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「君は美術品みたいだな」

と、ある時の友は私をそう表現した。

私は納得した。
「観る人によっては価値のあるもので、観る人によってはガラクタみたいなものってことね。それまさに人間そのもの。君は今の所、興味深く眺めてくれるってわけね」と。



それが私である。

とある世界の私の一つである。

私自身はいつも「私」である。



例えば私が美術館に飾られていても、私は私のままだが、みに来た誰かには「それぞれが感じた私」が見えていることだろう。

そして口々にそれを言い合う場もあるかもしれない。 
どんな人間がどんな評価をするかで価値が決まる時もある。

玄関先に蔑ろに置かれ、雨風に晒されていたとしても私は私である。

誰が見向きをしなくても、誰も何も思わなくても、私は私である。


いつだって多面体。

みる角度、その時の気持ち、注目するところ、その時の状況。
皆それぞれ違うから。

カメレオンのように器用に色だけ馴染ませることもあるだろうし、明らかな警戒色で脅すこともある。

けれど、カメレオンの色の向こう側に気がつく目を持つ者もいれば、警戒色に怯えずくる者もいる。


いつだって『私の世界の私』と『何かの世界の私』が同時に多数存在している。

私はそれを切り分けて考える癖がある。

『何かの世界の私』が気に入れば、積極的に取り入れるし、喜びもするし、驚きもするし、見え方を修正したほうがいいと思えばするけれど『私の世界の私』が「こうだ」と思ったものは、外から見て、揺れていようが歪んでいようが汚かろうが、それでいいと思っている。
 


私は私の世界の私に、自由であって欲しい。
私が私に願う事は他者のための私ではない。

結果、他者のための私だったらラッキーなだけだ。

幸い、私は「他者のための私」を割と好きだから、今の所ラッキーだなと思う。

優しさはいいものだ。
相手をおもう気持ちも。
考えることも。



一つ何処か欠けているだけで、少し汚れているだけで、ちょっと歪んでるだけで、それを見る価値を見失うような人間の評価なんて、どうでもいいと私が思っている。


そんなコトでは、大切なものを見落とすと思っている。


だから、私は相手を見るときも、そう思っている。欠けていようが、汚れていようが、歪んでいようが、そうなるまでの流れを見ている。

誰かやそのものの世界から見て、欠けていようが、汚れていようが、歪んでいようが、その中に「私の世界から見たそのもの」を見つけていく。


ただそれだけ。


何時だって「私の世界の私」が此処に在る。
そして「何かの世界の私」がそちら側に居る。


どちらも「私」として存在している。
ただそれだけ。


「君は明るい内向型だなぁ。俯瞰するのが人より上手い。しかし頑固」

美術品だという話のあと、こんこんと煮詰めた話をしていた。
友の呆れつつも、素敵な評価を私は覚えている。
私の一つの私。
俯瞰が上手いかどうかは知らないが、友から見た私は上手いんだろう。
と思っている。




そのような事を昔は頻繁に考えていた事を
こちらの記事で思い出す。

たぶんこの記事の伝えたいことは、私の持つそれより柔らかだと感じるし、優しいと思う。
「鏡」みたいなものだと思う。

これを理解してさ、呼吸しやすくしていけたらそれはそれで素晴らしい事だと思うんだ。
 

そうそう。友香さんの何時もの文書から感じる硬度と違う硬度を感じたの。
だから気になったんだと思う。
何時もは花びらの厚い花みたいだけどさ、これはもう少し重くて硬いよね。
でも、誰かが怪我するほど鋭くないし硬くもない。
これも私の感覚でしかない。
でも私がそう思ったなら、それを書き留めて置きたかった。






私は鏡の向こう側を見たいと思う時があるんだよ。
根っこを見たいと思う時があるんだよ。

どうもそこが「私」らしいんだよ。


どんどん頭の中で色々なものが混ざったり組み合わさったりしていく。
記事としてまとまりが無くなってきた。
蛇足。
ま、いいよいいよ。
ここは私の開かれた庭なのだから。


ただの鏡返し同士はさ、あんま発展しないんだよな。

でもさ、たまに先に鏡用意してゆらゆらさせてる人とかいるわけ。
上手に使えるんだよ。力を吸収して、柔く返して、相手にも自分にも怪我させないやつ。

それに気づいちゃうと、もう、そっちの向こう側が気になっちゃうわけ。
たまに返されてあげるけどさ。
いや、私はそこまで執着もしない。

私はいそいそと鏡返しするわけ。
範囲せまめで。

手鏡やっほー。
だって姿見は重たいんだもん。
いいよいいよ。
そのまま飛び込んできても風だからすり抜ける。
その時肌が切れるかもしれないけど
わかってきてるんでしょ?

ってね。
もちろん、わかってきてないやつなんて、すぐわかるんだけど、そんなのいちいち、きいてやってらんないよ。



誰かの世界が私の世界を引っ張りだすこともある。
それが面白くて好きだから、こうして電子の海に漂っている。

私をどう見ているか、全てはわからないものの、何時もスキをくれたり、なんだかんだコメントくれたり、遊んでくれるフォロワーさん達に有難う。

それから、立ち寄って、なんだこれ?と思いながら読んだかもしれない、画面の前のあなたにも有難う。

電子くらげは本日も仕事です。
雨雨るんるん。

サポート設定出来てるのかしら?出来ていたとして、サポートしてもらえたら、明日も生きていけると思います。その明日に何かをつくりたいなぁ。