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繊細さんに響く"裏メッセージ

 私はいわゆる「繊細さん」だ。気付いたのは40代半ば。でも生まれてこの方ずーっと繊細さんとして生きてきた。「繊細」は特徴ではなく短所だと思っていたから、ずっと生き辛かったけれど。今ではこの性質に感謝している。この超敏感なセンサーが感じる「裏メッセージ」に気付くことが出来たから。

 子どもの頃から人の口調や表情、言葉からいろいろなものを感じ取っていた。その人の感情、その人が自分をどう見ているか、その人の中で私はどういう立ち位置になっているのか。それが透けて見えてどうしようもなく悔しくなったり悲しくなったりすることもあった。同じく繊細な性質を持つ母はそんな私にキツい言葉をかけることはなかった。だから、学校に行った時に驚いた。学校はキツい言葉やひどい態度の洪水。その中で溺れながら毎日頑張っていたんだ。その言葉が、その態度が私に向けられたものであるか否かは関係ない。そんないろいろな人のいろいろな感情が入り混じった場所は、私には刺激的過ぎたのだ。

 そんな中、私はどうしても受け付けないことがあった。「これをしなさい」を言われることだ。命令されるのが嫌いで素直じゃない子ども、プライドが高い、そんな風に先生が生徒のことを言っているのを聞いたことがあるけれど、それはそんな単純なものではない。
 そもそも大人は子どもよりも長く生きていて体も大きい。大人は子どもに教え導くものだ、と思い込んだ大人たちが子どもの一挙手一投足を管理しようとする。私はそれが嫌いだったのだ。それを知ってか、母は私に命令口調になることはなかったと記憶している。その代わり、私が出来たことに大いに感動してくれた。私は自分で考えて動くことが好きだった。私だけでなく多くの子どもたちがそうだと思う。大好きな誰かを喜ばせたくて、驚かせたくて、何をしようかとウズウズしている。
「宿題をしなさい」と言われて、「今しようと思ったのに!」はあながち嘘ではない。「え?もう宿題終わったの?」という親の顔を思い浮かべていつやろうか、でもやる気がなかなか出ないな…なんて考えている間に先回りされたら、もうやる気を無くしてしまう。その気持ちはよくわかる。

 そして「挨拶しなさい」などという言葉は「あなたはそんなこと知らないだろうから教えてあげるけど」という裏メッセージを含んでいて、私はそう言われると自分がダメ人間になった気がする。

 じゃ、どうやって指示を出したらいいのか、と問われるかも知れないので母がしていたことを一つご紹介しよう。母がする様に真似をして人に挨拶をした時に、後から母に「なみおは、きちんと挨拶するからビックリよ」と言われ、天にも上る気持ちになった。「きちんと挨拶なさい」と言われるよりもポジティブに自分に同じ習慣が身に付く。だって、それは私がオリジナルでしたことを認められたのだから。
 でも実際は私は母の真似をして挨拶をしただけ。子どもにして欲しいことのモデルを大人が実践し、子どもがそれを真似てしたら大いに讃える。

 自分の幼少時代を思い返すと、そういう瞬間ばかりだった気がする。ポジティブな言葉をかけながら、子どもの自己肯定感を上げていくという意味で言えば、母はかなりうまくやっていた。そして私自身も自分の子育ての中で試行錯誤しながらも、やはり同じ様にやってきた。

 繊細であることは、気付きやすく傷つきやすい。でもそれであるが故に、人を傷つけずに育てる方法を知っている気もする。お陰で今私は我が子や自分の教室の生徒たち、学校の生徒たちと良い人間関係が作られている。決して命令したり無理矢理導いたり脅したりせずとも、彼らが自分で考えて行動したことを大いに愛でるベースがある。

 励ましているつもりでも、今ひとつ子どもと響き合えないと感じる方は、その言葉が裏メッセージを含んでいないか、考えてみたら新しい発見があるかも知れない。

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