じ始めたりする関係が出てくるのも、Twitterではよくある話だ。

相互フォローという関係にいながらミュートを使っている、名ばかり相互フォローに成り下がるのだ。数字と『フォローされています』という文言だけで結ばれた存在。どちらかが外せば、あっさりもう片方も外れるような関係。


冒頭でも触れたように、数が増えれば増えるほど、充てられる力(資源/リソース)も少ないものになるので、相手と丁寧に向き合う『質』が犠牲になっていく。追えていないのにフォローを増やし続けることに、一体何の意味があるというのか。数字だけ増えても、後に残るつながりは増えていない。そんな薄いつながりの、なんとむなしいことか。


それなら、最初からフォローなんてしなければいいのではないか。


Twitterにはリストという機能がある。

もともとTwitterでは、誰かをフォローをしなくても、リストに追加することができるようになっている。特定の人の発信する情報を指定したリスト内で表示することのできる機能だ。カテゴリー分けできるタイムライン、といえばわかりやすいだろうか。

『ビジネス関連』『note』『ツイッタラー』など、自分が関心を持っているカテゴリー(分野/分類)に応じた非公開リストをいくつか作成して、興味が湧いた人たちを追加していくのだ。

そして、その日の気分に応じた情報を見に行く。


気分が乗らなければ見なくてもいいし、気が合わなくなってきたなと感じたらリストから外せばいいだけのこと。もともとフォローしていないのだから相手にも不快感を与えないし、絡みにいけば「フォローしていない=嫌い」と思われることはない。


"そもそもフォローしない"スタイルの難点があるとすれば、DMを開放している人以外にDMを送ることができないことと、鍵アカの人のアカウントを見に行けないことだろうか。ひとつのアカウントだけで完結させたい場合はこのいくつかの難点が引っかかるものの、サブアカを作っても構わないのであれば解消できなくもない。


少なくとも、相互フォローだけでつながっている煩わしい関係に悩まされることはなくなる。


フォロー数とフォロワー数がほぼ同じだったり、フォロー数が不自然に多いアカウントは、自動ツールで管理しているアカウントの可能性が高い。

こちらがフォローすれば、特定のワードに反応してフォローを返してくるし、フォローを外せば一定期間が経った後にあっさりフォローが外れる。

拍子抜けするぐらいこうも簡単に外れると、フォローを外そうかどうしようか悩んでいたのがバカらしくなってくるけど、フォローでつながっている関係のほとんどはその程度のものなのだ。


大切にするべきは、事情を汲んでそれでも交流を続けてくれる人。痛みは伴うけど、『増やす』のではなく、『減らす』を続けていくと、それが誰なのかが見えてくる。


フォロー数を0に近付けていくにつれて、

・タイムラインの流れが穏やかになった (じっくり情報を消化できる)
・リストで情報のカテゴリー分けをすることで、情報が整理された
・人間関係の煩わしさが減った
・本当に大切にするべき人が誰なのかが見えてくる

フォロー数が20周辺まで減った段階でも、このような恩恵に与れている。
0になった時は、タイムラインの流れが"穏やか"から"止まる"に変わるので、また新しい気付きがあると思う。詳しくは、0になってから1~2週間様子を見た上で、改めて書いてみるつもりだ。


Twitterでも、煩わしい関係が増えたり、使い方を改めたいと思うようになってきたら、一度"減らす"ことを考えてみるのをオススメする。

時間を減らすのでもいいし、見る情報を減らすのでもいいと思う。それは、通知を全部オフにすることもひとつだし、ミュート機能を活用することもひとつだ。

それでも、フォローという関係でつながっていること自体がどうしても気になってしまうのであれば、私のように、フォロー数0に近付ける実験をしてみるのもありだ。

情報を見るまでのハードルを"増やす"と同時に、情報への接触回数を"減らす"のだ。


いわばこれはTwitterにおける断捨離だ。物が多くなってきたら断捨離の時間を設けて、なにが必要なものかを吟味しつつ部屋を整理しないだろうか。それと同じことをTwitterでもやればいいのだ。

当然、離れていく人は一定数存在する。でも、フォローを外した程度で離れてしまうのであれば、所詮その程度の関係でしかなかったという証。つながったまま悶々としているより、わかっただけスッキリするというものだ。


あなたのその日々のストレスや悩みは、増やしすぎから来ているかもしれない。つながりを増やそう増やそうと思っても望む形で増えないのであれば、今のあなたの容量がいっぱいになっている可能性がある。グラスにいつまでも水を注げないように。


そんな時は視点を変えて、『減らす』ことを考えてみるといいかもしれない。


『嫌われる勇気』という言葉があるように、数字にとらわれない、あえて『減らす勇気』を持つことで見えてくる大切なこともあるものだ。


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