リリのスープ 第十八章 あなたの子供

ナディンとリリ、シンとジョシュが集つめられた場所に行くと、今回の大会の理事をつとめるという、州の知事と、そのスポンサーたちが集まっていた。
知事は、みなに、ねぎらいと大会の健闘を祈り、スポンサーは、大会の進行と説明をした。
17組の出場者は、順番にステージに上がり、理事や大会関係者に料理を食べさせたあと、会場に集まった一般客100名に、順番に食べてもらい、全組が終わった後に、投票数で結果がわかるということだった。

ナディンもリリも、普段市場で、対面販売でスープも、100杯近くになったこともあったので、あまり緊張はなかった。いつもと同じようにお客さんの顔をみて、にっこり笑って、スープを手渡していけばいいだけだと思った。
いつも通りでいこう、そうナディンもリリも同じ気持ちになった。

隣では、シンとジョシュが可愛そうなほどに緊張していた。
とくにジョシュは、顔色が青くなっており、

「どうしよう、100人に出すなんて、客の顔がみれない」

と言い出した。シンも、いつも快活ながら、このときばかりは、

「わたしも、100人相手にしたことなんて無いわ。お店にきてくれるお客なんて、せいぜい20名くらいだし。
それをこんな大勢いる場所でご馳走するなんて、なにかヘマしたらどうしよう」

と両手を胸の前でにぎりしめていた。
ナディンも、リリもかわいそうになり、

「とりあえず、さっきの休憩所まで行きましょう」

となるべく会場の人だかりから離そうと思った。
二人も、だんだんに緊張してきた。ジョシュとシンの緊張がうつったようだった。
思えば、対面販売といっても、市場のすみっこでほそぼそとやっていたものだから、ステージの上で、みんなにみられながらスープを振舞うなんてどうしたものか。
四人は、なんとなく足取りを重く感じながら、控え室に戻った。
準備することはもうなかったし、あとは、自分の順番がくるのを松だけと成っていた。

13番が、シンとジョシュで、14番がナディンとリリたちだった。

お互い、負かそうという気は、これっぽっちもなく、ただ健闘を祈りあった。大会に出場するのが、初めてであったし、州で一番に盛り上がるという大会だけあって、増してゆく熱気に押されていた。

四人は、自分たちの順番までは、まだ時間が十分にあったために、控え室のすみで、談話していた。
ジョシュは、学生時代にスキーをやっていて、同じ州出身のシンとゲレンデで出会ったのだそうだ。
二人は、すぐに一目で惹かれあって、何度も離れたシンの町までドライブをかさね、週末には行き来するようになり、お互い結婚を意識するようになったのだという。

シンが、

「一度別れたときもあったけれど、そのときは、この人でいいのかしらって、気持ちが揺れていたときだったわ。
学生の頃に出会ってそのまま付き合って、高校を出て、町の洋服屋で働いたの。ジョシュのことを好きなことには変わりなかったけれど、わたしはジョシュ一人しか知らないから、これでいいのかしらって思ったのよ」

と、そのときの素直な気持ちを語ってくれた。ジョシュは、面目悪そうに、

「それまで、ぼくは、スキー部だったし、いろんなところへ出かけていて、まあ、それなりに、彼女もいたんだけど、この人だ!って、一番に可愛いって思えた子は、シンだけだったんだ」

そういうと、シンは、ふっと笑った。

「そうなの。この人、わたしと付き合う前は、女遊びも派手だったの。何人とも、付き合ったことが会ったらしいの。
そういうのもあって、わたしは、ジョシュしか知らないのに、ジョシュは、いろんな女の子をみてきて、それでわたしを選んでくれたって言うけれど、わたしは?って思ったの。
わたしは、本当にジョシュでいいの?って」


その当時のことを思い出したのか、シンは、一点をみてだまった。
ナディンは、シンに、

「それでも、ジョシュをいいって思ったのは、どんな訳があるの?」

そう聞くと、シンは、顔をあげてきっぱりと、

「訳なんてなかったの。この人って思ったことに変わりは無いなってわかったの。何がきっかけだったんだろう。
そうそう、歩いてるときね、大きな黒い犬がいて、その犬が普段はほえないのに、そのとき、ちょうど私だけがその道を通り過ぎようとしているところで、急にほえて襲いかかろうとしてきたの。首輪がなかったら危なかったわ。
そのときにね、殺されちゃう!と思ったとき、ジョシュのこと思い出したの。ジョシュ助けて!って」

と笑った。ジョシュも、そんなシンをみて、


「それ本当?初めてきいた話だ」

というと、

「だって、言わなかったもん。何人も女の人と付き合っていた罰よ」

といった。ジョシュは、はにかむように顔を下げた。


「それで、仲直りしたってわけね」

ナディンは、褒めた。仲がいいのね。

「ねえ、ナディンは、彼氏はいないの?」

シンは、聞いてきた。女同士、花が咲かせらるのは、こんなときくらいなものだ。


ナディンは、自分にふられるとは思わなかったので、モジモジして、はずかしそうに言った。

「いまはいないわ。この間まではいたけれど」

すると、リリが、

「あら、アレンじゃなかった?彼と付きあっていたわよね」

そういうと、ナディンがはずかしそうに

「その彼とはもう別れたのよ。そのあとに付き合った人がいたのよ」

それを聞いて、リリが驚いた声をあげて


「知らなかったわ!どうして私に何も言ってくれないのよ」

そういうと、

「だって、あなた、その頃それどころじゃなかったじゃない。デイと何かあると、すぐに呼び寄せて」

というと、はっとして、シンとジョシュがいることに気づいて口をつぐんだ。

リリは、かまわないようで

「だって、仕方ないじゃない。わたしだっていろいろあったのよ。けれど、彼氏がいたってことくらい教えてくれてもいいじゃない。昔からの友達なんだし」

というと、シンが笑った。

「二人はカップルみたい。どうしてそんな相手のことわかってあげられるの。リリが困ったことがあると、ナディンが話を聞いていたわけね。
じゃ、ナディンが困ったことがあるときは、やっぱりリリに話したりしていたの?」

そういうと、ナディンは、言葉を詰まらせながら


「わたしが困ったときは、自分で解決しちゃうのよ。それかそのとき、付き合っていた人に話したこともあったけれど」

それを聞いて、リリが


「許せない。あなた、アレンには話してて私には話してくれなかったっていうの?」

と声をあげていった。

「わたしだって、悩みの一つや、二つくらいあるわよ。けれど、リリは、いつだって、その上をいく悩み方をしていたから、私が相談するすきはなかったのよ」

リリは、はにかむように、してから

「そうね。私の悩みにいつも話しを聞いてくれていたけれど、親友として言わせてもらえば、お互いそういうことは言ってくれないと、フェアじゃないと思うわ。だって、あたしばっかりあなたに心の中を話していることになるじゃない。
けれども、あなたは、あたしに言う隙間がなかったっていうのなら、あなたの悩みは、その程度のことだったんだと思うわ。
だって、わたしだったら、どれだけあなたが悩んでいることがあっても、私は自分の悩みを隠そうとはしないわ。
隠して自分ひとりで解決しようと悶々としている時点で、悩みは終着しなくなるし、時間はとられちゃうし、自分でいうのもなんだけど、悩みって本当は対してことは無いことなのよ。
それを大げさに捕らえてしまっただけなんだわ。だから人に言ってさっぱりするのよ。じゃなかったら、どうでもいいことを一日中考えてしまって、そのまま老けていく方がバカらしいじゃない。ねえ、そう思わない?」

とシンに顔を向けた。
シンは、驚いて口がすぐにきけなかった。おとなしいと思っていたリリが、親友の前ではこれほどよく喋る人なのだと思ったら、彼女の可愛さを確認したようだった。

「そうかもしれないわね。悩みって、人にいうと楽になるし、わたしもジョシュに言えないこともたくさんあるわ」

といって、チラッとジョシュをみると、彼は置いてかれた子犬のすがるような顔をした。

「だって、男の人ってわからないんだもの。こっちの聞きたい言葉も、言いたいことも、気持ちに鈍感っていうか。
ジョシュには、落ち度も文句もないけれど、鈍感で、時々どうしてわからないの。どうしてわかってくれないの?って気持ちになるわ」

と、シンは、言った。ジョシュははじめて聞く自分への気持ちに驚いて、彼女をみた。

「あなたが悪いっていうんじゃないの。けれど、もう!ってじれったく思うときがあるのよ。もう少しいろんなことに気づいてくれたら、私もこんなこと思わないのに。
鈍感さって、時々鋭利な刃物みたいに思えるときがあるのよ」

シンは、そういって、二人をみた。
リリは、シンの気持ちがよくわかった。デイが悪いんじゃない。けれど、どうしてか、その鈍感さが、たまらなくいやになっていた自分がいたのだった。それをこの若い夫婦も感じていたことだとしたら、自分が積年をかけて悩んでいたことは、自分だけの悩みではないような気がしてきた。


「そうなのよ。男の人って、とっても鈍感なところがあってね。たとえば、私がパーマを掛けたとしても、気づくのはその日の夜だったして。
うちの旦那もそうよ。デイだって、本当は、気が優しくて、私を一番愛してくれていることはわかっているけれど、それがたまらなくうっとうしく感じるときもあるのよ。だって、わたしは子供の世話だって、毎日必死で家のことをやっているっていうのに、彼はわたしを愛しているってことだけで、私を家につなごうとしているの。
わたしがどれだけ綺麗になったか、どんな服が似合うだろうか、どんなことを感じているだろうか、どう思っているだろうか、そんなことはお構いなし。
ただ、私をみて、そのままを愛しているというだけで、わたしを家に閉じ込めているのよ。そんなことあっていいと思う?わたしだって本当は、もっと輝いていけるのよ。だって、本当の私は、もっと快活に物言いをするのだし、ジョークだってたくさんいいたいわ。こんなことを思っている、こんなことをしたい、こう感じているって、その時々をいろんな言葉で話して分かち合いたいっていうのが、恋人だし、夫婦だと思うの。
けれど、デイったら、そういうのがないの。
まるで、私の保護者みたいな人なの。わたしと一緒に同じときを同じように過ごして、感じることもまるで違うのよ。分かち合えないの。
わたしをもっと、どんなことを感じて、どう思っている婦人なのかっていうことを知りたいと思っている人は、他にいるんじゃないかしら。
そんなことを思って旅に出たのよ。
だって、これでは、いつまでも成長の止まった籠の鳥みたいなものだもの」

そういうと、すっきりしたように、息を吐いた。
ナディンは、リリが言い終わったあと、例えようも無い清涼感につつまれていた。自分だけの秘密になっていたことが、こうして今日ここではじめてであった若夫婦の口にも伝えられたことで、もはや、自分だけがリリの秘密を守らなければならない騎士ではなくなったのだ。
何か大きな荷物を降ろしたような気がして、ナディンもほっと息をついた。

シンは、はじめあっけにとられたように大きな口をあいていたが、目が輝いてゆき

「それがお家を出た理由だったのね!
なーんだ。わたしは、もっと深い深刻な理由があるのかと思ってしまったけど、そんな理由なら、女の人なら誰でも思うことかもしれないわ。
いいえ、誰でもっていうと、ちょっと飛躍しすぎだけど。
わたしは、ジョシュのことで、一度別れようとしたけれど、その時のわたしにそっくりだわ。だって、彼といることがつまらなくなってしまったんだもの。
好きだけど、それだけではなくなってしまったの。他に私が出会っていない人がいるんじゃないかって、そう思ったのは事実だもの。
本当にこの人でいいのかって。
それを思って、探す旅に出たなんて、思い切ったことだと思うわ!
しかも、リリは、もうすでに結婚して、お子さんもいたんでしょう。
それをあたらしい出会いを求めて探す旅に出たなんて、わたしは、そのことがどうあれ、世間でどう思われたって、リリの気持ちわかるわ。
わたしも、いまはお店にお客さんもきてくれて、チキルの人たちにも親しまれて可愛がってもらえてきて、だんだん軌道に乗り出してきたけれど、もし、これが、子育てと家事だけで、お店なんて場所もなく、一日中オムツとミルクと食事の世話だけになっていたら、自分が惨め過ぎて、発狂していたかもしれないわ。
だって、本当のわたしの喜びは、他にあるのに、それをしないで、ずっと一日中旦那が帰ってくるのを待ち続けて、自分の趣味の時間もとれないで、人の世話だけなんて、無理があるわよ。
だから、リリがどんな旅に終わったとしても、全女性代表で、あなたのしたことをとがめないし、見守るわ!
ジョシュがいる手前、応援とまではいけないけど」

と茶目っ気たっぷりに、そう言ってくれた。
シンのあたたかい言葉一つ一つが、リリの不安に思う心を解き明かしてくれるようで、そんなリリをみて、ナディンもまたほっとしていた。
シンは、若いけれど、自分の思ったことをはっきりと言葉にして伝えることには長けていた。
二人は、そんな彼女の芯の通った考え方や、相手の立場になって考える洞察力すべてが、彼女に備わったものであって、若さや年齢で手に入るものではないと考えた。

「それで、これからどうするの?旦那さんと子供たちには、何か理由を言って出てきたんでしょうけど、ずっとこっちの町で暮らすの?」

そういうと、リリは、またもや、しゅんとしてしまった。
快活なシンに後押しされた家出のことも、この大会が終わった後のことを考えると、気持ちが滅入ってくるのは、避けられなかった。


「いいえ。ずっとシンディアの町にいるつもりはないのよ。ナディンも下の生活に戻らなければ。
けれど、その、戻るにあたって、わたしたちは、あまりに旅を長くしてきたものだから、どうやってというか・・・」

と奥歯にものがはさまったような口調になったのをみて、シンが、噴出した。

「どうしたの!?リリ。
家出までした勇ましさはどうしたのよ。さっきの調子と違うじゃない。
何か他に理由があるの?」

と言ったが、ナディンもリリもどうしたものかと考えた。
なんと言っていいのか。この大会が終わったときに、すべての結果がでてしまうと言わざるを得ない状況なのに、その決定打が口にできなかった。

結果がどうなるかわからない恐怖も、あと数時間で自分が戻るか戻れないかが決まるなんて、ことを快活に話せるほどリリの心臓はつよくなかったのだった。
リリがだまってしまうと、シンは、何かを察したようで、


「子供たちのことが気になるの?あ、もしかして、好きな人ができたとか?本当に旅で出会ってしまって、どうやって旦那さんにいっていいかわからなくなったとか?」

そういって、笑いを引き出そうとしたが、りりの心情は重かった。

黙って、首をふり、心の中に重い鎖でも口から出すようにしてポツリポツリと言った。


「もうすぐ旅を終わらせようとしているの。好きな人は現れなかったわ。
わたしたちが旅にでて、もう二ヶ月になってしまっているし、子供たちも私のことをどう思っているかわからない。こんな母親で。
デイにも、嘘をついてでてきちゃったから。
けれど、こんな嘘の旅を終わらせたくて・・・
手紙を書いたの」

そこまで言うと、りりはまた黙り込んだ。
シンは、ナディンをみて、それからジョシュをみた。
ジョシュは先ほどから、話している女性陣たちの会話の内容に、男ながら戸惑いと驚きをみせつつも、ついてきていたが、ここにきて、自分はだまっている他ないことも知っていた。
ジョシュは、シンと目を見合わせながら、りりが言葉を選んでくれるのをまった。

リリは黙りながらも、続きの言葉を捜そうとはしなかった。
シンは、彼女が、どんな思いで手紙を書いたのかを聞きたかったが、自分でいうのははばかれるだろうとおもったのか、

「手紙をかけただけよかったじゃない。
きっと、その手紙は、無事届いているはずよ。
母親を忘れる子供はいないわ。きっと、その手紙をみて、安心しているはずよ」

と、言い置いた。
誰に当てた手紙か、どんな内容か分からないシンにとって、むやみな言葉で元気づけることが、相手をどれだけ傷つけるかということはわかっていたが、
いまの彼女にそれが必要だという気がして、あえてそう口にした。
りりは、すぐに、反応し、


「そんなこと言わないでよ。
どんな内容かもわからないでしょう。
あなたは、その手紙が、デイにあてたものだと思っているかもしれないけれど、わたしが書いたのは、デイのお母さんへの手紙よ。
そこに、すべての真実を日の本へさらす決意をして、したためたのよ。
旅が、農場へ手伝いに行くというのは嘘だったこと。どうして旅にでたかってこと。
デイへのいままでの気持ち。
運命の人を探す旅だって。

わたし、素直に書いちゃったのよ」

そういうと、りりの目に涙があふれた。本当はこんなところで泣くつもりはなかったのに、自分が、どれほどこの手紙のことを、その結末を怖いと思っていたかがわかり、驚いた。
りりは、自分が思っている以上に、家族を大事におもい、また言われない人をその真実を書き記すことで傷つけたのだということを自覚した。
りりは、自分の気持ちをわかってほしかったのだった。
それを頼れる相手が、ナディンしかいなかったと思い込んでいたから、二人で逃避行のような旅を続けてきたけれど、本当は、どこにいても、自分は、人に心を開き、自分の口で真実を語ることこそ、一番の幸せであることをまだ知らなかった。
誰かに、自分の気持ちをわかってほしいと思っていたことも、この旅につながったのだから、それをすでに遠くになってしまったデイや、義母にわかってというほうが、難しい判断ということを感じた。
手紙を出したことに、後悔はなかったけれど、それでも、自分の本心をうけとめてまで、この会場に来てくれる可能性が低いことは、りりでさえも心のどこかで感じていた。

だから、こうして、声にだして、いまシンたちに話したことで、心の嘆きや、怖れを封じ込めるよりも、出してしまいたかったのだった。
結果は、口にだすよりも恐ろしいと思えたが、それを誰かに話すことで、少しでもその心にかかる怖れのベールを破り捨てたかった。
りりは、続けた。


「手紙を出したのは、自分で決めたことだから。
自分が、どう思っていたかを書いた上で、話したの。
それで、その手紙にね、こう書いたの。
もし、わたしのことを許してくれるのであれば、大会をみにきてくださいって。
だから、いま、もしかして、この会場にいるかもしれないし、
もしかして、いないかもしれないの。
この大会で、優勝します、ってそう書いたの」

自分でも、恐ろしいことを書いたと、だんだんにそう思えていた。
この大会の会場の雰囲気を感じただけで、飲まれてしまいそうなほどに緊張していた自分たちが、優勝します、そして、そんな自分を許してみにきてくださいなど、何重苦にもなって、今の自分を締め上げてしまっていた。

ただでさえ、優勝などできるかどうかもわからない、今年でたての素人の自分たちが、まさか家族との復縁までも、この大会にかけているなんて、とんでもない事態だった。
シンは、半ばあきれたような顔をしていたが、素直にそのことを話した。


「なんてこと。そんなこと書いたのね。呆れたわ。
そんなことどうして書いたのよ。黙っていたら、何にもわからないことだったし、しかも義母さんにかいたなんて、自分の息子を擁護しない母なんているはずないじゃない。
うちだって、ジョシュのお母さんはとてもいい人だけど、わたしが他の人を好きになる旅に出かけたなんてきいたら、私を許さないと思うわ。
それに、りりは、そこまでして戻りたい家族がいるなら、書くべきじゃなかったわよ。
だまって、何もないことにしたら、数年たったら何にも無いことと同じになっていたはずだもの。
それを、そんなに、正直に書いちゃうなんて、どうしてそんな度胸あることができるの?」


と、素直に言った。シンの言うとおりだと、ナディンも感じていたが、りりがどうしても素直に自分を表現したいという彼女本来の気性がそうさせたことに、偽りはなかった。

「自分を隠したくなかったの。
わたしでも、どうしてこんなこと書いたの?正気?って何度も思ったわ。けれど、デイのお母様なら、わかってくれるような気がしたのよ。
同じ女性として。
そして、同じ母親としても。
デイを愛するものだからこそ、何も無かったように暮らすなんてことは、できなかったのよ」

「じゃあ、デイには手紙を書かなかったのはどうして?まっさきに本当ならデイに話すのが一番筋じゃないの?」

シンは、りりに言った。その物言いは、芯のあることを話す女性のそれだった。

「デイには、書かなかったのは、彼には必要ないと思ったからよ。
彼には、わたしが会って話せばいいことだと思ったの。
お義母様に書いたのは、自分でもよくわからないけれど、デイを生んだお母様には、わたしのことを知っておいてもらいたいような気がしたの。
どうしても」

そういうと、うつむいた。シンは、やれやれというような表情になって、りりのことを見守った。しかし、その目は、優しいもの以外なにものでもなかった。

「きっと、その手紙を読んだでしょうね。そして、その手紙を読んで、あなたを許したかどうかは、彼女じゃないとわからないけれど・・・
わたしが、お母さんなら、許さないと思うわ。きっと。自分の息子の嫁が、もしそんな旅にでたことを知って、本当の真実を書いてくれたとしても、その手紙を読んだら、きっと、許さないと思うわ」

そういうと、ジョシュが、「おい」とシンの腕をひっぱった。
今日はじめてであったものから、あびせられる言葉としては、辛らつなものであることは、誰の耳にも明らかだったが、芯のあるシンがそれでも言う言葉には、深い温かみがどこかに入り混じっていることも、その場にいたものたちは、わかっていた。

「わたしなら、ジョシュのお母様にそんな手紙を書けるかといったら、そんな勇気はないわ。怖くてしかたないもの。
自分が許さないと思うようなことを、人にできるかどうかは。
そして、それだけ深くデイのことも、彼のお母さんのことも愛しているりりのような真似ができる人は、そうこの世界には多くないと思うわ」

りりは、顔をあげてシンをみた。

シンはつづけた。


「あなたは、立派に堂々としていたらいいのよ。
自分の愛がどこにあるのかをちゃんとわかってて、結果も想像しながら、向き合ったことだもの。
彼らを愛しているから、本当の意味で、彼と彼の家族を愛しているから、書いた手紙なんでしょうし。
そんな真似ができるのは、この世界に、りりしかいないわ。彼にとっても、彼の家族にとっても。
だから、十分、あなたは母親よ。デイの妻よ。
誰がなんていったって、自分のしたこと自分で守ってあげないと。
デイやお母様がどんなこといったって、あなたは立派な彼の妻。彼の愛している妻に変わりないわ。
自信もちなさいよ。

それに」


と、少し口をつぐんでから、


「私が母親なら許さないといったけど、
もし、息子の相手が、リリだったら、

許すしかないと思うわ」


と言った。
シンの言葉に嘘は感じられなかった。
ナディンなら、そう自分には言えないことをシンは、はっきりとリリに伝えた。
その言葉の裏にあるやさしさに、感謝した。
リリも、シンの言葉をきいて、贖罪を認められたような気がして、気持ちが落ち着いていた。
先ほどまで、ざわついていた心は、どこかへいき、朝スープを煮込んでいたときの、しんとした気持ちに戻っていた。
手紙を出したあとに、腹をくくったときの潔さとは、違って、このさき、何があったとしても、それを受け止めようというどっしりした大きな岩が腹の底にあるようだった。
シンが言ってくれた言葉を、みんなが多様に感じていた。

ジョシュは、シンの愛を感じて、さらに彼女の愛すべき一面をみたようで、そんな彼女の横顔に菩薩をみているようだった。
自分の知らない彼女がまだいることに、興奮と喜びさえ感じた。

ナディンも、勇気付けられたように感じた。
そうだ。結果がどうこう思っていたけれど、いつもいかなるときも、リリだっただけなのだ。
それをどうこう、言っても、周りがどうこうしたって、離婚したって、リリは変わらない。
わたしの親友だ。それだけだ。

そう思うと、力がわいた。

リリは、まっすぐ目をみて言った。

「ありがとう、シン。あなたの子供に生まれてこれなくて残念だったわ」

そういうと、二人は笑いあった。


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