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特大ブーメラン心に突き刺さる

 外国語(英語)指導に小学校に行き始めて通算6年。関わってきたクラスは100を超える。ゲストティーチャーはなぜか毎年の年度末に各クラスから盛大に見送られることが多く、時にはサプライズの寸劇、歌のプレゼント、手紙やメッセージの束…と心が揺さぶられそうになることが多々ある。
 私のポリシーとして、私は黒子でありたいと思っている。目立たず、子どもたちの心に「英語って楽しかったな」って思いだけを残して、名前も顔も忘れられる存在でいること。それが私の美学。だから、学校では私の感情は「喜」以外は一切出さないと決めている。この時期はとりわけ私は自分に誓って毎年スーパードライになって過ごすことにしている。
授業の終わりには伝えたいことを伝え、手紙やカードを笑顔で受け取り爽やかに去る。それなのに。

 今年あるクラスで突然涙腺崩壊してしまった。いつもの様に挨拶をして去ろうとした時に子どもたちが「ちょっと待った〜!」と叫び、(これってあちこちのクラスでされるけれど、子どもたち"ねるとん紅鯨団"知ってるのかな?多分先生たちだよね?)カードが出てくる。
さ、踏ん張りどころだぞ、と笑顔で振り向くとそこには特大クオッカ。その可愛さに顔が緩んだ瞬間に涙がボトボトと落ちてきた。
 
 最初の授業で、私はどのクラスでも自己紹介をする。クイズにしながら。さて、私の好きな動物はなんでしょう。子どもたちは一生懸命答える。でも残念ながら、みんなの知ってる動物じゃないんだよねーというオチ。そこでオーストラリアにだけ住んでいる"クオッカ"を紹介する。顔がにっこり笑ってるみたいなワラビーの一種。いつも笑っているみたいな顔をしているので、世界中で"Happy Animal"として有名な動物。
 そして「英語を話す時は、自分のことを人に伝える必要がある。でも自分のことを自分がよく知っておかないと、人には伝えられない。だからね、自分のことをよく見てあげて。」そう伝える。私流英語教育の始まり方。
自分の好きなものや好きなことを人に伝えたら、それがきっかけで人があなたのことを覚えてくれたり、思い出してくれたりするんだよ、とも話す。英語に取り組むことで、私は子どもたちが自分を見つめて自分と仲良くなれたらいいな、と思っている。

 私はずっと黒子で居続ける。自分自身に向かって「思い上がるんじゃない」と言い続ける。主役は子どもであり、子どもたちのバディは担任の先生。私はそこに少しだけ火起こしのお手伝いに行く感じ。火を点けるのは子どもたちだ。だから、自分で言っておきながら私は「自分のことなんて誰も興味もなければ覚えてもいない」と思い続けていた。私の話は例として出すけれど、私自身に興味を持ってもらわなくても良い。頑なにそう思っていた。そしてそのままそっと去ろうとしていた。

 そこに出てきた特大クオッカ。"好きな物を人に伝えておくとね、人が自分のことを覚えていてくれるんだよ"という1年前の自分の言葉が子どもたちから私に届けられた。それが私の心を強く揺さぶったのだ。
 今日くらい、ちょっとだけ思い上がっても良いね。私という人間が、この子どもたちの人生の1年にちょっぴり交わった。そこに英語を通して "I can do it." "Love myself." の種が撒かれた。そんな風に思ってもいいんだよね。
 
 子どもたちから贈られた言葉
「先生のおかげで英語が好きになりました」
「先生に"ナイス"って言われてうれしかったです」
「先生が"日本語でもいいよ"って言ってくれて安心しました」
をたっぷり味わって、自分をねぎらおう。

 いろんな人がいろんなメソッドやこだわりを持って指導している中で、私は私のこだわりがある。人になんと言われても変えたくないことがある。それは大人同士の会議の中ではなく、子どもたちと向き合う中で見つけた答えだから。だから、それが子どもたちにまっすぐ伝わっていることがわかって、嬉しかった。それが何よりのプレゼントだった。

 英語教育を通して自分と向き合うこと。自分を大切に思うこと。伝えたかったことは、彼らにしっかり届いてそれが私にも再び届けられた。

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