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パリにて


本当はもう帰らなくていいと思って旅に出た。私はここに逃げてきたのだ、と事実を確認する。
花の都パリへ日本から「逃げてきた」のだ。
いつもの日々は私には窮屈すぎる。機能不全の家庭に育った私はいつも家から逃げている。それが今回は海外、それも憧れのパリであった、それだけ。いつもと変わらない逃避行。
いつも少しだけ、死にたいと思っている。帰る場所が薄暗くて冷たくて帰りたくなくて、涙が頬をつたっている時がある。思考と感情との結びつきを自覚する。まだ自分に人間らしいところが残っていたのかと、驚き皮肉にも笑ってしまう日もある。そんな時に思うのは涙なんて何にもならない無駄なものだということ。なんで泣いているんだろうと恐ろしく冷めて考える。あなたが私の検索履歴を遡るなら、「涙 なぜ流れる」がきっと何回も見られるだろう。
ファニーだね、と私の頭の中で誰かが囁いてくる。

旅に逃げる時、家を出るその瞬間から、私は結局何も変えられなくて、どうせ家に帰るのだと、はじめから諦観を抱いている。
あーあ死にたいなぁ
いつもそう。結局なにも変えられないのだ。社会問題も、自分の生活する環境すらも。
全てが嫌になって私はついに国外逃亡してきたのだ。花の都パリへ。
この場所は自由だ、息が吸いやすい。クロワッサンは美味しくて、伊勢丹でも買えないチョコレートの名匠のお店が立ち並ぶ。乾燥した空気は、日本よりも私の体に合っている気がする。
いつか旅でなくてここに住みたい、そう思った。私はこうやって夢という将来の希望を増やしていく。小さな夢でいいの。例えば「明日は友達と映画を見る」とか「プロジェクターを買って家で映画を見る」とか「富士山を見たい」とか。そうやって少しずつ希望を増やしていくことが私を死の誘惑から遠ざける。
人生を一本の道にする。分かれ道はたくさんあるけど、これらの小さな夢を道標にするんだ。これを1つずつ達成するためなら頑張れる。そうやって生きる。

人生は、小さな夢を踏破していく旅である。

私は命というのはクッキー生地みたいだと思う。棒を転がして、はじめは分厚くて球体だった生地を3ミリくらいの薄さに引き延ばして型をとる。人生もそうやって生地をうすくうすーく伸ばしていくみたいに、小さな夢を設定してそこへ向かってまだ生きよう、と引き延ばしていくの。

フランスに来て私はまた少し命を引き延ばす覚悟をした。

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