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「レンタルいっしょになやむひと」をレンタルして見えてきた大切なこと

先日、cotreeのひらやまさんが下記のツイートをしていたのを見かけた。

※現在は募集を終了しています。


私はcotreeさんのサービスを利用したことはまだないものの、今年になってTwitterを再開して以来、cotreeさんについての話はかねがね拝見していた。

そのcotreeに携わる方とお話ができる。これはまたとないかもしれない貴重な機会だと直感を得た。


ひらやまさんのnoteも普段から拝見していたので、何を迷うことがあろうかと飛び込むように応募を決意した。


条件さえ揃えば迷いなくすぐに行動に移せる気質はここでも活きたようだった。


が、約束の時間が近付くにつれて、あわわと緊張していく私自身。


本当に応募してよかったのか?

自分でも、なにがしたいのか、どういう答えを導き出したいのかわかっていない状況。だから悩んでいるわけなんだけど。


それでも、自分の中の迷いを答えへと近付けていくには、誰かの助けが必要。人間が変わろうとしている時は、人と話をしなければならない。自分自身との対話もそうだけど、誰かと話すことで見えてくる部分もある。


Zoomで話すのもこれが初めてだった私は、『Zoomの使い方わかってないんだけど大丈夫かな』という緊張も同時に抱えながら時を待った。


案の定、設定に少し手間取った。

声も聞こえないし、こちらの声が聞こえているかもわからないという技術的な問題。


しかし、ひらやまさんの声が聞こえてきて、私の声も届いた。

会話が成り立ったことが分かった瞬間、直前まで抱えていた不安はどこかに消え去っていた。


そんなこんなで、一緒になやむ30分がはじまった。


今回私が相談したこと


結論からいうと、まだ答えは出ていません。ただ、「自分が大切にしているものはなにか」がこのセッションをきっかけに少し見えてきました。


私が悩んでいたことは今後についてだった。

現在、私は転職活動をしている。が、進みたいと思う方向性がわからなくなってきたのだ。

仕事に直結しないことであれば、趣味の延長線上でやってみたいことはたくさんある。


しかし、仕事を通して実現したいこととなると途端に漠然としてしまうのだ。


「私はこれがやりたいんです!」

「この夢を叶えるために今私は生きてるんです!」

「これがこの仕事を通して叶えたい、私の夢なんです!」


そう確固たる自信をもって言える使命が、まだ自分の中にない状態。あるいは濃い霧で覆われている状態。


そこで、私は『やりたいこと』よりも『今の自分にできること』を考えるようにしていた。

しかし、どうにも進むべき方向をビシッと定められないでいる。


・周りが言うように、語学力や海外経験を活かせる仕事について専門性を磨いていく道を選ぶほうがいいのか

・うつ病、HSPなど、少数派の立場で自分が味わうことになった独自の経験(生きづらさを感じた苦労)や、そこから培われた共感性・価値観を活かすほうがいいのか


どちらを選んでも、まったく異なる道を歩むことになる。

『軸がない』『一貫性がなくて核となるキャリアがない』などと、散々言われてきた。それは、何度も転んできた自分自身が一番よくわかっていること。


ただ、前者の道を選ぼうにも、これまで活動してきた限りでは全く進展がないとしか思えない状態。

かといって、後者を選ぶとなると、前者にあるような自分の培ってきた能力・経験の一部が、十中八九、眠りにつくことになる。

すると今度は「それを眠らせておくのはもったいない」と周りが言い始める。それが私をさらに迷わせる。


・・・だめだ、わからない。


この気持ちを言葉に表せる限りを尽くして、ひらやまさんとのお話の中で説明していった。


ひらやまさんは、私の話を「いや、それはこうでしょ」と否定するようなことは一切せず、むしろ、ひとつひとつの言葉を真摯に受け止めながら、歩み寄るように一緒に考えてくれた。


今の私の近くにいる一部の人に話したら、間違いなく凝り固まった価値観を押し付けられて、さらに追い詰められていたことだろう。

そんな状況にいる私にとって、限られた時間であっても、そのままを受け入れた上で一緒に考えてくれる人の存在はとてもありがたかった。


相談してみてわかったこと:『意思決定の基準』と『行動のトリガー』


話していた内容を一言一句書き起こすことはできないので、ここでは割愛するけど、あるタイミングで、ひらやまさんのお話から『意思決定の基準』というキーワードが出てきた。


私がなにに強く心を動かされるのか。

なにをもって『これだ!』と決めてきたのか。

自分の行動のトリガー(引き鉄)となっているもの。


「意思決定の基準を持っておくといいのかもしれないなぁと思いました」という、ひらやまさんの言葉を聞いて、私は話しながら考えてみた。



お金。待遇。仕事の内容。ステータス。やりがい。一緒にいる人。

いろいろ大事にしたいものはある。叶えばいいなと思う願望もある。


これも人によってそれぞれだと思う。

それぞれということは、どれが絶対的な正解ということもない。


でも最後に決め手となるものはなにか。


私という人生を経営する上で、最終的な意思決定の基準となっているものは何だろう。


私の場合は、『人』なんだと思う。

それも、自分が「こうありたい」と思っている姿を実際に体現している人たちだ。


違う意見も柔軟に受け入れられる懐の深い人。

自分が経験してきたことをカミングアウトすると、他の大多数の人たちが腫れ物に触るような接し方をする中で、「そうか・・・大変だったでしょう。」と寄り添ってくれる人。

年数や肩書きで上下関係を決めるのではなくて、あくまで一人の人間として対等に接してくれる人。

ありのままを受け入れてくれる人。

相手の気持ちを尊重できる人。


他にもいろいろあるけど、私がなにかを迷いなく決める時は、いつも『人』によって心を動かされた時だった。


だからこそ、誰かの役に立てていると直に感じたい。

これまでの自分の経験によって培われてきた人生観が、誰かの背中を押す事ができるなら。誰かの心の救いになるなら。

その気持ちに対する「ありがとう」が感じられた時。

それが私にとってのやりがいなんだろうなと思う。


そのことに改めて気が付いた。


「何をするか以上に、誰と一緒に過ごすかが大事」


今年の初めに、私が尊敬している住職さんの弟子の方から言われたことを思い出した。


「私の経験から言えることは、どんな事をするかよりも、誰と仕事をするかのほうが大事だということです。迷った時は直感に従ってみるのもひとつだと思いますよ。」


私の中で、この言葉がすごく印象に残っていた。


確かに、今までを思い返せば、私はこれまで『人』にものすごく悩んできた。


小さい頃から家庭環境で常に問題はついてまわったし、

小学校、中学校、高校の中頃ぐらいまでいじめを受けてきたし、

社会に出てからも、就職・転職の度に貧乏くじをずっと引き続けてきた。


その結果、うつにもなった。人並みの生活をもう一度送れるようになるまで数年かかった。


その結果、『仕事=怖いもの』という潜在的な意識までついてしまった。

だから、「自分にはこんなことできない」と、いつも最悪のシナリオを想像してしまう自分がいる。周りから攻撃され続けて、精神崩壊を起こす。

責任のある仕事のことを考えると、「また同じことが起きてしまうんじゃないか」と、反射的に脳裏をよぎるトラウマとして刻まれてしまっている。


一方で、「この人みたいになりたい」「この人がいるなら頑張れる」と思える人がいた間は、なんだかんだ長く続けられていた。

そう、これまで人から散々傷つけられてきたけど、いつだって心の傷を癒してくれたのも、進む勇気を与えてくれたのも、同じ『人』だった。


仕事の内容も大事。

自分の能力・経験とのマッチングも大事。

お金(年収)も大事。


それでも、私にとって最終的な決め手になるのは『人』なんだなと、このセッションを通して知ることができた。


転職そのものに関しても、たとえばお試し期間で1~2週間働いてみるなり、飲みにいってみるなどして、人柄や相性を確かめられるほうがいいのかもしれないという話もした。


もっとも、実際にできるところがあるかはさておき、面接という場だけではわからないことが多すぎるのも事実。立場などを全て取っ払った状態から、人としての相性で決めることができるなら、そのほうが私には合っているのかもしれない。


『自分の能力や経験も活かせて、さらに人に恵まれた環境でイキイキと仕事ができる』

全部叶えば最高だけど、どちらか選ばなければならないとしたら、迷いに迷って最後は人で選ぶことになるんだろうな。


「これだ!」と明確な結論はまだ出ていないし、まだまだ時間が必要かもしれない。それでも、今回の時間を通して、大切にしていたものが少し見えてきたような気がします。


ひらやまさん、ありがとうございました。

一時的であっても、時間が経つにつれて変わっていくかもしれないものであっても。

私自身にとっての答えが出たら、その時はまたお伝えしたいなと思います。




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