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人間万事塞翁が馬

自分の人生が大きく変わる瞬間を感じることは、そう何度もあるものではない。私の場合、44歳の現時点で、二回だ。
一つは、昼ドラの主演が決まった瞬間。
もう一つは、プロポーズされたとき。
しかし前者は能動的で、後者は受動的だ。どちらも幸せな思い出だが、能動的な方は、自分で人生を切り開いた感じがする。


16歳から関西でモデルを始めた私は、徐々にテレビやラジオの仕事が増え、いつしかタレント業がメインになった。多い時にはひと月に40本も仕事をするほど、超多忙な毎日だった。


しかし女性タレントの旬は、あっけないほど短い。31歳の秋、私は平日のレギュラー番組が全て終わってしまった。
いやいや、わかっているさ。番組は、いつか終わるものだ。頭では仕方がないとわかってはいながらも、精神的にはもちろん、現実問題として経済的にも不安だった。
残ったのは、土曜日のラジオとテレビだけ。
これからどうやって家賃を払っていけば良いのだ?どうやって食べていけば良い?


私はもう31歳だ。テレビのレポーターなら、もっと若い子を使いたいだろう。年齢を考えれば、次のステップにいくことは絶望的だった。


『結婚して、この世界から足を洗いたい!』
仕事が無くなった私は、結婚へと逃げ道を考えた。すがる思いで、まだ付き合って間もない彼に結婚を持ちかけたが、断られた。
そりゃそうだ。彼にしてみれば、
『仕事が無くなったから結婚してくれ』とは、もらい事故なようなものだ。そもそも失礼な話である。しかも彼には夢があり、アメリカ留学が決定していた。結局私は、結婚はおろか、彼すら日本にいない孤独な状況になってしまった。
私の人生は、終わった。。。


「いやいや、人生はそんな簡単には終わらんよ。」と今なら言ってあげたいが、
この時はドン底だった。仕事も恋愛も八方塞がり。私は毎日泣いて過ごすことしかできなかった。


とはいえ、号泣生活も3日過ぎると飽きてくる。
ふとした瞬間、私の頭に一つの考えがよぎった。
『もしかして今の状況って、芝居ができるんじゃない?』
そう。実は私が一番やりたかったことは、芝居なのだ。ありがたいことにレギュラー番組が多数入っていたおかげで、一番やりたい芝居をできずにいたのだ。


私はすぐに東京のマネージャーに電話をした。
「レギュラーが土曜日だけになりました!
 これなら芝居のオーディション受けられますか?」
「あら!ちょうど今、TBS系昼ドラのオーディション真っ最中よ!」
「えぇっ!今すぐ資料を送りますので、明日持って行っていただけますか?」
「わかった!ちなみにプロデューサーは、矢口さんだよ。」
「矢口さんっ!?!」


矢口さんとは、一度だけお会いしたことがある。私がまだ24歳の頃だ。
当時の私はテレビや映画など、モデル以外の仕事が急激に増えていた時だった。そこで上京も視野に入れるようになり、東京の本社へ行った。
その時マネージャーが『顔見せ』に連れてくれたのが、矢口さんだった。


「あの時の矢口さん!?もしかしたら、これは何かのご縁かも!」
このような出会いが矢口さん側には日常的にあることにも気付かず、私は俄然、希望に満ち溢れた。ついさっきまで絶望で打ちひしがれていたのに、人間というのは単純なものである。


こうして翌日には私の資料が矢口さんの手元へ届くこととなり、私の人生最大のオーディションが始まった。
『ここで落ちたら、今後の私の人生は無い!』
普通に考えれば、高齢で無名のアナ馬など、勝ち抜けるはずもない。
しかし人間というものは、死ぬ気になればとんでもない力が湧き出るのだろうか?駒はトントン拍子で進み、いよいよ最終オーディションを迎える日となった。


最終オーディションの内容は、面接と演技。
面接での感触は良かった。
しかし演技は素人同然の私にとって、完全に不利である。しかし、やるっきゃない!私は命がけでぶつかった。
全てが終わった。
やれることは全てやった。あとは、祈るだけだ。


私にその瞬間がやって来たのは、矢口さんからの電話だった。
マネージャーから結果を聞かされる前に、プロデューサーから電話?これは、どういう意図なのか?


矢口さんと私は、ANAインターコンチネンタルホテルのロビーのソファに腰掛け、当たり障りのない話をした。なかなかオーディションの話を口にしない矢口さん。
やはり、ダメだったのか、、、。


私にとって、昼ドラの主役に合格するのと落ちるのとでは、今後の人生が天国と地獄だ。わざわざ呼び出されて「ダメだったよ。」と報告されたら、気持ちを立て直すことはできるだろうか?
ボロボロの気持ちのまま、途中で死んでしまうかもしれない。
いっそのこと、このまま消えて無くなりたい!
私の頭の中はパニックで爆発しそうだった。
すると突然、矢口さんが握手を求めるように手を差し出し、こう言った。


『おめでとう!満場一致で、あなたに決まりましたよ。』
私は、その場に泣き崩れた。
矢口さんの手を両手で握りしめて、ただただ泣いた。
「ありがとうございます、、、ありがとうございます、、、。」


私の人生が大きく変わった瞬間。
私は崩れ落ちて、ただ泣くしかできなかった。


「おいおい、どうした!知らない人が見たら、
 どう見てもワケありカップルじゃないか!」


矢口さんの苦笑いで、私は大笑いした。
確かにこの光景は、側から見るとワケありカップルが揉めているようにしか見えないだろう。
でも、矢口さんのせいだ。
矢口さんがこんな粋な計らいをしてくれたおかげで、私は泣いて笑ってグチャグチャになった。


しばらく経って、ようやく気持ちが落ち着いた。気づけばお腹がペコペコだ。
「よし!パスタでも食べて帰るか!」
矢口さんと並んで二人、パスタを食べた。
これから先のことを考えると、パスタの味なんてわからなかった。


人生というのは、本当に不思議なものである。
もしあの時、レギュラー番組が終わらなかったら、
もしあの時、彼に結婚を断られなかったら、
もしあの時、たまたま矢口さんに出会えていなかったら、、、。
色んな出来事が重なり、人のご縁に導かれ、絶望の淵にいた私に、奇跡が起きた。


『人間万事塞翁が馬』。
本当にその通りだと思う。
もし今、あなたに悲しい出来事が起きているなら、それは未来の幸せのためかもしれない。


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