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その日々は日常という繋がり

みなさん、犬は好きだろうか?

これは私と愛犬達の話をまとめたものだ。なるべくまとめたい。でもきっと、長くなる。
(犬達の死に関しても触れているので駄目な人は文を読まないで写真だけ見る事をオススメする)


私は本当に小さい頃、向かいの家に住む雑種の「ちーちゃん」以外の犬には中々触れなかった。
釣り堀で飼われるゴールデンレトリーバーには飛びつかれ泣いたし、あの頃は野良犬が多くてよく追いかけられて泣いていた。

(辛うじて残っていたちーちゃんの写真。手前の棒立ちは私だ)

小学校に上がった頃には少しマシになった。(野良犬は怖かったけど)
通学路に「コロ」という雑種の犬がいて(昔なので…放し飼い)何時も私達の後を優しくついてきた。
コロが振るフサフサと柔らかな尻尾を友達と「しっぽせんぷうき」と名付けて撫でるのが日課だった。
それから腰の曲がったお婆さんが散歩しいるポメラニアン「マックス」
見かけると声をかけ、触らせてもらった。小さなマックスは全身で喜びをあらわしてくれた。可愛いと思った。

犬に泣かされていた癖に、私はずっと犬が飼いたかった。ただ、一緒に住んでいた父方の祖父は許してくれなかった。祖父は毛の生えた生き物に興味がなかった。

祖母の方は幼少にシェパードを飼っていた話を良くしてくれた。「バロちゃん」と呼ばれるその犬がいかに優秀か、そしていかに暑がりかを楽しそうに語っていた。しかし、飼うことは許してくれなかった。

父も、母も「爺ちゃんが駄目っていうから」と祖父を理由に私の要求を断り続けた。


しかし、私は諦めなかった。

結果、祖父が亡くなってから犬を迎え入れる事になる。犬種はコーギー。名前は「トト丸」性別はオス。 

(当時は使い捨てカメラで撮っていた。写真は3ヶ月位のトト丸だ)

彼は…私がこの地上で最も愛した犬である。
小学6年生の終わり頃、日記をつけ、散歩の為に5時半に起き、彼に釘付けの日々を送り始める。

彼は周囲の人にとても愛されていた。子供の私が散歩に行く先には沢山の犬友が出来た。皆、大人だった。(今思えば私の他人の領域にズカズカ入り込むコミュニケーションも凄い…)
皆は、トト丸と私に優しくしてくれた。今にして思えば「やっと犬飼えたの!名前はトト丸だよ!」と私が楽しそうに宣伝してまわるのを、微笑ましく見守ってくれていただけかもしれない。

トト丸とは海にも行ったし、雪山にも行った。
家庭が少しずつ平穏の仮面を剥がしだした時だったけれど、トト丸がいたら何とか乗り越えられる気がしていた。

彼は…とてもコーギーらしい、コーギーだった。 

(トト丸は今見てもイケメンだと思う)

コーギーはイギリス原産の犬で昔は牛追いが仕事の犬だ。胴長短足で筋肉質の身体は牛の股下を素早く潜る為のもの。牛を追い立てるときアキレス腱に噛み付く為、噛む力も強い。

トト丸はしつけに失敗していた。
餌の時は唸る。
あと、電車を追いかける。威嚇しながら。すごいスピードとパワーで。

そして階段を降りることを覚えた1歳半の彼は、ある日散歩に行こうとリードをつけた途端、階段を駆け下り外に出た。我が家は店をやっていた。普通の玄関はなく店のガラス戸が開かれている事も多々あった。

彼は飛びだした。
目の前は交通量のそこそこある道路だ。
大声で呼んだ。追い掛ければ逃げるから、何とか呼び戻そうとした。

私はその瞬間をみていた。彼が勇猛果敢に挑んだ相手は4tトラックである。

勿論、コーギーが勝てるわけがないのである。

中学生になって、辛い時期だったと思う。学校も家もボロボロで、それでもトト丸との散歩は欠かさなかった。トト丸だけが私の支えだと本気で思っていたのだ。

その、トト丸を私は目の前で失うことになった。

それから暫くは荒れた。ちょうど夏休みだったから良かった。この事が私を次の進路に向かわせた(勿論、他の要因も多々あるが…)

そういえば、トラックの運転手は事故のあと直に訪ねてくれて、トト丸の毛を持って行った。知り合いのお寺で供養してもらうからと。その当時は頭が真っ白だったが、良い人に心苦しい思いをさせたなぁと今は思う。

因みにこの時、我が家にはもう一頭犬がいた。 

犬種はコーギー。名前は「スモモ」メスである。
トト丸を飼って、どっぷりコーギーにハマった母は家での繁殖を試みたのだ(今思えば母の行動は異常だったし、私も馬鹿)
トト丸のお嫁さんとして来たスモモは大人しくておしとやかな子だった。唸らないし、電車も追いかけない。

(お気に入りの毛糸玉と一緒に)

スモモは私と相性が悪かった。神経質なスモモに、大雑把な私。スモモは私を避けたし、私もスモモとは散歩くらいしかしなかった。

それでも、トト丸が亡くなって、私が何とか中学校を卒業して家を出るまで一緒に過ごしてくれた。たまに喧嘩もした。

(一緒に写る数少ない写真)


そして、中学卒業後の専門学校のトレーナー科に通うことになった私は新たな犬と出会う。
メスのゴールデンレトリーバー「メープル」である。

(色白な子だった)

メープルは驚くほど気弱な犬で、車のエンジン音さえ怖く、車の横を通る時は、舌が紫になるほど必死に引っ張る子だった。少しでも気落ちするとご飯は食べない。嫌いなアジリティ(ドッグスポーツ。障害物をクリアするタイムを競う)の授業の後は尻尾の毛を毟ったりした。メープルとの訓練は地獄の日々。だって彼女はとても繊細。投げた物を持ってくる試験の時、たった5mの距離をものすごーく時間をかけて持ってきたり、かと思えば興奮状態でドッグランを駈けずり回ったり………何とか卒業したけれどメープルには「お前は訓練したり、競技会出たりには向かないね。3年間ごめんね」と話した。

そうそう。この専門学校時代のうちにもう一頭犬が増えた。

犬種はコーギー。名前は「ムム」オスである。
専門学校で担当する犬は何犬種かいた。私はコーギーがいる(先輩の代はいた)と思っていたし、コーギー希望だった。しかし、いなかった。
結果、相棒はメープルだったのだが、当時の私はコーギー狂いだったのである。そして、精神的な病から回復しつつあった母は更にコーギー狂だった。

(ダンボール生活中のムム)

当時、母はペットショップ店員をしていた。
実家にいるスモモは母が無断で飼った犬だ。
そして、ムムは母が一目惚れし、私に飼ってくれ(ペット可アパートに1人暮らししていた)と頼んだ犬。実家ではもう無理だからと。
なんと、その時実家には「カレン」という名前のミニチュアダックスのメスが増えていた。びっくりである。

(シルバーダップルというカラーが流行った時だった)

そうだ。
この専門学校の間に「スモモ」がこの世を去った。3歳だった。腸捻転だったようで、突然の他界だった。家を離れていた私は、知るやいなや電車に飛び乗りスモモに会いに行った。そして、別れを済ませた。


社会人になった時、新しく借りた独り暮らしをするアパート(勿論ペット可)にはメープルとムムがついてきた。

長いのでメープルとムムの話は次の記事につづく。

(目光りしちゃうご夫婦)

ここまで読んでくれて有難うございます!
この話は次の記事にも続きます。

結構端折って書いているけれど、あんなことやこんなこと……とにかく沢山………犬達がいる間に起きて、犬の事だけ書き出すと『幸せそう』だなぁって…自分の事ながら思います。

でも、そうね。
私が今、自分を殺さず済んでいるのは、何時だって側に彼等がいてくれたお陰だと思います。

あなたが犬と生きる人なら、どうか幸せな日々を。
これから迎え入れる人なら、大変だよとは言っておきます。
苦手だというあなたには申し訳ないが、犬と暮らす人を遠くで流してくれたら嬉しい。

では、次の…それかまた別の記事で会えることを祈って一旦綴じます。

↑一応続き貼っておきます

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