“何かあったら”よりも、“いつでも”がいいのはわたしだけ?
「何かあったら相談に乗るし、遠慮なく連絡ちょうだいね」
って、よく言うし、言われることもあるけど…わたしはふと、疑問に感じたことがある。そんなに、言葉を発する側にとっては深い意味はなかったんだとしても、わたしには考えることのきっかけになったから、シンキングタイムに一緒につき合って貰えたら嬉しいなぁ。
わたしは、“何かあったら”連絡ちょうだい、って自分自身もよく使ってきた言葉だし、まぁそんなもんかなぁって特に疑問に感じることもなかったんだけど
あるときふっと、「んっ? 待てよ? “何かあったら”ってことは、それ以外は【放牧します宣言】のようなもん?」って疑問があった…んですよ。
わかるよーって人、どれくらいいるのかな?
わからないけど、わたしにはそう感じた瞬間があったからそこから色々な角度へと妄想が広がっていく。
・普段は放牧していてほしい、何かあったらレベルで助けてほしいの」
って思う人も
・いつでもなんでも聞けるように、スタンバイOKな状態がいい
っていう人、はたまた
・ひとりでもできると言えばできることなんだけど、助けが必要なら助けてほしい、いわゆる「どちらでもいい」人。
色々あっていいと思う。
でも、これはお仕事のことをベースにして書いてるからそうなるのかもしれないけど、「何かあったら」というのは“自分だけでできること”があるから信頼して放っておいてくれてるのかもしれない、という説が(わたしの中では)ある。
でも、プライベートではどうなんだろう?
って考えたときにはさ。
「こういうことも起こり得るんじゃないのかなぁ」って勝手な不安を山積みにしてきたからこそ見えることもあるんだって気づいた。
何かあってからじゃ遅い、その前の前の前段階くらいに話ができる人を探しておかなきゃパンクしてしまうよ、と。
会社で、あるいはそれ以外でもいいや。
何か嫌なことがあったとしよう。
最初はまぁそんなもんかって
その環境に適応していこうってあなたもがんばるんだけどさ、その内に「なんかちゃうねんな、つらいな」なんて思ったりして、でも友達にも誰にもそのことを伝えられない。自分ではまだ我慢できると思ってるから。
結局、自分の限界スレスレを超えたときに
もしくは
限界は当に超えていて、病みそうなときに
SOSのサインを出す人って、結構いる。
わたしもそんなひとりだもん。
自分が我慢できるうちはするべきって
そんな考え方が根づいてしまっているのかもね。
抱えてる荷物が多くて両手に持ち切れなくなってるのに、カートを使わないのと一緒で、心の中も抱えられる問題の量っていうのはここで違うとは言っても、限界が決まってるんだよ。
何かあってからは危険過ぎる。
「人のために自分が我慢すること」は、いいことって考えられているけどさ、そんな考えはこういうときには無視していい。
どんどん空気の読めないふりをして、「助けて!」声を張りあげまくったらいい。
相手のことなんて考える必要ない。
って、わたしもあなたに言えるほど強くはない。
ただ、単に 「こうなれたらいいな」の願望を書いてるよ。
話ができにくくても、頭の中をうまく言葉にできなくても、文字に起こすことは何でだか得意分野だから。
わたしはわたしの心をずっと見つめ続けるために
これからも自分に嘘偽りのない言葉や態度をとらなきゃいけない。
自分で自分を偽ったら
誰が己を信じてくれるの?
少しでも透き通った心でいるために わたしが一番に
自分の心のケアをする、心のお掃除屋さんでいよう。
たった一滴でも、自分のためにできることはなんだろうか?
考えにふけることが大好きな社会人より。
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