消化力を忘れた「ある地点」
※前回の続きです #体を整えるのがめんどくさい
あの日忘れた「消化する」こと
それは母からの衝撃のことば「あんた、脚太いよ」でした。ここからすべてのバランスが崩れはじめたのです。※これは恨みではなく笑、この場へ至るきっかけとして人生にスパイスを与えてくれたものとして感謝しています。
「あぁ、私は痩せなければいけないんだ」
高校の制服から出た自分の脚を見下ろして、初めて芽生えた自覚。
脚が太いんだ、これは恥ずべきものなんだ、どうにかしないといけないものなんだ。これが、永久無限の耐久レースのスタート地点です。
それからは「どうしたら脚が細くなるんだろう」「細い脚ってどんなの?」と、情報収集が始まりました。目に入るのはカモシカのような、ほっそいそれ。ウヒョー!という驚愕と、対して立派な自分の脚とのギャップ。この差を埋めるには?
「痩せないといけない」
ここから、「痩せるために生きる」人生へと染まっていったのです。
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食べて消化していれば問題ないのに
生まれたときから「とり入れては消化する」をやってきました。吸っては吐き、食べたら消化し、消化しきれない感情は泣いて・話して・歌って吐き出してきました。それを自然と繰り返して生きてきました。
しかしどうでしょう。「痩せるために生きる」ことを始めたその日から考えることは「なにを食べれば痩せるのか」「なにを食べたら太るのか」。そこには「なにをとり入れるべきか」という外界への敵視が生まれています。とり入れようとする全てが、太らないかという懸念に束縛され始めたのです。
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はて。「消化する」はどこへ?
私たちは消化する能力がある。いらなければ消化して外へ出すことができる。いらないものが体の中にあると、放っておくわけにはいかないシステムが起動して、SOSサインを出すことになっている。そして勝手に自然に「出す」ことへ体は働きはじめる。
SOSサインは「いやな感じ」として現れる。お腹のガス・ゲップが止まらない・ひどい眠気・むくみ etc…
そしてありがたいことに(?)すぐにそのサインはやってくる。早ければ食後、もしくは翌朝、時間を経て慢性化することもある。そしてこれらはすべて「消化できてないっす…」というサインとして自分自身が発する体の調べ、つまり体調である。
しかし、「なにをとり入れるか」にフォーカスが向き始めたときから、「消化できているか」ということを置きざりにしてきてしまった。
・カロリー
・栄養バランス
・糖質の存在
などを知ってしまってからは尚更、食べ物が「こわく」なってしまった。
消化できれば、問題ないのに。
なにを食べたら、太るか・痩せるか。食べることは太ること。食べたら、太るから、じゃあ、運動しなくちゃ。カロリーを、消費しなくちゃ。
・・・ちょっと待てよ。
なにか大事なことを忘れているのではないか。
「消化できるんだぜ」ということを。
苦労をして”消費”することなく、いらないものは外に出す”消化力”を私たちは兼ね備えていたということを。
その証拠にほら、傷は治るでしょう。熱が出るでしょう。ニキビや、くしゃみや、ゲップもそれにあたる。いつも何かを出している。とり入れたら、出さないとやっていけないはずである。
忘れた消化力を取り戻せ
「脚」がきっかけだった私であるが、あなたのスタートはどこだっただろうか。そのとき「その地点」へ置いてきた「消化力」を取り戻そうではないか。
なぜならば、「もともとのからだ」へ立ち返るために。
それは「脂肪が、余分なだけ排出される」こと?
もしくは「溜まったなにか」を排出すること?
はたまた「必要だったものが補完される」こと?
いずれにしても「消化力」がキーになる。
出すには、消化力。補完するにしても、吸収するための、消化力。
ダイエットの始まりと同時に置いてきたのは「消化し切る能力」だ。
というより、それに蓋をかぶせて、”なにをとり入れるか”に水を注ぎ続けていたのだ。とり入れることと、消化すること。どちらも揃えよう。そのための方法は、アーユルヴェーダが教えてくれるのである。自分のもともとの消化力を再起させてくれるのが、食事法であり、生活法である。
消化力を高める方法については、今後もVoicyやYouTube、メルマガ等で発信をしていきますのでどうか見守っていただけたら幸いであります。
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