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不便だからこそ、見えていたものが便利なものに埋めつくされて見えなくなってしまっているよ?

時代は少し戻って、昭和へGO。
まだ今のように携帯電話やパソコン、iPadなんてものはなくて、もちろんだけどWi-Fiもなかった。

でもわたし達はそのことをどこか「へぇ、そっかそっか〜大変だったねぇ〜」ってどこか自分ごととして受け止めてない節がある。それは多少、仕方ないことだとしても
歴史上のこと、もう終わったことだもんね』というふうにちゃっちゃと片づけてしまいたいんだろうね。

わたし達だってお腹が空いたらコンビニやスーパーで好きなものが買えて、パパッと調理ができて、と恵まれた環境にいたけど、時代でスルーできただけなんじゃない? と考えずにはいられない。

もう少し早くに生まれてたら、蛇口を捻るだけで水が出ることが魔法に思えたかもしれないし、井戸から水を組まなきゃいけない時代に生まれてたかもしれないし、神のみぞ知るわたし達の運命は、どの時代に振り分けられるかわからない。

なのにわたし達は最近、ネット環境がよくないだけで苛々したり「SNSで話題だったから」って買いに行ったらお菓子とか化粧品が「うーん、イマイチだな」って思って捨ててしまったり、果てはフリマアプリで転売してしまうなんてこともまぁ、よくある光景。

便利すぎる時代だから故の二次被害は、どうすれば未然に防ぐことができるんだろう? わたしの頭では、知識だけでは、解決できないことが「こうして意見や疑問としてネットの海に流しておくと、誰かの目に触れるかも」って、淡い期待をしてしまう。

今のあなたの周辺にあるもの全てが、“存在していて当然”“なくなるなんて思ってないし、これからも消えないんでしょ”って思わないでほしいな。

携帯も、ネット環境も、ボタンひとつで手に入る食料や衣類なんかも「届いてくれてありがとう」「食べたいときに好きなものが食べられるってことは、普通なようで違うのね」
それだけでいいの。
始めの第一歩として、“気づく”ことをしてほしいな。

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#最近の学び #スキしてみて

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