見出し画像

摂食「障害」?

障害とそうでないものの境界って一体なんなんだろう?と思って久しい。食事が「普通」に取れないことで死にそうな鬱期をよく迎えるから、考えることが多かった。病院にかかったら障害って言われて精神科?心療内科?にかからされるのかなぁっとずっとおどおどしていた。
美味しいものを美味しいと思う感覚が、完全にゼロになっていたのが大学2年生までだったきがする。食べ物を完全に数字で捉えることで安心して生きていて、そして虚無感に苛まれていた。2年間続けたアパレルのバイトだって、痩せに囚われていた象徴だとおもう、実際には全然痩せていなかったし、ただ毎日体重計の数字に一喜一憂して、その日の気分はカロリーと体重に左右されていた。
サイズが小さい服が着られないこと=恥ずべき状況、だと思い込もうとしていた。痩せている人が美しいと思うのは、今も昔もかわらないけれど、今よりその強迫観念が、自分もそうであらないといけないという思い込みが激しかった。
本当に、1日たりとも食事の熱量を計算しない日はなかった。勝手に自分で作った思い込みが、自分の考え方自体を一辺倒に規定していって、それをこなせない自分=ゴミ、だと思っていた。
どこで間違ったのか、高校生の時に軽い気持ちで痩せたいと思って成功したのが悪かったのか、その時に1週間くらい断食したのが綺麗に数字に出て、努力が報われることが楽しかったのか。
わからないけれど、それ以来カロリー制限がずっと辞められないこと、数字の書いてないご飯が買えないこと、外食が怖くて誰かととるご飯が苦痛なこと、がずっと続いて死にたかった。
過食に転じたのは大学1年くらいからで、過食と断食を繰り返し日々ぼろぼろでメンタルが死んでいた。だから何か変えないとと思って色々やったし頑張ったけど、正直最近は体型もカロリーもどうでもいいやって思えるようになってきた。最近はそれでも過食が止まらない日がけっこうある。週3とか。きついっすね。それで後悔してまた断食って感じ。ループ。
なんか実家暮らしでいつでも食べ物があるの、正直しんどい。人生が無理なの、食事のせいな気がする。
でも顔とか体に肉がつくのは許せない、、、、お菓子が好きな気持ちも本当。普通に食べられればいいのになぁ、という願いを七夕にでも祈りたい。
そんで貧血で栄養指導を受け?とか馬鹿げているよね、なんなんだろう人生?楽に生きたいなぁ。


小説や漫画みたいに、簡単に人生は好転しない。何年間かという前後の繋がりが強いものだと思う。だから治らないし、良くも結局ならないのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?