その日々は日常という繋がり➁
さて前回からの続き。私と愛犬たちの話をしよう。
話の中では犬の死にも触れているので、駄目な人は散りばめた写真だけ見てくれるんでもいい。
前回はこちらから↓
私は社会人になり、メープルもムムも穏やかな日々を過ごした。
しばらくして、その当時付き合っていた彼の連れてきたプードルも仲間になった。
2DKに、ゴールデンレトリーバー、ウェルッシュコーギー(ペンブローク)、トイ・プードル………いささか溢れすぎてやしないか?
しかし、ここで書いておこう。更に猫が2匹追加される。後は、水槽が2つに魚達だ。
生き物に溢れていた。
それもこれも私が彼らに依存していたからだ。
私にとって言葉を喋らない友は、人間の友を上回る存在だった。人間のように煩わしい気の使いをしなくていい。ありのままでぶつかっても、最後は仲良しに戻れる。
私の心の安定剤を担う彼等を手放すなんて事は、私には出来なかった。
メープルとムムと彼の犬と、公園に行ったり
専門学校の後輩たちと海に犬連れで行ったり…
お金が無くて携帯が止まるような生活で、他の命を預かるなんて許されるものではないと思うが、あの当時の私はそんな事も考えられないほど、生きる事に疲弊していた。ただ、「私が野垂れ死にしたら犬達はどうなるんだ」と踏んばっていた。
そんな中、メープルが突然倒れた。
前日、斜め歩きをしているのを不審に思い病院につれていくとレントゲンに影があった。
その日の夜には立ち上がれなくなり、発作で鳴くので、隣に蹲って眠った。
次の日、後輩の手を借りて病院に連れて行き預けた。その時点で、ほぼ体に力は入らなかった。
先生には「できる事をする」と言われた。
点滴が終わったら迎えに来てねと言われた。
結果として、点滴が終わる前にメープルは旅立った。
点滴中、発作に襲われ戻らなかった。先生はかなりの時間、心臓マッサージをしてくれたらしい。
迎えに行ったメープルはまだ温かく生きているようだったけれど、鼻に乾いた血がこびりついているのを見て「頑張ったんだけど無理だったんだな…」と思った。
6歳だった。メープルは法律が変わるギリギリに近親交配された犬だった。身体が元から弱かった。加えて神経質な性格だった。
だからか、私はメープルがもう怖い思いをしなくて良い事に何処かでホッとした。
肉体は窮屈だっただろうから、思う存分精神体で駆け回って欲しいと思った。
因みにメープルが亡くなる少し前まで、私はペットショップ店員をしていた。
子犬は弱い。店自体も酷かったから……沢山看取ることになった……半年しか耐えられなくて辞めた…。
だから、嫌な言い方をすれば犬の『死』に慣れてしまっていた。トト丸を失った時の様な、半狂乱になったり、自暴自棄になったりもなく、何処か淡々とメープルの死を受け入れた。
動かないメープルと家に帰った時、ムムはメープルを踏んづけて私に甘えに来た。
勿論、叱ったがムムのその鈍感な無邪気さにホッとした。
ムムは人が大好きだ。
ご飯もとっても大好きだ。
彼はコーギーの割に温和で、何より可愛かった。
コーギーというと短毛なのだが、ムムは「フラッフィー」と呼ばれる突然変異で毛が長いタイプのコーギーだった。
ムムは頭の良い子だった。親ばかかもしれないが、今まで数頭世話してきた中では一番物覚えが良かった。
今までの子達より手間取らせなかった。
ムムは写真が多い。スマホになったからだ。
文明の機器有難う。
フワフワのムム。
写真映えする彼は撮っていて楽しかった。
でも、カメラを向けると近寄ってきてしまうのでベストショットは少なめ。笑
食いしん坊で「ごはん」という言葉だけでヨダレが漏れる。玩具かどうかは齧らないとわからない。笑
お風呂場のシャワーから水を飲む事を楽しみにしている変な子で「シャンプー」と声をかけると、自分から浴室まで向かって行く程だった。
晩年、ムムは手術もした。筋力も落ち、ふらつくようになった。
それでも、食欲は変わらなくて、甘えん坊なのも変わらなくて。
ムムと一緒に3回目の引っ越しをしたのが去年の2月。
ムムは新しい環境に強い。あっという間に馴染んだ。たまに呟きや、写真記事に出てくる黒猫のサクはとても用心深くて慣れるのに苦労した。
(因みにサクは現在13歳のお婆ニャンだ)
新しい仕事、新しい土地…私は目まぐるしい日々をおくった。
ムムはそのうち、散歩に行けないほど弱った。
たまに立てなくなり、もどかしさから夜泣きする。一晩中あやして、明け方眠る。
そんな日々もあった。
そして、去年の晴れ晴れとした5月のある日。
様子を見に部屋に入ると意識の朦朧としたムムがいた。
私はすぐさま名前を呼びながら側にいく。延命はしないと決めていた。だから、ここ数日の様子で覚悟も決まっていた。
「どうしよう?仕事…休むべきか…」
勿論、休むべきだが冷静ではない。
仕事に行くか、ムムのそばにいるか…謎に悩んでまごまごしているうちに、家を出る10分前になる。
すると、ムムが大きく呼吸をした。吐きたそうな、そんな呼吸だ。私にはわかる。沢山の犬の死を見てきた聞いてきた私にはわかる。
「ムムッ」と声をかけ頭だけ抱く。
次の瞬間には、彼は肉体から離れてしまった。
夫はトイレにたっていて1足間に合わなかった。
優しく撫で、仕事を休む旨を連絡し、夫は仕事へ。私は火葬の手続きをした。
ムムは眠ってるようだった。犬は人間みたいに化粧をしてあげなくても綺麗だ。
沢山涙が出た。
でも、苦しい涙じゃなくて不思議な感覚の涙だった。
15年と3ヶ月。私の苦しい時代のほぼ全てを見てきた犬だった。
私からの八つ当たりも、泣き言も、愛情も、何もかもを受けてきた犬だった。
沢山ある。ムムの写真。だいたいアホのように笑っている。
長かったね。15年と3ヶ月。良く頑張ったね。楽しかったかい?嫌な事もけっこうあったよね。
この世に未練はなかったのか、肉体から旅立った当日だけ気配があって、次の日にはスッカリそれも消えていた。私の涙もあの日だけ。
これが私と愛犬達の「日常」という繋がりの中の物語。
こんかい蚊帳の外だった黒猫サクとはまだまだ、日常を紡いでいるので、日々のnoteで見かけたら笑ってやってほしい。サクは人の言葉がよくわかる子だ。
そういや、小6から今まで犬が居なかったことなかったな。静かだし、毛は舞わないし…楽だ。笑 でも、たまにリードを見せた時の期待した顔や、玩具を取り上げられてスネた顔、電車を追いかけるときの後ろ姿なんかを思い出して「犬と暮らしたいな」なんて思ったりもする。
まぁ、今は私がままならないから他の命をこれ以上は預かれないけどね。
何時だって言葉の外側で彼らは私を支えてくれた。それは、ペットとか家族とかそんな括りに無い「繋がり」なのだ。
日常と呼ばれる不確かな時の積み重ねの中で、手にできる繋がりはほんの僅かだ。
そのほんの僅かにキラリと光る彼等がいた事は、私の「幸せ」なんだろう。
ここまで読んでくれて有難う御座いました!長かったー!
かなり端折ってます。本当ね。まぁ、これは流れみたいなものです。
生き物との関わり方って正しさを見つけるの難しいですね。
だって人間目線だとどれもエゴだと思うもの。
それでも、関わった全ての命達へ感謝を込めて。
また別の記事で、これを読んでくれたあなたとお会い出来るといいなぁと思います。
こんな真面目な記事ばかりではないです。笑
どうぞ、あなたが得た繋がりと日常の中で想いあふれる日々を。
それが、あなたの幸せであったらいいなと想いながら、この記事は終わります。
サポート設定出来てるのかしら?出来ていたとして、サポートしてもらえたら、明日も生きていけると思います。その明日に何かをつくりたいなぁ。