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子どもの声を聞くテクニック

 今日はタイトルから書いた。なぜかというと、パン屋さんでパンを食べている時にふと内容が降りてきたから。そして私は怖いくらいにすぐ忘れるから。
 メモがわりにこの強烈にハードルの高いタイトルを書いておけば自分が忘れないかな、と思ってタイトルだけ書いておいた。

 なんだか専門家みたいな書き方をしてしまって、自分でも怖い。でも最近ふと思う。気がついたら、私は子どもたちの本音をたくさん知っている。子どもたちに「自由に話せる場を」と思って英語教室を開いているのだが、実際そういう場になっていることを子どもたちが教えてくれている。
 では、どうしてそういう場が出来たのかを考えながら書き出してみよう。

絶対服従はNO

 SNSで見つけた言葉に深く共感した。「大人が何か言った時『無理』と言える間柄を築こう」という言葉。「口答えするとはけしからん!」と上から圧力をかける教育の間違いは、今多くの「昔子どもだった方々」が体験をシェアしておられるので参考にしたい。人に従うことだけを良しとして生きてきた結果、自分が決断すべきところで難儀する、というもの。自分に何が必要でどう動くことが大切かがわからない、というのだ。問題解決能力、またはそれに繋がる思考力、判断力は絶対服従の縦社会の中で育てられなかった、その結果だ。最悪のケースでは、自分の命を大切にするという一番大切な判断さえ出来なくなってしまう。
 人間が「自分の命を守る」という動物的本能を失う程、人間社会の圧力や教育は大きく影響力のあるものなのだ。

 今多数の大人の方々が悩んでいる「自分らしさの喪失」に向き合いつつ、今の教育者である私たちはその過程を学び分析しながら、新しい方法を紡いでいかなければならない。

大人が大人になるために

 大人が大人であることの定義はなんだろう。この国では大人が言うことには子どもは従うべきだ、という考え方があるのできっと大人は「大人である以上、子どもに反論されたり指摘されたりしてはメンツが立たない」と考えるであろう。
 そしてこれを読まれている方々の中にも思い当たる節はあるだろう。
私が子どもと本音で向き合うコツを一つお届けするとしたら、鍵はここにある。「全く子どもと同じ目線に立つこと」だ。
 
 私たちの行動にはいつも目的があり、その目的を知ることは頭をスッキリすることに繋がる。時には敢えて目をそらしてきた自分の嫌な部分と向き合って愕然とすることもあるだろう。もう見たくない、と再び目を逸らしてしまうこともあるだろう。
 しかしそこで目を逸らさず向き合えば、その分だけ子どもたちと心を通わせることが出来る。私は経験者だから断言出来る。

 大人の役割は子どもに「教えてやる」ことでもなく「自分の経験を元に決めてやる」ことでもない。子どもたちが「自分で決める」ことのサポートをすることなのだ。

 自分の行動を振り返って「教えてやろう」「自分が決めてやろう」という目的があったならば、その目的の主語は「自分」であるべきではないことを再度確認しておこう。「相手のために」と口では言っても、それは自分が「大人である」ことを確認する方法だったのではないか。そう考えてみよう。
 私が思う大人は、自分の目的としっかり向き合ってその時代、その時、その相手によって方法を考え行動できる人。
 自分の知っている何かに当てはめてその中に相手をぎゅうぎゅうと閉じ込めることの目的は、なんだろうか。そしてその手段はその目的にちゃんと行き着くのか。再度考えてみたい。

先人に見習うべきはその過程

 私たちは先人に習って今を築いている。だから、過去は大切。それは事実。ただ、時代は流れている。先人から受け継ぐものは、0からその時その時に必要なものを得る方法を紡いできた先人の努力、アイデア、教育の目的、それに尽きる。方法なんて、それは時代に合わせていくらでも変わってきている。変わらないのは目的。子どもたちに豊かな人生を。

 なぜか私たちはそれを履き違えて「先人の言う通りにしておけば大丈夫」と楽な方法を選びたがる。誰かがしてきた成功例を完全コピーしたらうまくいく、そんなことはあり得ない。相手は人なんだから。人は一人一人違う上に、その時々のコンディションや体調でも違う。野菜や果物に熟する時があるように、コーヒー豆の焙煎具合をその時々で変える様に、生きものに触れ合う以上、同じ方法が常に当てはまるものなんてないのだ。
 人がしてうまくいったから真似してみよう、はスタートラインであってゴールではない。そこからうまくいかなかったら方法を探って変えていく。そのために目の前の相手と、しっかり向き合う。それが大切。
 うまく当てはまらないから相手を責める。無理矢理型に当てはめて「ほら、出来た」は、一体誰のためにどんな効果をもたらす教育なのか。もっと広い視野で考えてみたい。その場でうまくいった様に見えることも、その数十年後に絶対服従から抜け出せない人がどんな人生を送っているか、そこまで見届けて欲しい。

持続可能な教育

 さて、自分を知り自分を喜ばせながら豊かに生きている人たちのことを考えてみよう。私たちはテレビや本でそんな人を見ると、憧れ、自分もそんな風になりたい、そんな人を育てたいと願う。
 では、どんな人が豊かな人生を歩んでいるのだろう。

 ある人は自分がしたいことをして生きている。でも今まで計り知れない苦労をしてきた。その中でただ一つの好きなことを追い求めて、もがきながらも充実した日々を積み重ねてここまできた。途中、人からは見窄らしく見えたかも知れない。親に恥ずかしい思いをさせたかも知れない。でもどうだろう、その人は今この瞬間も人生を謳歌している。
 ある人は、自分がしたいことが見つからずに、ただ目の前の出来ることをして食い繋いでいた。アルバイトをする自分を情けなくも思ったが、仕事に一生懸命向き合う姿は周りの人を幸せにし、いろいろな人が彼に興味を持った。そして人の繋がりの中で自分が楽しめる仕事に出会い、会社を立ち上げた。

 結果だけを見て「こんな人を育てたい」と思う人は、彼らが歩んできたであろう「大学に進学しない」「就職の波に乗らない」という姿を我が子が選んでも見守る勇気があるか、自分に問うてみて欲しい。彼らの親たちはいろいろな苦労や不安、悩みを抱えた先に「見守る」「信じる」「待つ」ことを選んだ。最初から「成功者を育てよう」と思ったのではなく、「諦め」や「わずかな希望」だったのかも知れない。でも、子どもが大きな決断をするための日々の小さな決断、それを見守り信じてきた過程が、子どもたちに「自分らしさを探る時間」というプレゼントを贈る結果になったのだ。

最後に日々出来る簡単なコツ

 では、最後まで読んでくださった方に。私が見つけた3つのポイントをお届けしよう。順を追って一つずつトライして次に進んでいただきたい。
 取り組むか取り組まないかは、あなた次第。ただ、これに取り組んだら必ず結果まで見て欲しい。必ず目に見えて結果が出るから。もし出なかったら、もう一度これを見直してまたトライ、それを繰り返してまずは自分をこの方法に慣れさせていこう。

① 子どもが話してくることに興味を持って、更に質問してみる。
ポイント:絶対にそれに自分が知っている情報を乗っけたりしない。
「子どもが話して自分が聴く」状況を作る。関心を持ち、感心をすること。
例:好きなアニメの話だったら、好きなキャラクターやおすすめのアニメなど。

② ニュースやテレビ番組などをトピックにして、自分だったらどうする?や、どうおもう?などと尋ねてみる。
ポイント:子どもが出してきた答えを否定したりジャッジしたりしない。
「良い答えだね」もNG。「へえ、そんな風に思うんだね」と受け止めるイメージ。ジャッジする側とされる側にならないように注意。
目的はイコールの関係を作ること。
例:災害のニュースなどだったら「この辺りだったらどこを集合場所にしようか。どこが良いと思う?」など。

③ 子どもが相談してきたら質問返し「〜はどうしてだと思う?」
ポイント:「わからないから聞いてるんだよ〜」といわれがちだが、ここでは「一緒に考える人がいる」安心感を持たせつつ、自分で考えるのが目的。
ただ相手に投げ返すだけではなく、「一緒に考えてみるわ〜」と一緒に考える。

 目的は「子ども自身が考える」こと。それが出来たら、きっと人にアドバイスをもらう、という選択肢も出てくるだろう。求められてもないのに勝手にアドバイスや知識をシャワーのごとく降らせたら、情報過多で自分で考える隙間がなくなる。大人はいつも良き伴走者でありたい。そこで安心感や信頼感が生まれたら、その相手を「師とするかどうか」は、これまた子ども自身の判断。

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