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小説 『想うもの』:002


重く冷たい 身を裂くような寒さを纏う粉雪 その中にも暖かさと優しさを持ち 私はそんな雪の暖かい部分に包まれている。私に触れると同時に 少し型崩れをする雪は 頑張れと私に囁きながら 勇気をくれていた。
背の高い木から滑り落ちた雫が水面に敷かれた氷を叩く音を聞くたびに 魚たちの驚く姿を思い描きながら 時が動く瞬間を味わっている。私が地上に顔を出した時には 辺りは 根の息と暖かな地面の後押しで 少し雪が溶け 小さな鎌倉のようになっていた。
もう少し。もう少しだ。
少し休憩を入れながらも 上へ上へと背伸びをする。雪の層に飛び込み のしかかる重みを全て受け止めながら 目の前に広がるであろう景色を...あの人が通る土手の細道を思いながら 笑みを浮かべて私は先を急ぐ。溶け行く雪の声援が 地に広がり 根に染み渡って また私に力をくれる。
ありがとう。ありがとう。がんばるね。
如月が 私の誕生月である事が こんなにも嬉しい。

寒さが一段と増す二月。如月と呼ばれるのには訳がある。寒さに耐えかね 着物を更に重ねて羽織る事から ”着更着”と呼ばれるようになったと言われているが、私は とある大切な人が語っていた説が 一番好きだ。”草木張り月”...草木が芽を張り出し、新しい息吹をもたらす月。 これが年月を経て如月へと転じていったんだよ。その人は 優しく穏やかに笑いながら そっとそう語ってくれた。暗い地中でじっと如月を待つ間に 何度 彼女のその微笑と声を 頭の中で再生し続けただろうか。雪を押し疲れ 自分の歩みを止めて耳を澄ますと 今でも彼女の足音が聞こえてくる気がする。

霜を立てた雪の表面を シャコ シャコとゆっくりと音を立てながら踏み歩む 足音。途中 少し間を置きながらも 一歩一歩私の元へと近づいてくる。土手を降りたところまで彼女が来ると いつも手に提げてくるビニール製の買い物袋が 歩みを踏み出すたびに彼女のズボンをはらい擦れる音も混ざって聞こえてくる。
シャカ シャコ シャカ シャコ シャカ シャコ
彼女は必ず私の南に生え立つ 大きな大木までやってくる。しわくちゃになった小さな手を そっとその樹に添え そこまでの道のりで 少し乱れた呼吸を ふぅーという息とともに整えなおす。ふっと顔をあげ 細く弧を描いた優しい眼差しで 大木の上の上まで見上げ 一言呟く。
ー​”今年も来れたよ”
年老いた頑固で意地っ張りな この大きな大木も 彼女がこうして来てくれる時にだけは とても穏やかに優しく微笑むのを私は知っていた。まだ息吹いていない者には 知ることのない 私だけが知る特別な 大木の一面だった。

彼女の事を一度だけ 彼に問いてみたことがある。その時の彼は 私の問いに 少し驚いた様子だったが 周りがまだ静まっている季節だと悟った瞬間 安堵感と共に少し赤らみを含んだ笑顔で教えてくれた。
彼女は彼の”想い人”だと
そして いつか私にも 私の”想い人”が現れるはずさ と彼は言った。それ以上 彼に彼女の事を聞かなかったのは、彼の答え以上に全てを悟りえる物は 存在しないと 幼心に理解したからだと思う。多分 私が生まれるずっとずっと前から 彼は彼女の小さな手から伝わる暖かさを想いながら この土手下に枝を伸ばして 小さな私たちを守り続けてくれていたのだろう。
今なら分かる 彼の命の源が この一瞬の為にあった事を。

そして、彼女が私の”想い人”を連れてきたのは24年前の如月のことだった。

音声配信はこちらです。今回は朗読つまづいてしまいましたが ご愛敬という事で 聞いてくだされば幸いです:)

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