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連載小説:『七瀬は誰にも探せない』第四話

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第四話:『風車に回る記憶』


 その日のうちにアタシ達は三つの浜辺に降り立った。
 二つ目の海岸で目にした大きな風車は、砂浜に一列に並んで海風を受けながらクルクルと回っていた。初めて目にする巨大風車にはしゃぐアタシを尻目に、七瀬はじっと風車に手を触れながら、その振動を楽しんでいた。
「探している場所じゃないけど、なんだかすごく落ち着く」
 目をつむり、じっと風車の柱に手を置いて笑う七瀬の隣に立つ。そっとアタシも手を置いてみる。
「なんか、胎児体験してるみたいだな」
 定期的に脈を打つような、どこか遠くで何かが息づいているようなそんな感覚がした。
「でも、あんな女の腹の中って。。。帰りたくないな」
 アタシの一言に、今まで何も聞いてこなかった七瀬の口から初めて疑問符が出てきた。
「え?」
「ったく、七瀬アタシになーんも聞いてこないんだもんさ。なんであの日橋の上にいたのかも、なんにも」
 七瀬は苦笑いを返す。
「アタシの両親って最悪なんだよね。今は親だとも思ってないよ。何かある度にアタシのせいにするわ、父親は酒を飲んでは暴力ふるうわ。母親は何も言わずに知らん顔で、世間体だけ気にしちゃてさ。人にどう思われるか不安で、骨折した娘を病院に連れて行くのも、学校に行かせるのも拒む最低な人間だよ。旦那の酒の為に働いて、家に残されたアタシは酒浸りの父親のサンドバッグになるしかない」
 話をするだけでも憎しみが込みあげてくる。それでも、この風車の振動がアタシの心にもリズムを刻んでくれていた。
「いくら大人に助けを求めたって、その人達もペコペコ外面いい親に言いくるめられてさ。結局家に戻されて、それまで以上の暴力を受ける羽目になるって、もうどうでも良くなって。んで……もう死のうって思ってあの橋に行ったんだ」
「スズ……」
「あいつらがアタシを探しているなんて絶対にありえないし、母親は自分に暴力が振るわれるかもってびくびくしてんじゃないのかなーって。父親は暴力ふるう相手がいなくなって、外で暴力でも振るって……捕まっちゃえばいいなとかさ、思ったりもする」
 アタシが居なくなったことは、両親にとっては単なる娘の家出で片付けられ、それも今まで受けてきた暴力が原因だなどとバレるのが怖いはず。捜索願が出されているか否かなど、考えなくとも分かってしまうことに呆れ笑いが出る程だ。今のアタシは本当の意味で自由の身になれたのだ。
「なんか落ち着くのって多分、あの両親の元で一番幸せだったのが、あの女の腹の中にいた時だからだろうな」
 アタシはそっと柱に耳をくっつけた。

「私は、一度だけ母に会ったことがあるの」
 沈黙を破るかのように放たれた七瀬の言葉に目を開けると、七瀬は先程と同じ姿勢で目を閉じたまま風車の柱に耳を澄ましていた。
「一度、だけ?」
「そう、たった一度だけ」
「怖くて、痛くて……いつもなら陽介が来てくれる時間だったのに、いくら経っても陽介が来てくれなくって。ボロボロになった自分をどうしていいかも分からずに床に座り込んでいた時、初めて母に会った。涙が出ない私の代わりにボロボロ涙を流しながら、ぎゅっと抱きしめてくれていたの。どうしたの?なにがあったの?って。私は訳が分からなかったけれど、母の胸が暖かくて、もうどうでも良くて。その時にね、母が秘密のサインを教えてくれたの」
 七瀬は右手を開いてアタシの前に翳した。親指をゆっくりと折り曲げ、そして残りの四本の指で親指を包み込むように手を握った。
「これが、Helpのサイン。母は、何かあったら助けを求めてって私に言ったの」
「ヘルプのサイン?」
「いーい?こうよって何度も何度も自分の手を握りながら教えてくれて。母の声を聞きつけたのか、陽介がやっと来てくれて。私は泣きつかれて眠ってしまったの。私が母に触れられたのは、それが最初で最後。陽介も瑠偉も知らない、私と母だけの秘密のサイン。スズに私から教えたい」
 七瀬はゆっくりと私の手を取ると優しく親指を手のひらに収めた。そして私の手に覆いかぶさるように両手でアタシの残りの四本の指をそっと包み込むと、にっこり笑い
「これからは、私とスズのサインよ」
 と囁いた。

 いつも一緒でも、何一つとして良い思い出がない母親。生きるかてに出来る思い出を作ってくれた母親と一度きりの出会い。この世の中に、両方をくれる親は存在するものかと疑いたくなった。
 ただ、この浜辺にそびえ立つ風車は、こんにも正反対なアタシたちに絆という新しい鼓動を聞かせてくれたような気がしていた。

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