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『DREAMER』‐第一話



僕は、
何度も何度も殺される。
恐怖も
痛みも
哀しみも
怒りも…
全てを感じながら
何度も何度も


夢の中で
殺される。




はぁ…はぁ…
はぁ……はぁ…


飛び起きた額からつぅーと汗が流れ出ていた。


「ま…またかよ…」


乱れた呼吸をどうにか落ち着かせようと、立花弓弦たちばなゆづるは目を瞑り膝を抱え込んだ。
大きく上下する肩が時折ピクリとつまずくとそれを追って大きく息を吸い込む。

まだ明けきらない空がうっすらと遮光カーテンの隙間から顔を見せ、
ぼんやりと弓弦の部屋を照らし出すと、ふんわりと漂う埃だけがゆっくりと流れ映し出される。
静けさの中、ただひたすら弓弦の呼吸音だけが空気中へと吐き出され、
そのリズムを制するかのように、壁掛け時計の針がメトロノームのように弓弦の耳へと流れ込んだ。


そっと喉を左手で抑えると、安堵感が沸き起こると同時に
何も入っていないはずの胃袋が、何かを吐き出したいと藻搔くかのようにくすぶる…
喉元にあった手が反射的に口元へと翳され、弓弦はトイレへと駆け込んだ。


§


「ゆずる…今朝、大丈夫だった?」

下の台所に行くや否や、お玉片手に母さんが眉をひそめて駆け寄ってきた。

「あっ、あぁ。うん、大丈夫…。」

真っすぐに母さんの顔を見れずにテーブルの上に目をやると、僕の皿には完璧な円形をした目玉焼きが二つ乗っていた。

「う゛っ…うぷっ…」

咄嗟に拳を口元に持って行って、何とか自分の生理的拒絶反応を閉じ込めた。

「ゆずる、お味噌汁飲める?」
「う、うん…今日…は…味噌汁だけ…もらおうっか…な」

ひきつってしまった笑顔で席に座ると、そぉーっと目玉焼きの乗った皿を横に退けた。


夢に見た…影の中に浮かんだ二つの白い球…

「や…やっぱ…と、トイレ!!!」


便器の中に溜まる水を眺め首元に手をやると、今朝の苦しさが蘇ってくる。
息が出来ない…。
あれは…誰だったんだ?僕の首を力いっぱい締め付けていた黒い影。
でも、締め付けられていたのは…
僕じゃない誰か…。
それだけは分かっている。



実際に『存在し・て・い・た』誰か。


ぽたんと便器の上で水滴が落ちると、大きく一度深呼吸をして水を流した。
流せ…全部ながすんだ弓弦。。。



「ほんとに大丈夫???今日学校休んだら???」

「いや、大丈夫だよ。最近暑いからだよ、大したことない」

再度席に着くと、僕の目玉焼きは無くなっていた。
ちらっと横を見ると、妹の弓月ゆづきが最後の白身をつるんと口に吸い込んでいた。ふぅーっと背もたれに体を放り投げお腹をさすると、こっちも見ずに

「また…?」

と目の前にある本棚をじっと見つめぽそっと呟いた。
台所で洗い物をする母さんの背中を確認してから
「あぁ…」と答えると、弓月はおもむろにテレビのリモコンを手に取り、ぽちっと電源を入れた。

「死因は?」


「こう…絞殺…。」

チャンネルをとびとびで替える弓月の手が止まった。


「今回はすぐに 見つかるか…な?」

ーおはようございます!!!ー

ニュースキャスターの元気な声が響き渡ると、僕は母さんの味噌汁を一気に喉へと流し込んだ。


§


「弓弦!!遅れるから早くしてよ!」

僕の靴を玄関先で蹴とばしながら弓月が口を尖らせる。

「靴蹴とばしたらもっと遅れるじゃないかよ!!」

立花弓弦たちばなゆづる、17歳。そして弓月ゆづきは17分差の僕の妹…そう、僕らは二卵性の双子だ。
穏やかで、優しい…人に言わせると聞こえは良いが、簡単に言うと
ハッキリもパッともしない僕。に比べ、弓月は運動神経も成績も良く、てきぱきと物事をこなすそんな奴だ。

なんで僕が先にこの世に生れ落ちてきてしまったのか…弓月が先の方が僕の人生がスムースに回転していたと、そう思わずにはいられない。僕の溜息を増やすこんな妹だが、同時に弓月は僕の唯一の理解者でもある。
特に…今朝の出来事において口を開けるのは、こいつ以外僕には誰もいない。

「今朝の分も書いといてよ」
ポンと黒いノートを自転車の籠に放り入れられた。



僕が「夢」を見始めたのは、高校二年目がはじまった直後…そう、ちょうど父さんの一周忌が終わった頃だった。激しい雨が打ち付ける夜…帰宅途中に車に跳ねられ、父さんは翌朝までずっと冷たい地面の上に転がっていた。父さんが流した血も、ひき逃げ犯に繋がる証拠も全て その夜のうちにマンホールが飲み込んでいった。。。父さんを僕たち家族から奪った犯人は未だ見つかっていない。


「情報求む」

通り過ぎた電柱に、黄ばみ破れた僕達家族の叫びがひらひらと揺れていた。


§


「…からしてぇ~、この方式を使えばぁ~」

コツコツと黒板にチョークを当てる音に頭を掻きむしりながら、僕は今朝弓月がよこしたノートを教科書の陰で開いた。

【8月11日…】
丸くなった鉛筆の先をノートに突き刺すように当てる…それは無意識に小刻みに震えるであろう自分の手を止めるため。
ふぅーっと息をついて窓の外を眺めると、校庭に立つ木々から蝉の音が聞こえてくる。もっさりと生い茂る葉の中に…蝉はいる、必ず。姿が見えない物の存在だが、僕には聞こえる。
目を閉じて蝉の声に耳を澄ますと徐々に蝉の音が大きくなってゆく…と同時に目の中に浮かんでくる光景…

明るい蛍光灯
白い天井
植物鉢が置かれた木製の棚…鉢植えは…黄色?
鉢植えにかかるように緑が浮かぶから…これは蔦みたいな植物だ。

苦しい…

手…手。。。
これは僕の手。
振るえてる…細くて、、臙脂色?爪が…
女。。。女性だ。

冷たい雫が落ち…て… 
これは…

なみ…だ?

こいつの…


目線を僕の上にまたがる影に合わせようとすると、手がカクカクと震えだす…。


「…ばな!! 立花!!」

その声にびくっとして飛ぶように立ち上がると、椅子がガタン!と倒れた。

「おいおい…そんなに驚かんでも…」
眼鏡の奥で目を見開きながら僕を見つめる先生との間に、クスクスと笑い声が響いた。


§


「書けた?」

屋上の屋根の陰で一人弁当を広げると、頭上から声がした。

「まだ…だよ」

弓月がひょいと屋根から飛び降りて僕の前に立つと、腕を組みながら手を差し出す。
「だから…まだ書き終わってない!昼めし食わせてよ…」

弓月は鼻から息を吐くと、ゆっくりと僕の隣に腰かけた。



『ブラックノート』

僕らの間でそう呼び合う僕の『夢』を綴るもの。
初めて弓月に僕の夢を話したその日の話から、全てここに記されてある。
僕の鉛筆書きと…弓月の赤ペン。。。
見たものを書きこむのが僕の鉛筆
そして、
僕の『夢』が 「夢でない事実」を書き込むのが弓月の赤ペンなのだ。


僕は…
何度も殺される。

夢の中で殺される。

いや、正確に言うと
殺人被害者に重なりあい
目撃する。
身をもって、
殺される場面に立ち会う…のだ。



僕の『夢』が夢ではない事に気付いたのは3度目の夢をみた次の日…
テレビの中で朗報を告げるニュースキャスターの言葉に唖然とした。
恐怖と困惑の中で、布団をかぶりながら怯えていた僕の隣に腰かけたのが弓月で、それからというもの…弓月が僕の唯一「夢」を語れる人物となった。
弓月が本当の所どう思っているのかは分からない。
赤ペンを握りしめながらニュース番組を見つめるアイツの横顔は、どこか楽しそうでもあるのは、警察官という奴の「将来の夢」に歩み寄る感覚の様な物からなのかも知れない。

でも、何故いきなり僕がこんな体験をするようになったのか…

僕はそこが知りたいでいる。。。


§


「私、友達とカフェに寄ってから帰るから、お母さんに言っといて」

僕の教室の引き戸からひょいと顔を出しそう言った弓月は風のように走り去った。が消えた次の瞬間、今度は反対側から上半身を傾けて

「あと…『ノート』書き込み よろしく!!!」

ニカっと笑ってまた消えた。。。


「弓弦…お前…兄感がますます薄れたな。。。」

後ろから晃が呟いた。

「やっぱお前もそう思うよな。。。」

深いため息をついて二人でじっと弓月が覗き込んだ引き戸をポカンと見つめていた。


下北晃しもきたあきら。僕らは中学時代から一緒の仲だ。という事はもちろん弓月もだから、僕ら”3人”と言った方がいいのか。晃はいわゆる「弓月の男版」だ。勉強もスポーツも出来る。女子の憧れとなる様な容姿…いや、ここだけは弓月とは違う!!ただ、弓月と晃の会話の真ん中にいると、疲れるくらい二人は同じくらいの頭脳で火花を散らす。初めは冷や汗におどおどしていた僕だったが、ここまで来るともう慣れて、”勝手にやってろ”と僕にとっては好き勝手に出来る時間とも取れるまでになった。

「図書館寄るんだけどお前も行くか?」

晃の問いかけに少し考えて、先ほど弓月に念を押されたノートの事を思った。家に帰って一人で書き込むよりも、人が周りにいる方がいいかもしれない…
おぉ。。。と返事をすると晃は笑って
「弓月いなくて静かでいいしな!」と笑った。


図書館は異様に静かだが、人の気配があるのとないのでは気持ちの在り方が全く違う。
「俺、ちょっと本探してくるわ」
そう言って窓際に鞄を降ろして晃はすぐにコツコツと僕に背を向けて歩き出した。後ろ姿までカッコいい。。。高校に入って、背が伸びっぱなしの晃はこの歳でもう180cmに近づいている。
何故あんなカッコいい人気者な晃が俺を好んで友達になったのか…初めに友達として意識したことさえも忘れてしまった。ただ気が合うのか…と、ふと弓月の顔が浮かんだ。ぶんぶんと頭を振りながら、「お前に似てるからじゃない!」と独り言を呟いてしまった僕だが、あいつの顔が浮かんだのは多分違う理由だ…「ノート!!」そう顔をしかめる弓月が今度は浮かぶ。。。
「なんで俺が兄貴なんだよぉ…」

しぶしぶ鞄の中から『ブラックノート』を引っ張り出して、頁を捲る。

気持ちを落ち着かせて ふぅーっと一息ついた後、ノートに目を移した。



女性…被害者は、女性だったはず。
目を瞑り途切れた場所まで自分の記憶を巻き戻す。



手が…見える。そうだった…この爪。。。
苦しい。。。

すると微かにピクリと耳が動く。
あれ…何か聞こえる…なんだこの音?
意識が遠のくのに…大きくなっていく…

口笛?いや…違う…やかんだ…やかんの音だ!

まて…また小さくなった…
誰かいるのか?なんで音が小さくなるんだよ…

なんか…揺れてる…カーテンがふわっと…
限られた視界を思い切り取り込もうと隅から隅までめぐらすと一瞬だけ、ぱっと何かが映る。。。

あれ…は…
電車?

もう…苦しみは薄れて…だんだんと辺りが暗くなって…




「なんだそれ?」

うっわぁぁぁぁーーー!!!!!

耳元で囁かれた声と生ぬるい息に僕は大声を上げた。

周りの目が一斉に僕に集まると同時に、目を真ん丸くした晃が固まっている。。。「あっ…すっ…すみません…」心臓が高速で打つ中、ぺこりと四方八方に軽く会釈をする。クックックックック…。腹を本で抑えながら必死に笑いをこらえる晃。小声で、「反応ありすぎでおかし…」と言いながら、未だに笑っている。小声なりに思い切り怒りを込めて「脅かすなよ!!!」と放つ。たまに吹き出しながら対面席を引っ張り座ると、
「んで、なにそれ?」
ブラックノートを指さした。


「なっ、なんでもないよ!!」
慌ててノートを閉じた僕だったが、晃の細まった目に突き出された口元…。これは確実にこいつの頭の中にインプットされている。

「ほぉ…女の爪に、やかんの音に…」

僕は思わず晃の口を右手で覆った。そんな僕を目を大きく見開いてじっと見つめていた晃だったが、ふと片眉を高く上げて、呼吸できねーと言いたげな表情をする。深いため息とともに手をどかす。

「んで?それ、なに?」

これだから、晃にも弓月には頭が上がらない…。



僕達は図書館を後にし、人気がいない川の土手に向かった。
観念した僕は晃に包み隠さず話をした。
夢の中で殺される事、恐怖も温度も痛みも…夢から覚めても現に自分に起こったかのように思い出せる事、そして僕の体験が実際に起こっている事件であるという事。
最初は興味本位で聞いていた晃だったが、ノートをぺらぺらと捲る度にだんだんと表情が険しくなっていった。

「これ…」
晃は先月のページをじっと見つめていた。

「これ…この間のバラバラ殺人事件…だよな…?」

僕の左足に痛みが走る。

「弓弦…お前…。」

先月起きたバラバラ殺人事件は僕の記憶の中から抹消したいものだった。拉致された男性が、拷問を受けた上に殺された。切断された左足…足に刃物が置かれた時には被害者はまだ生きていた…。僕の夢はそこから始まり、例えようのない痛みの後に意識をなくし、叫び声と共に現実へと戻って来た。

土手の芝をじっと見つめる僕の肩にポンと晃の手が乗ると、じっと向かいの河原を見つめたまま
「ったく…弓月に言って、俺に言わないなんて…みずくせーな」
ぽつりと呟いて、ブラックノートをぱたんと閉じた。

「でも…なんでお前なんだろな…」

「しらねーよ」



「俺も特殊能力…ほしー…」




弓月もこいつも…やっぱりあほだ。


そんな事を考えている僕の横で、晃は雲のそのまた向こうをじっと見つめ、ぐるぐると思想を巡らせていたことを僕は知らない。


§


「えぇーーーー!!!!晃にばらしたのぉ?!?!」
「しぃーーーー!!!!!」
僕の様子が怪しいと感じた弓月が部屋に足を踏み入れてたったの1分10秒…ほんと僕には隠し事は無理らしい。。。こいつら二人に限ったことかもしれないけれど。弓月は天井を仰いで口をあんぐり空いている。

「あ゛ぁぁぁ…なんか…晃に楽しみ持って行かれそうでヤダ。。。」

「はぁ~?!?楽しみって何だよ楽しみって!!僕の身にもなってみろよ!!相談できる相手が増えて喜ばしい事じゃんか!!」
言った直後に、それもそうだと自分に共感してしまう。

弓月は深いため息をこぼすと、わかったよと膨れながらも納得した。グダグダ事を引きずらない所は、まぁ弓月の良い所と言えるのかもしれない。

とにかく、これで僕の秘密を知る者は二人となった。



皆が寝静まっても、僕はブラックノートと向き合っていた。

絞殺殺人。
被害者は女性。手元や部屋の様子からして、年齢はまだ若く20代から40代。。。年齢の幅が大きいのは、女性の手元なんぞまじまじと見た事などない僕にとって、異性の年齢を推定するのは難しいという、はにかんだ気持ちも混じっていた。ただ、そんなに年齢を重ねてはいないという確信は消えない…僕は40という数字に二重線を流し、その上に強く30と書き込んだ。
何かを用意していたのは間違いない。やかんを火にかけ、沸騰するまでの間に犯人との間で何かあったのだろう。殺人現場は彼女の部屋だと断言していい気がするのは、部屋のデコレーションや整った感じから…そして、感覚。これだけはブラックノートに文章として書きだすのが苦手だ。何となく…でも、わかる。。。そんな感覚。その時の被害者の抱いた感情の様な物が風の様に僕に流れてくる。これは、夢を見ている時にははあまり感じられないのだが、こうしてノートと向き合っていると、ふと重なり合っていた僕と被害者を二つに引き離して見つめる事が出来る。真夜中に電車の走る線路沿いの家…いや、アパートだ。被害者の感情…不安・恐怖…そして、彼女が感じていた物は「哀しみ」だった。ぽとぽとと落ちてきたのは涙。犯人の涙。これが何を意味するのか…僕は薄暗い部屋の中で体をベッドに放り込んだ状態で考えながら、いつの間にか眠りに就いていた。


§


「弓弦!!!真面目に遅刻だから!!!」
今朝の弓月はいつもより刺々しい…。事を引きずらない奴だが、ふくれっ面は今日一日中くらいは消えないだろう。だてにこいつと母さんの腹の中から時間を共にしているわけではない。弓月が玄関を開けた瞬間に、ふくれっ面が3日に伸びる事を僕は悟った。

「よっ!!」

そこに笑顔で立っていたのは晃だった。

「なんで朝からあんたがいるのよ!!」
「いや、大好きな幼馴染の”二人”と通学もたまにはいいかと思ってな」

違うだろお前。。。

この瞬間 僕と弓月の心の声がシンクロした気がした。




「ノートの続き俺にも見せてよ」
「あんたが読んでも何の解決にもならないでしょ!!」
「あんだよ、弓月が読んだところで解決するとでもゆーのかよ!」
「私には役目があるの!役目!!」
「赤ペンで書き込むくらい俺にだってできるさ」
「あんたには無理!」
「はぁ~?論文96点だったお前に言われたかないわ!」
「96も97も変わんないじゃない!!」

弓月と晃が自転車に乗ったままガミガミと言い合いをしている。こいつらの後ろを走るべきだった…先頭をゆく自分の間違いを今になって悔やんでいた。

と前方で何やら人だかりができている。それが近づくと共に、心のざわつきが大きくなってゆく。人だかりの奥で踏切が警告音と共にゆっくりと下がり始めると、僕のざわつきが「嫌な予感」と変わっていくようで、ゆっくりと自転車を止めた。線路沿いのアパートの入口を何台ものパトカーが決壊を張る様に停まっていて、その周りをサンダルを履いたおばさんや、近所の食堂の店主たちが囲んでいる。幼稚園児の手を引く母親は子供をさっと抱き上げて足早にそこを立ち去り、出勤途中のサラリーマンは携帯電話を高く上げて人込みの上から何枚も写真を撮っていた。

「線路沿い…アパート…弓弦、これ、もしかして…」

弓月の声が肩越しに聞こえると、エントランスからある一人の人物が出てくるが見えた。僕は自転車を投げ捨てて、その人物の元へ向かった。

「とっ、戸田さん!!!」

人込みの中から顔を出して叫んでも、僕の声は彼の耳には入っていない。

「戸田警部!!!」

大きく響いたその声に戸田さんはこっちを振り向いた。目の先は…俺の後ろにいる、弓月だ。こいつは本当に…あぁぁ!!!声はデカい、態度もデカい!!んーーーー!!!!ちょっとした敗北感に似たものを僕はこの時感じていた。

「おぉ、立花兄弟。」

手袋をおもむろに外しながら、僕らの前に立った。


戸田義彦とだよしひこ警部補。彼は父さんの事件を担当した刑事だ。まだ事件は解決されていないから、正確に言えば”担当している”である。一年経った今でも、父さんの月命日には必ず遺影の前にお線香を上げに来てくれている。事件当時は途方に暮れ、怒りと悲しみをぶつける場所がない僕と弓月、そして母さんまでも、しっかりと受け止めてくれた人。

「事件ですか?!」
挨拶もしないまま、弓月が戸田警部の袖をぐぐっと引っ張り囁いた。

「お前らはさっさと学校に行って、ちゃんと勉強しろ勉強!」




「女性の…絞殺・殺人事件なんじゃないですか?」



後ろから落ち着いた声でゆっくりと放たれた言葉に、弓月と僕は同時に振り返り声を出さずに、晃に「ばか!!!」と言って見せた。恐る恐る警部に目を戻すと…戸田さんの目つきが鋭く僕達三人を突き刺していたのは言うまでもない。。。


そうはいっても、晃の口から出た言葉は、実際弓月も僕も喉から手が出るほどに問いたかった質問だった。僕は内心、自分自身で言わなくとも良かった事にホッとしていたりする。

下北しもきた…」

晃は父さんが亡くなってから塞ぎ込んでいた僕達家族を支えてくれていた一人で、その時から戸田警部とも顔見知りであった。

「とお前ら二人も…ちょっと来い」
戸田警部は一番近くにいた僕の腕を思いっきり引っ張り、「すぐ戻る」とパトカーの脇で見物人のガードをしていた警官の一人に告げた。

「ちょっ…バカ晃!!何いきなり確信ついちゃってんのよ!!」
小声でも弓月の声は僕の耳にも届いていた。

「疑われちゃったらどうすんのよ!!!」
弓月の言葉にはびくともせずに晃は平然とまっすぐ前を向いて僕らの後を歩いていた。



「なぁ弓月…お前弓弦の夢を聞いて、赤ペン入れてさ…で、どうしたいわけ?」

弓月はむしゃくしゃしながらも言葉に詰まっていた。

「なんで弓弦なのか…分かんねーけど、でも弓弦だから出来る事あんじゃねーかなって俺は思うんだ。。。」

「勝手に決めないでよ!!」

「このままじゃさ…弓弦の痛みが増えてくだけだぜ。全部ため込んで、放出できるのが俺たち二人だけって。。。しかもまだ学生だぜ俺たち?何が出来るっていうんだよ。」

「…」

「俺さ、、、お前らの父親の事件の後に戸田警部と話す機会あったんだわ。ぜってー大丈夫。この人なら信じてくれると思う。」

真っすぐに前を見つめたままそう口にする晃に、弓月はぎゅっと口をつぐんだ。


§


戸田さんが僕たちを引き入れたのは薄汚れたビルの二階にある喫茶店だった。
「ここに座ってろ。」
そういうと、カウンターに向かいマスターに何やら注文をしている。

「晃お前…」あきれ返った顔で僕が言うと、
「あんだよ。。。お前も弓月も聞きたかったことだろ。」
「そうだけど…でも話の持って行き方ってもんがあるだろ!」
「じゃあお前何言うつもりだったんだよ?」
「ぼ、僕は…」

ドスンと警部が僕達の前に腰を下ろしたと同時に、僕ら全員は無口になる。
それを見て、強張っていた戸田さんの顔が少し緩み、大きなため息とともに煙草を内ポケットからおもむろに取り出した。

「まさかとは思うが…お前ら、この事件に関与している。。。ってこたぁーないよな。」

「まっ、まさか!!!僕達は人を殺したりはしませんよ!!」

「殺しがあった事をなんでお前ら知ってるんだ?しかも下北…お前『絞殺』ってハッキリ言ったよな。」

弓月も僕もぱっと晃に目を向ける。とうの晃は、怖気ずく気配など全くなく、あっけらかんと
「はい」
とだけ答えた。


「なんでそれを知ってるんだ。まだ報道にも流していないというのに…」

真っすぐに戸田さんを見つめる晃の左人差し指が、すっと僕の鼻先に翳される。


こいつです。」



おんまえ!!!…この瞬間僕の心臓がドクンと音を立てた。戸田さんの目線が僕の瞳孔のど真ん中に突き立てられ、僕が隠れていた心の壁をガラガラと崩していった。

「アイスティー3つと、ブラックコーヒーです。」
僕たち後ろから救いの声が聞こえ、戸田さんの目線が僕から外れた瞬間に、心のがれきをかき集めたい衝動にかられた。

「まぁ…」 

僕がごくりとアイスティーを喉に流し込んでいる時だ。
「そうはいっても、ここで起きた事件が弓弦の言っていた物だとはハッキリは分からなかったのですが…だから戸田警部にふっかけてみました。」
ニカっと笑って晃がそう言うと、
「被害者の女性の部屋に蔦の様な植物…黄色い鉢に植わった…置かれていませんでしたか警部?」
今度はさっきまで僕とおどおどしていた弓月までもが、晃と同じように凛とした姿勢で僕の目に飛び込んで、僕は胃まで到達しきったアイスティーを逆流させてしまいそうになった。

「女性被害者のマニュキュアの色は臙脂色では?」
弓月の問いかけに、煙がぽわんと立ち上る警部の煙草の先から灰が音もたてずにテーブルの上にぽろりと落ちた。

僕は一切言葉を発することなく、後は全て弓月と晃が警部に全てを語った。
警部の疑念まみれだった太い眉も、ブラックノートを捲る度にどんどん上へと押し上げられてゆく。

「弓弦…お前、夢の中で被害者の死を体験する…っていうのか?」

僕はつばを飲み込んでから素直に頭を縦に振った。ここまで来たら、もうどうにでもなれという勢いだ。

戸田警部は短くなった煙草の最後の一服を思い切り吸い込んでから、ふぅーっと天井に向かって吹き出しながら両手を頭の後ろに回した。しばらくして警部がもう一度ノートに目を戻し、ぺらぺらと捲りながら

「信じがたい事だが…我々警察のみが知っている情報までもが書き込まれている…」とぽつりと漏らした。


「いたづらでこの程度まで把握できるとは思えんが…」

ノートから瞬きと共に僕ら三人に目を上げる。

「もう一度だけ聞く。お前ら、これら事件に本当に関与していないんだな?」


おどおどとするだけの僕だったが、この時初めて晃と弓月の凛とした姿に僕自身の姿を重ねる事が出来た。戸田警部の深い瞳を突き刺すように、僕はキッパリと三人分の思いを込めて「はい」と言い切った。



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