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〔30代終活〕祖母宅の片づけが教えてくれたコト

私が高校生のとき、祖父は癌で亡くなった。
暗めのオレンジ色の空が寂しさを増長させるからか、当時夕方になると祖母はよく母に電話をかけてきたそうだ。
それから順調に時は流れ、20年以上もの間逞しくひとりで暮らしてきた祖母であったが、いよいよひとりでは暮らせなくなった。


30本の醤油を買わせた病

2023年1月3日(金)。祖母が入院した。
外科的な怪我であったものの、それまでの経緯が色々とあり(省略)、複雑な感情を整理する間もなく祖母宅を片づけることとなった母。付き添う私。
部屋に入ると、さっきまで祖母がいたと思われる形跡があちらこちらに残されていた。飲みかけの緑茶、白菜漬けをよそった小皿にはラップがかけてあり、お鍋には2杯分のお味噌汁が残っていた。生活の温りを感じるあまり胸がぎゅっと締め付けられるようだった。

どこから手を着けようかと恐る恐る台所のシンク下を開けてみると、これでもかと言わんばかりの調味料が出てきた。

シンク下から出てきた調味料の一部


かつての祖母は料理が得意で、自分で食べるだけでなく知人に振舞うのが好きな人だった。年金暮らしの祖母を心配して「人の分まで作らんでよくない?」と孫ながらに余計な世話を焼いたものだ。

定年してからも未だ働き続ける両親を気遣い、父母の帰宅時間に合わせ、手料理片手に道端で待つ…というのが祖母の日課だったようだ。
思い返せば、ある頃から、また天ぷら?と同じ料理が続くようになり、昼休みではない時間帯に何度も電話をしてくるようになった…と母は話してくれた。
綺麗な白髪に、真っ赤な口紅がトレードマークの祖母は、ピンク色の洋服をよく着ており、一緒に出掛けると必ず「キレイな色ですね〜」と声を掛けられたものだ。孫のわたしでも羨ましいくらい肌が綺麗で、同じ女としてとても尊敬していた。
いつまでも元気でお洒落な祖母だと思っていたのだが、やはり様子がおかしいと思ったわたし達は、大丈夫と言い張る祖母をどうにかこうにか医療機関へ連れて行った。

醤油を買ったこと、昨日天ぷらを作ったこと、母が働いていることを忘れさせていたのは、アルツハイマー型認知症の仕業だった。


ごみと一緒に手放したもの

シンク下から現実を突きつけられたわたし達は、気づいてあげられなかったことへの後悔に押しつぶされ呆然としていた。声を発すると今にも溢れてきそうな涙をぐっとこらえ、無言で各々の持ち場(母が台所、私が居間)についた。今振り返っても完璧だった "阿吽の呼吸"。さすが38年の付き合いになる母娘だ。

小さな家であったが、祖母宅の片づけは何日にも渡り、帰省する度に片づけを手伝った。途中姉も加わり、1月9日にスタートした片づけは、なんとかかんとか3月19日にクライマックスを迎えた。すっかり痩せてしまった祖母が着れる服は限られており、数着母が持ち帰った以外ほとんど処分した。その他いくつかのバッグや写真などを残しすべて袋詰めして清掃センターへ運んだ。搬入した荷物はなんと、乗用車2台✕9往復。清掃センターでは車を横付けして、自らの手で「ごみ」を捨てるシステムなのだが、何とも言えない複雑な感情をも一緒に暗闇へ投げ捨てているような気がした。

母(娘として)の覚悟

片づけの途中突如現れる黒い物体。発狂する私の横で冷静に対応する母はまさに肝っ玉母ちゃん。足の踏み場もない中、祖母のベッドの上でお昼を食べたのも、今となっては懐かしい思い出の一つだ。
掃除を終えた祖母宅は、いよいよ仏壇のみとなりガランとしていた。長年祖母がひとりで生活した家。ここで祖母と肩を並べて食べるごはんは、わたしにとって特別なものだった。空っぽになった部屋を見ると、これまで“当たり前”にあったこの景色や思い出がすべて奪われてしまうようで、心の奥が小刻みに震えるのを感じた。綺麗に磨かれた祖父の位牌、その横に腰掛ける母の姿はどこか寂しげであったが、何となく“覚悟”のようなものを感じた。
3ヵ月の入院生活を経て退院した祖母は、両親の家へ帰宅したため、ここで祖母の一人暮らし生活は幕を閉じた。

人生の教科書

片づけを終えて数日が経った頃、母は「娘たちに同じような思いをさせたくない」と必死に話していた。
一方独り身のわたしはと言うと、迷惑をかけるどころか、子どもすらいないため、むしろ他人様の世話になるのか…?そうならないように、ある程度片を付けながら暮らしていかなくてはいけないのか?といろいろなことをぼんやりと考えていた。

現在30代後半ということもあり、「先のことを考えるにはまだ早い」という声も聞こえてきそうだが、人生で経験できることには個人差があるため、人生設計もそれぞれで良いと思っている。わたしも祖母の件がなければここまで深く考えることはなかったはずだ。「30代で終活」というとちょっと大げさな気もするけれど、人にはきっとタイミングというものがある。そのタイミングが訪れたときに、背を向けず動き始めることが出来れば、それがその人のベストではないかと思う。

大切な人の老いを間近で見ることは、何よりも一番の教科書だと祖母が教えてくれた。

これからの人生、「終わり」のことだけを考えて生きていくなんてきっと生きづらいし、楽しくもないだろう。何も買わない、誰の手も借りない、誰にも迷惑をかけない。こう偏った考えをしたいのではなく、あくまで生活を楽しみながら、すっきりと身軽に暮らしていけたらと思う。暮らし方を上手に転換する時なのだと思う。祖母が教えてくれたのはそういうコトだった。
20代はお金を使う、モノを買う、といった「得ること」に幸せを感じていたわたしだが、30代後半になり少し価値観が変わってきた。モノ選びは経験値の整理でもあるようだ。散財し、失敗もたくさんしてきたが、これまでの体験が決して無駄だったとは思わない。色々な体験をしなければ、“コレだ”というものには出会えないだろうし、それにはきっと無駄な体験も含まれるからだ。そう思うと、「無駄」な時間はとても尊い
これからは不要なモノを徐々に減らし、家の中に広々とした充実した空間を持ちたい。

精神的、空間的にゆとりのある暮らし方

40代に向けてのこれからは、どこで「どう暮らしていくか」ということに焦点を当てたいと思っている。暮らしを大切に..というよりは、「暮らし方」を大切に..と言った方が伝わりやすいだろうか。
身のまわりのコト、人間関係、持ちもの、仕事、家族のことなど整理したいことは山のようにある。1つ1つ時間をかけて整理し、かつ、生活を楽しみながら生きていけたらサイコーだ。
もう一つ大切なのは、自分が老いていくことや変化を受け容れるということ。
祖父が亡くなり、人生の崖っぷちに立たされた祖母を20年間側で見てきただけに、「受容」「生きる」ということの全貌を見せてもらった気がする。
ただ生きているだけで色々なことがあるが、泣いてもまた笑い、膝をついても立ち上がる。そんな生き方をしていきたい。祖母のようにピンク色の服を着る日が来るのかはさておき、いつも「小奇麗こざっぱり」がわたしの目標である。精神的にも空間的にもゆとりのある人は、きっとそうだ..という理想(願望)でもあるのだが..

祖母宅の片づけ以降、書いては消し、涙ぐんでは消し…を繰り返してきたが、ようやくここに残すことが出来たことに感謝。

最後まで読んでくださりありがとうございました。
nami


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