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自己紹介 〜OBSプログラム〜

22歳、入職3年目。
慣れと共に自分の不甲斐ない所から目を背けられなくなったこの年の夏、先輩から教えてもらったOBS (OutWardBound協会)のプログラムに参加した。

“一生に一度の過酷な、自己発見の旅”

そんなキャッチフレーズが掲げられているOBS。
元々は第二次世界大戦の若い戦士向けに始まったアウトドア活動だとか。
活動内容はマウンテンバイク、ロッククライミング、沢のぼり等々あるが、活動を重視しているのではなく、そこに挑む精神面を鍛えるものらしく、いま思い返してもすごい旅だった。

神奈川県丹沢。
事前情報は集合日時と持ち物だけ。
何も分からずとにかく言われたとおりの持ち物だけ持って電車に乗った。
駅で待っていたのは2人のインストラクター。途中、鬼のように思えたこの2人とも、のちに最高のハグを交わすことになる。でもそれはまだ先の話。

ひとまずこの2人と参加者の男女8名で色あせた紺色のバンに乗って、駅から数分の古びた神社へ向かった。

まず最初のプログラムは、
この2泊3日の時間をこのメンバーで進めていく上で仲間への信頼と自己突破を図るべく、高さ1.8メートルの境内の石段から後ろ向きのまま倒れるという常軌を逸した内容で開幕した。
倒れた先で仲間が腕で受け止めるというまさかの内容。出会ってまだ数十分しか経っていない人たちに自分の全体重、命を預けろというのだ。

「誰からやる?」

容赦ないインストラクターからの言葉に、やらないという選択肢はなさそうだった。
みんな少なからず自分と向き合いたくて自分を変えたくて参加した人たちだから(大学の単位が足りなくて参加した2人もいたが)、一人二人と成功していく。かなり恰幅の良い男性もいたが、7人の腕があれば意外と受け止められるものだった。
そして私の番。先の挑戦者を見ていて意外と大丈夫かもしれないと思いながら石段を登ったが、いざ倒れる直前は心臓がかなりの速度で脈打っていた。目はつぶるしかなかったが、もうやるしかないとスイッチを入れて重心をかかとに移した次の瞬間、目の前には境内の木々と空が見える景色があった。

命がけの遊びは全員やり遂げた。
達成感はあるが、出会って小一時間の者同士で喜びを共感する訳でもなく、みんなこれからのプログラムへの不安が増したのは言うまでもなかった。


そしてその日の午後。
3日間のプログラムの中で筋力的に一番きつかったマウンテンバイクが待っていた。
キャンプ場までの数十キロを地図片手に自分たちで道を選び進んでいくもので、その途中、指定された山を一つ登りきって行くコースになっていた。
職場へは自転車通勤であったものの坂になるとすぐ降りて歩いてた私にとって、漕いで登りきるなんてことは全く頭になくあっという間にみんなに置いていかれ、息もすぐ切れた。疲労感と共に両足の筋肉が悲鳴をあげる。ゴールはとてつもなく長く感じられ、あまりの山の傾斜に力なく笑いが出た。何しにここに来たのかという後悔とそれでも何とか登らなくてはという使命感に似せたやっつけ感がせめぎ合う中、なんとか途中休憩となる山の中腹に辿り着いた。先に到着していた7人の声援が聞こえると不思議と頑張れた。さっき命かけただけある。

少しの休憩をはさんだ後、再び斜面との戦いが始まった。山頂へのゴールはさらに辛いものとなった。傾斜が急過ぎてハンドルが真っ直ぐを保てず、”人生の辛かったことベスト3に絶対入ると思う”と当時の日記に綴られていた程であった。
辛いという思いが頭を占領していた中、山頂で待ってる人たちや、まだプログラムは始まったばかりであることを思うと頑張らない訳にはいかなかった。仲間意識という綺麗なものだけではなく、自分だけ初日から遅れる訳にはいかないという意地みたいなものであった。
それでもなんとか斜面との戦いを終えてゴールした。喉元過ぎればなんとかというヤツで、登りきってからは一気に気持ちがほぐれ、その先2時間ほどかけて田舎道を走りキャンプ場まで辿り着いた。


この夜、インストラクターの部屋に集められ、今日のプログラムを行なった中でどんな気持ちで挑んだのかを報告し合った。再びあの臨場感を思い出し心に残ったことを挙げていくが、インストラクターからは「なんでそう思ったの?」「それは逃げたっていう風にもとれるけど」など、容赦ない返答が返ってくる。この小さな部屋の中で再び窮地に立たされ、その鋭い矢のような返しにうまく返答できずしどろもどろとなり、果たして自分は何をしに来たのかという自問と共にその夜は更けていった。


そして、2日目。


この日はある意味人生で一番過酷なのではと思うシチュエーションが待っていた。
沢のぼり。OBSの沢登りは正確に言うと『滝登り』で、ウエットスーツに風よけのジャンパーを羽織り、ハーネスに命綱一本をつけて8メートル前後の滝を手足で登っていく。命綱は掴んではならず、なんとしても自分の力で登るというのがこの滝登りの一番の目的だった。そして中でも“いかに本流にこだわって登るか”という所を日本のOBSが大事にしている所で、横にすごく登りやすい水流の弱い所があるのにあえて本流(一番流れの強い部分)を登っていくことが自分と向き合う経験となる。
自分の力とは言ったものの、最初の2メートルはつかむ所がなかったり、その他の2~3メートル級の滝を登る時は仲間の力がすごく重要で、みんな下で滝に打たれながら、一人が登っていく台になる。
滝行以上とも思えるこの沢のぼり。
登っている間、わずか2〜3センチの岩のでっぱりに手と足をかけ、何十キロとも思える水量を浴びながら上に上にと登っていく。途中、水の勢いに押されて中吊り状態になったり、息も上手く吸えなかったりと徐々に奪われる体力と体温と共に必死に水に抵抗していた。
指の感覚はとうになくなり、リタイアの言葉も数回よぎった。ただ、諦めの感情が襲う度に、ここに送り出してくれた家族、職場の仲間、今までの自分、いろんなものが同時に頭を巡っていた。仲間の声援が轟々と響く滝の音の合間に聞こえた。きっと登らない訳にはいかなかった。
無我夢中とはあのことだと思うが、もう気力だけで登ったのだと思う。8メートル級の滝を登りきることが出来た。いまでも本当によくやりきったと思っている。


が、ここで安心してはいけない。
この後この過酷な滝をあと2本登ることになるのだ。


夕方、滝に打たれ続けて冷え切った体を近くの銭湯で温めた。帰り道のバンの中は、ほのかなシャンプーの香りと今日のチャレンジをやりきった達成感と明日で終わるという安心感で心が前向きになっていた。真面目さが欠け、インストラクターからお叱りを受けていた大学生2人も今日のチャレンジで見直された部分があり、みんな良い表情でバンの揺れに身を任せていた。
キャンプ場に着いてから、みんなで夕ご飯を作りお腹も心も満たされた後、今日のプログラムのフィードバックを行なった。
『本流にこだわる』という思いは気持ちが負けそうになった時に意外と自分を奮い立たせてくれる言葉となった。そのせいか、昨日よりはやりきった感と、辛さを乗り越える楽しさに出会った気がした。
また、仲間がチャレンジしてる姿は中々感動するものがあって、自分以上に嬉しかったりして、この日は仲間の存在の大きさを実感した一日だった。この日は、一生忘れないと思う。
と、日記にも記されている。


そしていよいよ最終日。
言い渡されたチャレンジは、マラソンだった。
この2日間で感じてきた気持ち・思いをたっぷりある時間の中で向き合ってみる。マラソンなんて高校生以来で、もう一生やるものかと思っていたけど、あの時間があって本当に良かった。

この2日間で体力がかなり奪われ、滝行での筋肉痛もかなり襲ってきていたので、大きくは“完走すること”が目標だったけど、短大の研修で山登りをした時に先生が言ってた「一歩一歩すすめば必ずゴールする」という言葉を思い出して、なぜか”これだ!”とその場の思いつきに身を委ねスタートした。
空前のマラソンブームで、走るだけのことになんでみんなそんな乗り気なんだろう…と、マラソンに対してかなり冷ややかな感情を抱いており、大人になってから自分がやるとは思いもしなかったが、いざ走り出すとこれは走るというシンプルな動きの裏での自分の気持ちとの戦いなのだと思い始めていた。
自分の気持ちに一歩ずつ近づいているようだった。でもやっぱり途中で気持ちに負けそうになって、疲れたとか足痛いとか止まりたいとか負の感情がどんどん襲ってくる。
でもそんな思いがこみ上げてくる度に、“まぁまぁいいから、とりあえずあのカーブまで走ってみたら?”と気の抜けた励ましのような言葉を自分に掛け続けた結果、いつの間にか橋を渡り、坂道を越え、ゴールの手前でみんなが叫んでる姿が見えた。
スタート前は途中で歩いてもいっかと甘く考えていたが、歩こうなんて一度も浮かばずにただ淡々と走っている自分にゴール前で気が付いた。
自分と向き合いながらゴールを目指す。走ることを馬鹿にしていた。最終日のマラソンは私が思っていた以上にとても素晴らしい思いに気付かせてくれた気がした。先に到着していた仲間数人に筋肉痛で激痛が走る腕でハイタッチをしながら最高のゴールをすることが出来た。

12キロ程の距離であったが、その間ずっと思っていた“一歩一歩を大切に”という言葉。つい大きなものを求めがちだけど、小さく見えることを確実に行っていくことが成功につながっていくのだと、言葉は分かるけど実感したのは初めてだった。



その日の午後、プログラムの修了式。

「“OBS(OutWardBound)”とは、“出港準備ができた”という意味です。ここからがあなた達のスタートです。」

鬼に見えたインストラクターがくしゃくしゃの笑顔を見せて言ってくれた時、達成感とも自己肯定感ともつかない熱い気持ちから涙がでそうだった。
2人とのハグは、感動と終わった安心感とこれからの期待で胸がいっぱいになった。

この3日間で気づいたことは、とてもささいなことなのかもしれないし、この旅を始める前に期待していたようなものではないかもしれないけど、あのチームで、あの体験を、あのタイミングで感じることができたという所が一番大事な所であって、ほんとにここからがスタート、いや、思い立った時がいつでもスタートなんだと自分で経験して実感できたのだった。

若干22歳。当時の日記には
”きっとまだまだ崖っぷちに立たされるようなことが何度もあると思うけど、その時にこの経験が頭に浮かんで“たいしたことないじゃん、一歩ずつだよ”って思えるようになるといいなぁ”とあったが、10年以上経ったいま、22歳の自分に恥じない生き方ができているだろうか。


あれから自分の出来ることをして、不甲斐なさも至らなさも感じ、休憩の時期も経験して色んなことがあったけど、その一つ一つの出来事が今の自分を創っている。前はあんまり好きじゃなかった自分も割と好きになれてきた。今でも時々自分が嫌になることもあるけど、それが悪いとは思わない。その一つ一つが全部必要であることを知り、今の自分があるのだと分かった。
そしてそれは周りの色んな人たちによって支えられてこその今なのだと強く思う。


今でも部屋に飾られている修了書にはこう書かれている。


『There is more in you than you think』


この3日間で感じた思いは今思い返しても身を奮い立たせる。

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