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連載小説:『七瀬は誰にも探せない』第五話

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第五話:『XとY』


 アタシ達がかなり北の方まで来ていると知ったのは、今夜寝床となる旅館の女将さんが挨拶をしてくれた時だった。とても暖かい笑顔で迎え入れてくれたのだが、アタシは何をどう返して良いのかつまずくばかりだったのだ。というのも、彼女の言葉が上手く聞き取れない。とにかく、[まんず]というのが、[どうぞ]という意味だと何となく理解ができ、そこからはホイホイと部屋に案内されるまで彼女の後を追いながら終始笑顔でいるだけだった。
 部屋に通されふすまがぴしゃりと閉まった瞬間、アタシと七瀬は吹き出してしまった。
「スズ、可笑しい!いつもツンとしてるのに、変に笑顔多すぎるんだもん」
「七瀬だって、お辞儀してばっかで、分かりもしないくせに相槌あいづち打って!」
 二人で笑い合いながら畳の上に寝っ転がった。
「明日はコインランドリーに行かなくっちゃいけないわね」
 天井から下がる四角い照明をじっと見つめながら七瀬が言った。七瀬の髪が畳に流れ、横顔がはっきりと形どられる。いつも助手席に乗るアタシが、こうして七瀬の右顔をまじまじと眺めるのは初めてだった。とはいえ、左右対称でバランスの取れた顔立ちは右も左もあまり変わらない。が、ただ一つ見つけた違いといえば、額の生え際にうっすらと見えた傷跡だった。もうだいぶ古いものだが、少しばかり皮膚の色が薄い。それでもやはり美しさは変わなかった。
「瑠偉の服も、、、出しておかないと」
 そう言いながら、両手の甲で顔を覆った。七瀬のその姿を見た時、ほんの一瞬ではあったがアタシの中で今まで考えもしなかった、考えようとも思わなかったことが頭に浮かんだ。
ー どうでもいい!
 かき消すように慌てて体を起こした。
「七瀬!先に風呂入れば?」
「いいの?じゃあ先に入らせてもらおうかな」
 すっと起きあがり、テーブルの上の湯飲みを両手でくいっと口に運んで飲み干すと、七瀬は車から持ってきたバッグ片手に部屋の風呂場に入って行った。湯が流れ出す音を確認して、アタシはテレビの電源をおもむろに入れ、またドサッと畳の上に横たわった。
 この旅館には温泉がある。が、アタシは七瀬にそれを勧めなかった。
ー これでいいんだよな?
 勧めたところで、七瀬が困った顔をするのは目に見えている。目に見えているから勧めない自分がいることを認めるアタシ自身ももどかしい。この世に人の見た目を表現する言葉が溢れるほどある中、七瀬に限っては[美]の一字であることは間違いなかった。が、顔を覆って横たわった七瀬が美しいと感じたアタシの胸の高鳴りが、”アタシの知る七瀬に”ではなく、仰向けに横たわった”七瀬のその姿に”であったことに困惑していた。
 男とか、女とか、そんな性別的概念が目の前に現れたことに苛立ちを感じている自分がいた。
 温泉を勧めたところで、七瀬は一体どちらの湯に入ればいいというのだろうか。七瀬にはない自分の胸の膨らみが上下するのを視界の片隅に見ながら、アタシは心の中で、「ごめんな」と七瀬に呟いた。

「スズも入れば?」
 風呂から出てきた七瀬は、髪をタオルで乾かしながら笑っていた。
「アタシは……もうちょっとゴロゴロしたい」
「思い切り手足伸ばせないものね車の中じゃ。布団敷いておこうか?」
「いいよ、自分でやる」
 自分でもなぜ、そんなぶっきらぼうな口調になったのかは分からなかった。が、アタシの言葉になかなか返事が返ってこないことが少し気になり七瀬を見ると、正座したまま不思議そうな顔をしてアタシを見ていた。
「七瀬の、、、座敷童ざしきわらし!」
 アタシの言葉に呆気に取られた七瀬は、口元を覆いながらクスクスと笑った。そんな七瀬を見て、やはりアタシは七瀬という人間が好きなんだと心の底から感じた。つられ笑いのリズムに合わせて重い腰を上げる。テレビのチャンネルを七瀬に渡し、浴衣片手に風呂場へと向かった。
[今夜お届けするのは、前代未聞の特大カレーライスです!埼玉県にあるこちらのお店に……緒方社長の遺体発見をうけ、福岡県警は殺人事件に切り替え捜査を始め……この辺にお金おちてたりしないかなぁ~。。。おいケンタ!どこ見て歩いてんだよっ!!]
 漫才番組で止まったチャンネル。画面で巻き起こる笑いに、またつられてアタシは笑った。


「ちゃんと寝るから、大丈夫だって」
 困った顔をした七瀬は、アタシが眠りに就く前に車に戻ることを躊躇ちゅうちょしているらしかった。が、ルイの洋服を引っ張り出しておくことが七瀬にとって最優先だと感じたのは、命令口調で書かれたルイの今朝のメモがあったからだった。
「そうだ、たばこは?」
「あっ!」
「あー、もうったく!アタシも一緒に買いに行くから!」
 浴衣の帯を解こうとしたアタシを七瀬が止めた。
「海沿いのあの道にコンビニあったから大丈夫よ。私普段着来ているし、すぐだから行ってくるわ」
「ルイが自分で買いに行けばいいんじゃない?」
「車運転できるの、私だけだから」
 七瀬は立ち上がり、アタシの両頬を手で包んだ。
「スズはちゃんと寝る!いい?」
「子供じゃあるまいし、一人でも寝れます!」
「朝、また迎えに来るから。おやすみね、スズ」
 くるりと背を向けた七瀬に何知れぬ不安を感じて、七瀬の右手を咄嗟に掴んだ。
「七瀬!ルイと一緒で本当に大丈夫なの?」
 アタシの言葉に七瀬は優しく微笑んだ。
「大丈夫」
 アタシの頭に手を乗せて、もう一度
「大丈夫よ」
 と呟いて、七瀬は部屋を後にした。

部屋の明かりを消し、アタシはカーテンの隅からじっと駐車場を眺めていた。七瀬の車が再度駐車場に入ってきたのは二十分後の事だ。シートベルトを外し、後部へと乗り移る七瀬の影を遠目で確認したアタシは胸を撫で下ろし、そっと寝床に移動する。
 布団にもぐりこんで、照明の小さな豆電球をしばらく眺めていた。希望とは豆電球みたいなものなのかと変なことを思いながら、今自分の中にある未来への期待のような光に七瀬の顔が写り出し、暖かな気持ちで目を閉じた。その時だ。バタンとトランクの閉まる音が駐車場から聞こえ、アタシはすぐさま窓際へと再度身を寄せた。
 数台しか停まっていない駐車場に目を凝らすと、アタシたちの車の後方から人影が飛び出てきた。キャップを深くかぶったパーカー姿のその人物が男だと直感で思った。体を左右に振り、雑に足を前に放り投げ歩く姿。男は大通り方面へと歩き出すとすぐに足を止めた。アタシの視線を感じたのか、男がゆっくりとこちらへと振り返った。
ー 気づかれた?!
 アタシは咄嗟とっさに体を窓際から離し、ぴたりと壁に張り付いた。恐る恐る再度窓を覗いた時には、その男が海の方へと足早に消えて行く小さな黒い点にしか見えなくなっていた。


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