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みんな、こうすればいい!

 いつからか、私はセミナーに出かけていくのが億劫になってきた。セミナーや研修会は、「こうすれば良い」が溢れていてそこに自分の考えを挟み込む余白がない、そう感じたから。周りの人たちも「やっぱりそうだよね」という雰囲気でそれを教える人の言うことを鵜呑みにして讃える。その雰囲気も嫌になったのだと思う。

 随分と捻くれたもんだと思っていたけれど、一旦そこを離れると随分と仕事が楽しくなってきた。いわゆる「学ぶ場」は先生や周りの生徒によって場の空気を作られやすい。「これはすべきで、これはすべきではない」「これがよくて、みんなこうすればうまくいく」そんな"答え"がたくさん落ちている。そしてその定義から外れる人を変わり者の様に感じ始める。集団の怖いところ。
 私は常に、「それって本当に答えなのだろうか」いちいちそうやってつまづくから、その場が全然楽しくない。

 塾や学校で教えたことがある。昔は知らないけど、今は塾も学校も同じくらい「成果重視」だ。成果を出したら「良し」とされて出さないと「もっと頑張れ」ってことになる。どちらも子どもたちが知識をつける場所だった時代があったのかも知れないけれど、今は違う。成果を出すことを求められ、それに答えようと必死だ。それが行き過ぎて成果を出せないと、その子を責め出す。「こうあるべき」から外れると、急に大人たちはそっぽを向いて急ぎ足で去っていく。

 指導者のためのセミナーに出かけると、成果を出す方法を教えられる。私は昔から「じゃ、この場合はどうなるんだろう」「この子のケースは」とかそれが通用しない場面を想像してみる。だから「こうすれば(みんな)うまくいく」と断言する人の言葉は信用できないのだ。特に学校関係の研修では学校こそ様々な子どもたちが集まっているにも関わらず、より単一の例(たいていうまくいっている学校)を参考にして学ぶから不思議。子どもたちこそ、千差万別。

 私の職場は、十数年前に我が子のために作った英語教室。今の私の指導法はほぼオリジナル。自分の教室や、英語教育で携わった様々な教育機関で出会った子どもたち、指導者の方々、保護者の方々との関わりの中で見つけてきたもの。万人に当てはまる方法なんて一つもないことを嫌と言うほど感じてきた。目の前の一人一人に違う方法がある様にさえ思えた。

 好きで続けていると経験も豊富になり、時々研修やセミナーをする側になることもある。その時に気をつけているのは、自分の考えや正しい情報以外は「断言をしない」こと。特に方法。「これが絶対良い」とは言い切れない現実を知っているから。私のセミナーは、問題提起をしてみんなに考えてもらうワークショップ形式。セミナーに集まる方々の中には「方法だけ教えてくれたらいいんです」という方もいるけれど、人と接する仕事である以上、小手先のスキルに頼るのが一番怖い。人をモノみたいに扱う可能性があるから。時間がないから方法だけちょうだい、という人向けのセミナーはしない。

 目の前の子どもたちと一緒に作り上げていくのが授業。こちらから押し付けたり、コントロールしたりするものではない。そう思っている。
 私の授業はいわゆる"授業"っぽくないかも知れないけれど、いつも子どもたちと一緒に笑って一緒に考えている。
 意見を求められた時に「え〜?みんながそう言うから」とか「なんとなく...」とか、これさえ言っておけば大丈夫、ってフレーズを覚えて言うばかりの人を育てるつもりはない。考えずに近道だけ知りたがるのって、怖い。でも実際そういう大人の人によく出会う。そういう人程、よく悩んでいる。

 対話を通して一緒に成長していく場を作っている。考えることで自分自身との対話が深まり、一番の味方を得ることが出来るから。その方が一生通して心強い。私たち大人は教育を通して、子どもたちが人生の旅を続けていくための知恵(考えること自体)や、自分自身とうまくやっていく過程(対話)の手伝いをしているだけなのだ、と心得ている。

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