『ファミリーヒストリー』調べに魅せられて②/亡き父の遺した写真とメモの解読!

先日父方の88才の叔母(父の妹)を誘い、○○記念館(父方のちょっと変わった姓と同じ名前の記念館)へ行ってきた。
私の旧姓でもあり、何だか通じるものがある気がして行きたくなったのだ。

行く前に待ち合わせ駅でランチをとりながら怒涛の昔語り。

叔母は実家のアルバムからはがしてきた昔の写真をたくさん持参してくれて、昔話に花が咲いた。
私の知らない祖父母の商売、その店の奉公人などの顔ぶれ、若い頃の父、見覚えのある我が家の家族写真もあった。


1.父の遺した写真

私も、ご先祖様が沢山写っている興味深い婚礼の写真を持参して、誰が誰なのか叔母に説明を求めた。


結婚式の本人は、私も知っている祖母の弟 Kさん(父・叔母からみた叔父)

参加者は私の祖父しかわからない。

Kさんとお嫁さんの両脇にはおそらく両親だろう。
Kさんとそっくりなので、お嫁さんの右隣りは母親(祖母の母でもある)だとは容易に想像がつく。私からすると曾祖母だ。

そこで、祖母はどれかと叔母に尋ねた。
すぐ後ろに日本髪の女性が三人、子供が二人横に並んでいる。
きっとそのどれかだろう。
男性は五人。その他にも日本髪の女性が三人。

私の予想に反して、叔母が祖母だと思ったのは、三人のうち一番左の女性だった。

実の母親のことだから、「ふ~ん、おばちゃんがそうだと言うならこの人がおばあちゃんなのかね~?」と呟いた。

でも内心、一番右側がそうなのではないかと思っていた。だって、顔が似ているんだもの。でも三人とも粋な別嬪さん。

直感的に祖母と思った女性は、その嫁(父の兄のお嫁さん)にも似ている!と感じた。

父の兄(伯父)は、母親(祖母)に似ている人をお嫁さんに迎えたのだなと何となく合点がいっていたのだ。



2.○○記念館見学

昼食後に、お目当ての記念館へ行ったが、私たちの先祖に繋がるものは何一つとして見つからず、展示してあるものも少なくてちょっとがっかり。

でも、江戸時代から続く旧家の風情、建物、土塀等がまだ残されており、一族が様々な文化人を輩出しているのがわかった。
もっと以前の遠い昔、ルーツが繋がっているといいな。

本草画家の博物図譜を一冊購入できたのも嬉しかった。

母方の祖母の、牧野富太郎博士親戚説が今年の春に浮上したので、さらに興味が沸いたのである。

購入した博物図鑑の解説を今日初めて読んだのだが、江戸時代後期の農村出身の優れた文人たちについて書かれていた。

その中で特別に取り上げられていた儒学者が、父方の祖母の旧姓と同じ姓というのもなんだかご縁だなあと感じた。(たまたまの一致だと思うけど)
祖父はこの記念館と同じ姓だし…

江戸時代の文化の動きについて全く知識がないので、知れて良かった。


3.父の遺した写真の真相判明

一週間たち、土曜日の深夜、またその婚礼写真を見つめて、戸籍から作った家系図を見ながら、推測した人の名前を書いてみた。

すると、すると、この写真と一緒に保存されていた父のメモが、メモの意味がようやく分かったのだ!

亡き父が「今頃やっと気づいたか!」と語りかけてるようだった。

人の名前が書かれたそのメモは、写真の並び順に縦書きで書いてあり、どこに誰が並んでいるかを記したものだったのであ~る。

何で今まで気づかなかったのだろう。
なじみのある名前は一部しかなく、親族の名前を羅列したメモだと思っていた。写っていないその子供(昭和世代)との親子関係も横に書いてあったけど、写真とメモは全く切り離して考えていた。

祖母の家の戸籍から作った家系図があったからこそ、家系図を見ながらの推測で写真の人の名前を推測することができた。


そして、父の遺したメモから、ご先祖様とその関係性、名前がほぼ全員判別したのだ。5歳位の父も一緒に写っていたから、親戚の名前と一緒に遺していたのだろう。

叔母はこの写真に写っていない。
何故だが同じ写真が2枚あり、一枚叔母に渡したら嬉しそうだった。


4.ご先祖様の名前判明からの推測と叔母の話

①曽祖父のこと
写真の中で、一番年上の曽祖父は、慶応2年生まれ。

名前は戸籍を見て知っていたが、顔写真が現れたことで、イメージが実体化し、江戸時代生まれの方なのに、何だか身近に感じられた。
男兄弟がいるのに、四女の祖母宅が曽祖父の晩年の面倒をみた事を、叔母から初めて聞いた。

②祖父母の若かりし頃の商売

祖父母は、米屋を経営。若い奉公人が沢山。祖母は、店で接客することが多く、女中さんもいたけれど、食事の支度や後片付けは子供の頃から父や叔母がやっていたとのこと。
さしずめ、祖母はユーミンのお母様のような立ち位置?うちはあんな大店じゃないけれど。「奥様、奥様」と呼ばれていたし、商売優先だったようだ。
そして、その経験をもとに祖父母は新しい事業に着手した。
それも大したもんだなあ~。
気位が高くて怖いイメージの祖父。もっと話せる機会があるとよかったな。
子供心にも凄い人脈がある、と思っていた。

③戸籍の日付よりわかったこと

●父の年齢
昭和10年3月がKさんの入籍日なので、婚礼日はその少し前だろうか?と推測ができた。昔のことだから数か月前かな?
確かにその日が判明すると、写真に写る父の年齢が推測できた。
自分が思った通り、父は5歳だった。

●叔母の存在
そして叔母の生年月日は、昭和10年9月生まれ。
写真の時は、祖母のお腹の中にいたことになる。

「おばちゃんこの時、おばあちゃんのお腹の中にいたんじゃない?」
と写真を見ながら、話したっけ。

私はやっぱり勘が鋭い!
少しのデータからでも、叔母の話も加えて、いろいろ推測できるのが面白い!

④血の繋がりは疑似親子関係

子供のいない叔母、母が認知症で会話が成立しない今、叔母との会話や交流が楽しい。疑似親子関係。お互いが有難い。

毎週のように電話で次に会う計画などを話している。
「毎日一人なので、こんなに話せて嬉しい。どこかに置き忘れてきた親族の話ができるのはあなただけ。」と叔母。
私にとっても父親族の話、昔の話ができるのはもう叔母だけだ。

父方の親戚付き合いは昔から疎遠で、こんな風に近しくなるとは思っていなかった。

こんな関係性の親族は増えているのかもしれない。

血の繋がりがもたらした、新しい家族のかたち…



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