人格に複数の側面があることはDIDとは違う / 解離性同一性障害(多重人格)
おひさしぶりのコラムになります。
ふと、気になる投稿を見かけ「そうじゃないのよー」と感じたので書いてみたいと思います。
その方の投稿は「誰もが皆が多重人格である」というもので、環境に寄って人格は作られそれを使い分けることで日常を送っている、ということでした。
なるほど、それは確かにそうですね。
ですがそれはあくまでひとつの人間のひとつの人格の様々な側面をみているだけであり、人格が別れている(解離している)わけではありません。
また、それら人格(とその方が呼ぶもの)に名前をつけて使い分けよう、と言うその方の行為は非常に危険なものであると言えます。
なぜなら本当に人格の解離を引き起こす引き金になってしまう可能性があるから。
解離性同一性障害とは、人格の同一性が失われる障害です。
環境や対人関係に寄って自身の対応の仕方が変わる、といった類いのものではありません。
解離性同一性障害の人格の解離は、大本となる人格(基本人格や主人格だけとは限らず副人格からも生まれます)から記憶や感情や思考思想、トラウマ体験などが隔離隔絶され起こるものです。
態度や対応が変わる、といった単純なものではありません。
人間たくさんの自分がいるのは当たり前の事です。
そうやって自然とTPOに合わせることで人間関係を円滑にすることは重要とも言えます。
そのせいで本来の自分自身を見失ってしまうこともあります。
ですがそれは当たり前のことで解離性同一性障害ではありませんのでご安心を。
悩んだり自己の葛藤が起きている時点で人格の解離は起きていません。
体感的に、他の人格さんのことは他人他者です。自身の事として悩むことができません。
葛藤は人格さんごとに起きます。
それはそれぞれの人格さんによって様々であり人格さんごとの別々の問題になります。
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今回は人格の側面が複数あることは自然なことであり、またそれは解離性同一性障害(多重人格)ではないというお話しでした。
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