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読書について

本を読むといいよ。

よく言われる話であるが実際何がいいのか分からないという人も少なくないはず。

「本読むのめんどくさい」
「本読んで何の役に立つの?」
「本読まないでもネットで検索すればよくない?」
「今さら読んでも遅い」

という意見もあるはず。

現にわたしはどちらかというと映像や音で記憶するタイプなので正直読書は苦手。

ただ、そうはいっても小学、中学、高校、大学くらいまで人並みには本を読んできたし、統計でいくと日本人はほとんど本を読まないらしいのでそれに比べたら当時はかなり読んできた。

また、メンタリストDaiGoさんのようにどこぞの大学の研究結果はパッと出ないが、DaiGoさんだけでなく多くの研究者や著名人が読書量の多い学生は学歴が高い割合が大きく、かつ社会人の場合も年収1000万円以上のビジネスパーソンは月に3〜4冊以上読んでいるとのことだ。

わたし個人の読書をしていた時と今の違いはやはりこうしたブログを書いている時にパッと上手い言葉が出てきたり、まとまりのある文章が書けたり、そもそもあれを書こうこれも書こうと案が浮かびやすいことだ。

高校の時も部活を2年生の途中で辞めたのでわりと暇であり、よくブログを書いていた。

その時は読んだ本の感想を書いていたが、わりとその情景が浮かんで言葉が次々と浮かんできた。

今、昔読んだ本のことを書こうと思ってもほとんど浮かばないのはやはり脳が劣化したからだと思う。

これは決して年齢からくるものだけではないし、むしろ年齢からくる衰えは微々たるものでやはり本を読まなくなったことがあると思う。

芸能人でも本をよく読む人は賢い人だったり話が上手かったりする。

爆笑問題の太田光さんはかなりの読書家で有名だが、コメディアンなのに政治家や経営者とも議論が出来て、かつそういうお堅い人達相手でもしっかり笑いをとれるのはやはり頭の回転が速いからだと思う。

あまり賢さを求められないアイドルでも、例えば元乃木坂46の齋藤飛鳥さんはたまに見ると目が他の女性達と違うというか、常に考えて喋っている人だなという印象がある。

彼女は大江健三郎、安部公房、貫井徳郎、石川淳などあまり若い女性が選ばなそうな純文学だったりを愛読しているそうだ。

かくいうわたしはもともと小学生の頃、ずっといじめられていて先生も半ば見て見ぬふりをしていたので救いが無く、図書室に逃げ込んだことから読書との関わりが出来た。

最初に読んだのは子供らしい「かいぞくポケット」とか「タンタンの冒険」とか「ズッコケ3人組」とかを読んでいた。

そのうち「まんが日本の歴史」と「まんが世界の歴史」という本を見つけてその本に魅了されて歴史の世界に興味を持つ。

男の子が興味を持つのはだいたい戦国時代とか幕末なのだが、わたしはなぜか日清戦争や日露戦争、満州事変から太平洋戦争といった近現代史に興味を持った。

活字の本との出会いは中学生の頃。

当時放映された大河ドラマ「功名が辻」を観て無性にハマった。

そしてオープニングに出てくる「原作:司馬遼太郎「功名が辻」」というテロップを見て「ああ、この話は司馬遼太郎という人の本が元なのか」としって図書館に行って借りた。

この時が地元の図書館で自分から本を借りた最初だった。

結局司馬遼太郎のタッチというか躍動感に魅了されて「功名が辻」に終わらず「龍馬がゆく」や「燃えよ剣」「国盗り物語」「関ヶ原」なんかもストライクゾーンど真ん中で借りては読みの繰り返しであった。

ここまでは完全に司馬遼太郎信者であったし、司馬遼太郎に憧れていた。

だが、「殉死」と「坂の上の雲」を読んだ時に違和感を感じて一気に司馬遼太郎熱が冷めてしまった。

それは日露戦争で第三軍を率いて旅順要塞を陥落せしめた乃木希典に対する批判があまりにも感情的で何とも言えない気分になったからだ。
(そもそも他の作品でも明確な好き嫌いがある人ではあるが)

そこから歴史小説や歴史の読み物よりも文学に傾倒する。

高校に上がっても友達がいなかったし、高2の夏休み前に諸事情で部活もやめたので暇になったわたしはよく図書室に行っていた。

その時に流行っていたポルノグラフィティというアーティストの「今宵月が見えずとも」という歌の中に「すべてを分かりあえると思い、期待などした自分を恥じれば。太宰を手に屋上に上がり、この世などはと憂いてみせる」という歌詞があった。
(ちなみにこの人物は太宰を手に屋上に上がったあと空に向かって唾を吐いたら自分にかかる)

この何とも言えない孤独感と虚勢がグッときて「俺も太宰を読もう」と思い立ったのが文学との出会い。

とりあえず教科書に載っていたので知っていた「走れメロス」を読んだがこれはピンとこなかった。

次に有名作品である「人間失格」を読んだ時にビビッときた。

冒頭の超有名な「恥の多い生涯を送ってきました」から感情移入したものの、どこかわたしとは違った社会不適合なこの主人公に完全には感情移入できないけれどもどこかシンパシーを感じて一気に読み終え、そしてまた読み直した。

次に手に取ったのが三島由紀夫だった。

三島由紀夫との出会いは太宰以上の衝撃であった。(そもそも三島由紀夫はよく太宰治を皮肉ったりしていたのだがそれを知るのはだいぶあと)

三島由紀夫を読もうと思ったのは親が見ていた「昭和の重大事件」みたいな番組で三島が市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹自決を遂げる映像を見たからだった。

なんていう人がいるんだろうと思ったが、その人が作家と知って何か激しい文章を期待して手に取ってみた。

最初に読んだのは「金閣寺」と「潮騒」「仮面の告白」であった。

読んでみたらあの軍服を着て自衛隊駐屯地で怒鳴りまくっていた人とは思えない繊細で美しい文章のギャップに圧倒された。

金閣寺は主人公が金閣寺の美しさが逆に生きづらさの象徴となり次第に蝕まれて放火という道を選ぶそのサマが世の中の矛盾や世知辛さを三島由紀夫の繊細なタッチで表現するこの芸術性に多感な時期のわたしは心を奪われた。

潮騒と仮面の告白は違ったタイプの若者の恋心を描いた内容であるが、この時代から同性愛をこんなにも美しく描いたり、30前で潮騒のような恋愛物語を描ける三島由紀夫の感受性に魅了された。

三島由紀夫以降は純文学に限らず村上龍だったり筒井康隆あたりにもハマった。

純文学でいうと三島以外は芥川龍之介や坂口安吾にハマっていた記憶がある。

ただ、熱烈に心を奪われたのは三島由紀夫であり、最初に文学の素晴らしさを教えてくれたのは太宰治であり、この2人以上に作家に傾倒した人はいないような気がする。

強いてあげるなら夏目漱石の「こころ」にはかなり惹かれた。

先生の死と乃木希典の殉死という強い国家のもとに日本らしさや伝統を追及した明治の終わりと大正という新しい時代や価値観の言いようのない不安感がこの作品の奥深さを表している気がした。

文学以外も入れていいのであれば、当時よく観ていた「西部邁ゼミナール」という番組の西部邁という思想家がよく引用していたオルテガというスペインの哲学者が書いた「大衆の反逆」に感銘を受けた。

この中の大衆とは「凡庸な人々の群れが集まって多数派を作り、異なる意見を排除して強大になっていく」連中であり、決して一般民衆だけでなく「専門人になり下がった知識人」もまた大衆のひとつであるとする部分が現代社会ひいてはこの国に対して言われている気がして妙に納得した。

そもそもこの西部邁についても「リベラルマインド」という本を読んだ時に「保守思想とはリベラルの精神を持ち合わせなければならない」という他の著名人が言わなそうな部分に惹かれた。

西部邁もオルテガも「大衆」は常に暴走して間違える。だから自分で考えて自問自答し続けて答えを見つけなければならないとわたしに叱咤している気がした。

この「大衆」が常に間違える危険性はこれまた西部邁の話の中で出てきたエドマンドバークの「フランス革命についての省察」の中で革命だと騒ぎ立てた人々は必ず失敗して新たな独裁を産むと書いて実際にナポレオンの皇帝就任を予言したところもそうだった。

また、トクヴィルが「アメリカのデモクラシー」の中で「将来アメリカという国は膨張し続けて世界の半分を握るだろう。そしてもう半分はロシアが握るだろう」と書いて米ソ冷戦を言い当てたのも衝撃を受けた。

小室直樹が「ソヴィエト帝国の崩壊」を書いてソ連の崩壊を予言したはるか100年以上前に予言していた。

また、トクヴィルはアメリカ人が崇高で美しいと言って憚らない民主主義が必ずしも正しいとは思えず、この思想をヨーロッパや他の国々に輸入したら必ず失敗すると述べていた。

このへんもよくテレビや新聞に出てくるコメンテーターとは違う見方で面白かった。

ちなみに西部邁の本でいくと自叙伝的な内容を壮大なスケールと人間模様で描いた「サンチョキホーテの旅」
在日コリアンでのちにヤクザとなり命を落とした親友海野治夫との物語である「友情 ある半チョッパリとの四十五年」
人間の死生観を自身が出会ってきた様々な人との対話なども交えて生々しく色濃く書いた「生と死 その非凡なる平凡」
自身が若い頃、新左翼運動であるブントに所属して警官隊と激しくやり合っていた時代を「センチメンタルジャーニー」というどこか虚しく哀愁漂うように記した「六十年安保 センチメンタルジャーニー」
政治的内容かと思いきや人生観、価値観、死生観と人間そのものを描いた「ファシスタだらんとした者」
西部がニーチェや夏目漱石の影響を受けたのがよくわかる、現代日本人に蔓延るニヒリズムや虚無について鋭く考察した「虚無の構造」なんかも面白い。

西部邁の書く本は非常に難しい内容を少しずつ解きほぐすように書かれているのでわたしのような学のない、岩波文庫から出ている哲学本はなかなか読み進められない人間でもどんどん読み進めていける。

これはやはり長い間大学教授をやっていたこともあるが、西部が元来人との対話や社交の場を大事にしていたのが活きている気がする。

彼は新宿の酒場などにいくと隣の席の知らない人にも話しかけてはどんな相手でもどんな内容でも流れるように会話ができるそうだ。

さすが西部邁である。わたしが人生で最も尊敬して影響を受けた思想家である。

また、他にも日本人の文芸批評化や文芸評論家で影響を受けたのは小林秀雄だろう。
とても難解な文書も多くて学のないわたしはかなり苦戦をしたが。

ただ、小林秀雄の「考えるヒント」「読書について」「学生との対話」「人生について」は生き方やものの見方、考え方を省みる機会を頂けた作品であった。

こう考えると昔は結構読んだのに最近は本当に本を読んでいない。

知性の劣化を日々感じている。

やはりスマホばかり見ているとバカになる。
せめて電子書籍でも読まなければなるまい。

皆さんは影響を受けた本や作家はいますか。
よければ教えてください。

ではこのへんで。


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