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連載小説:『七瀬は誰にも探せない』第六話


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第六話:『掴み切れない不安』




「スズ!」
 激しく叩かれるドアの音でアタシは飛び起きた。その反動で窓際のカーテンレールが音を立て揺れ動く。
ー アタシ、あのまま寝ちゃったんだ。
「スズ!!スズ!!」
 ドアの外から聞こえる声が七瀬のものだと分かってハッとする。
「七瀬!」
 アタシは立ち上がると転がるようにドアまで行き鍵を開けた。
「スズ!大丈夫?!」
 ドアを開けた途端に七瀬がかぶさるようにアタシを抱きしめた。
「七瀬こそ大丈夫かよ!」
 七瀬はアタシの両肩を掴み、アタシの顔をあちらこちらと覗き込んだ。両肩に乗せられた手が、腕を下降しアタシの両手を握る。そして一つ大きく息をついた七瀬は安堵した表情を見せ、いつも通りゆっくりと言葉を投げかけた。
「ちゃんと……寝られた?」
「えっ、っと。。。。うん。寝たよちゃんと……」
 七瀬の動揺気味な態度からは全く繋がらない問いかけに、アタシが一瞬たじろいでしまった。
「な、七瀬は?」
 私の目を真っすぐ見て息を整えながらゆっくりと頷いた。
 とにかく七瀬を部屋の中に入れ、昨夜アタシが目にした光景をどこから切り出そうかと茶を淹れながら考えていた。七瀬の動揺がそれと関係があるのだと感じたアタシは、慎重に言葉を選ぶ必要があったのだ。アタシが見た人影、あれは多分ルイだ。
 彼が帰ってくるまで起きていようと、その後じっと窓際に座っていたのだが、いつの間にか寝てしまったらしい。極限を超えた眠気に落ちた後は、アタシの皮肉な音への反応さえも自身を起こすことが出来なかったようだ。ルイが帰って来た時間もなにも、全ては闇の中だった。
「はい」
 暖かい緑茶を差し出すと、柔らかなありがとうと共に七瀬の手の傷が目に飛び込んできた。
「七瀬、なにそれ!」
 七瀬は茶に伸ばしかけた手を引っ込めた。左手の拳が赤く擦れ切れている。
「ルイに何かされたんじゃ?!」
「ん、覚えてないのよ私」
 七瀬は静かに言った。
「私も陽介とおなじで、一度寝るとなかなか起きなくて。多分どこかにぶつけたんだと思うんだけど、朝起きて私も始めて気づいたの」
 アタシは七瀬の手を取って傷を眺めた。
「ぶつかったって、どんな力でぶつかったらこうなるんだよ。普通痛みで起きるよ?」
「私、本当に近頃眠りが深いの。だから、何とも言えないんだけど。でも……でも、スズに何もなくて良かった」
 なんでアタシの心配をするんだ?自分に起きたことなのに、血相変えてアタシを真っ先に心配して駆けつけるだなんて訳が分からなかった。
「ルイは?」
「寝てる」
ー ちゃんと帰ってきたんだ。
 時計を気にしていればよかったものの、闇に目を凝らす事ばかりに夢中だったアタシは、何時ごろ眠りに落ちてしまったのかさえも覚えてはいなかった。どれだけの時間ルイが外出していたかは分からなくとも、七瀬が帰ってきてルイは十分足らずで出かけた。七瀬がルイの行動を知る確立は高いはずである。
「ルイが何時ごろ帰って来たかは覚えてる?」
「えっ。。。」
 七瀬の目が明らかに泳ぎだす。
「スズ、、、瑠偉を、見た……の?」
「あぁ、見たってゆーか、暗かったからはっきりとは見てないけど、多分そうかなって。車の後ろから男が出て来てさ、海の方に歩いて行ったから」
「そ、そう。多分、外出したんだと思う。朝、洋服が脱ぎ捨ててあったし」
「え?もしかして七瀬、タバコ買ってきてすぐに寝ちゃったわけ?!」
「う、うん。なんだか急に眠くなって。思っていたより疲れてたのかもしれないわ」
 どっぷりと寝てしまった七瀬もアタシも、ルイの帰宅時間は分からない。一体、どこへ行ったのだろうか。
「煙草も開いていたから、夜の海に煙草でも吸いに行ったのかな、きっと」
 そう言った七瀬の笑顔が取り繕われたもののように感じたのは、きっと気のせいではない。七瀬がアタシには言えない、ルイに関する何かがそこにあると思った。今はまだ整理がつかない、そう言った七瀬の言葉を信じその時を待とうと、アタシは堅く口をつぐんだ。


 「おはよごす」
 下へ降りると、女将さんが重なったお膳を手に食堂に案内してくれた。こじんまりとした小さなスペースにはテーブルが数台並んでいて、窓際に近いところに夫婦とみられる老人二人がにこやかに食後の茶を啜っていた。アタシ達は彼らに背中合わせになるテーブルに座る。
「七瀬、旅館泊ったのってアタシ初めてなんだけど」
「そうよね、今までは小さなホテルだったもんね」
「いや、そーじゃなくて。っていうか、ホテルも七瀬とが初めてなんだけど、旅館もこれが生まれて初めてなんだ」
 七瀬は驚いたものの、すぐに表情をほころばせ
「じゃあ、スズの初体験ね」
 小さく笑った。アタシは笑うどころではなかった。席に着いたはいいが、ここから何をどうすれば朝飯にありつけるかが分からない。食堂を見渡してもどこにもメニューが見当たらない。
「なぁ、七……」
 痺れを切らし七瀬に聞いてみようと思ったその時、女将さんがアタシ達の目の前に、素早くお膳を置いた。
「はいと~!」
 にこやかな笑顔に、湯気立つ朝飯がきらきらと光る。これこそが、朝飯!と呼べるような品々。飯に味噌汁、色とりどりの副菜、そこには刺身までついていた。
「すっ……すげー」
 すかさず箸を持ったアタシを七瀬は嬉しそうに眺めていた。
 アタシは会話することも忘れ、目の前にある食べ物を口の中に掻き込んだ。自分が口を開かないと不思議と周りの音が入ってくるもので、後ろの夫婦の会話がアタシの耳に流れ込んできた。
 彼らは奥さんの生まれ故郷を旅しているようだった。女将さんとの会話も奥さんが中心でしており、旦那さんとは訛りなしに会話をしている。今日はどこを回ろうか、どこまで行こうか、次の宿は露天風呂付がいい。楽しそうな会話に、世の中の『普通の夫婦像』が見えた気がして、尖ったアタシの心も和んで行く気がした。茶のお代わりの後、奥さんが女将さんと交わした会話の内容を耳にするまでは。
「あなた、昨夜近くで事故があったんだって」
「ん?こんな田舎で夜中にか?」
「事故って、そうじゃなくて、明け方に身元不明の水死体が上がったらしいのよ」
「物騒だな」
「まぁ、こんな辺鄙へんぴな所でしょう?お酒に酔って海に落ちたんだろって女将さん言ってたけど。なにせ、この辺り岩場が多いから損傷がひどくて誰か分からなくて、地元の方たちが人伝いに色々聞いて回っているんだそうよ」
「過疎化が進んでいるしな。無縁様なんて寂しいな」
「本当に……唯一の手掛かりが、腕にある大きなあざらしくって、すぐに身内の方が見つかるんじゃないかって女将さん言っていたけれど」
 その瞬間、一昨日の出来事が稲妻のようにフラッシュバックされ始めた。大口を開けた熊のような痣。必死にもがくアタシが見つめていたもの。箸がハタと止まったアタシを七瀬は怪訝そうな顔をしてみていた。
「どうしたのスズ?」
 まさか、あの大男の訳がない。あれから車を走らせ、その後丸一日かけて移動もしている。泥酔していたあの男がアタシ達を追って来たとも考えにくい。ただの偶然だと言い聞かせながらも、もしもあの男だとしたらという考えが消せないでいた。が、もしあの男が偶然アタシ達と同じ場所にいたとしても、これは事故。アタシ達には何ら関係はない。
「ううん、なんでもない」
 アタシは残っていた味噌汁を一気に喉に流し込んだ。



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